燃えてしまった書物の話。
書籍版1巻が8月17日に発売です!
レンが急な帰省をしたものの、ミレイユは腕を振るって昼食を用意した。
屋敷で振舞われる料理は以前と違い、森で狩れるリトルボア以外にも様々な食材が用いられていた。
レンとしては喜ばしい限りだ。
村を離れ、クラウゼルで頑張ったことで本懐を遂げたといってもいい。貧しかった村を富ませられたことに対して、経験したことほどの喜びを覚えていた。
昼食を終えてから、三人が歓談を楽しんでいた頃のことだ。
「ここも綺麗になりましたね」
新たな屋敷の、新たな食堂を見渡したレンが言う。
白いぬりかべと濃い茶色のフローリング、それに石を削って作られた真新しい炊事場が設けられた食堂は、以前のように外へ通じる土間もない。
「でも、家具は前と似てるだろ?」
「言われてみれば確かに。家具は燃えなかったんですか?」
「しっかり全焼したぞ。燃えた分、俺が作り直したってだけだな」
「レン、お屋敷の家具は前からお父さんが造ってたのよ」
知らなかった父の器用さを聞き、レンは「おお」と素直に驚く。
一方で客間には、職人が作った家具を買ってあるそうだ。
「レンの部屋の家具も注文する予定なんだが、レンの好みもあるだろうしな。帰ってからにしようと思ってたんだ」
「では、父さんたちの部屋の分は頼んであるんですか?」
「いや? 俺たちの部屋の家具は、前と同じで俺が造ったもんだぞ」
以前、レンは両親に宛てた手紙に書いていた。
自分が送った魔道具や資金は、好きに使っていいと。
両親は前々からレンの金だ、と遠慮していた。しかし、それでも使ってほしいと思っていたのがレンだ。
「俺が送ったものは、遠慮しないで使ってくださいって言ったじゃないですか」
「……いやな、レンがそう言ってくれるのはありがたいさ。だが、俺たちとしては村を優先しないとって気持ちもあるし、もう一個思うことがあってな」
「考えてること、ですか?」
尋ね返されたロイが照れくさそうに頬を掻く。
「貧乏性っていうのか?」
「そうね……お父さんが造ってくれた家具の方が落ち着いちゃって……」
恐らく、二人の言葉も本心によるものだ。
二人の気持ちがよくわかってしまったレンは、それ以上の言葉は口にしない。
キッチンをはじめ、屋敷のいたるところに便利な魔道具が設置されていることは確認してあるから、後は二人に任せたい。
毎日を過ごす家なのだから、落ち着ける方が良いに決まってる。
清貧を貴ぶと言えば聞こえも良かった。
「――――俺の部屋に置く家具も、同じようにしてくださいね」
そして、レンの言葉も本心によるものだった。
レンは食後の茶を飲み干すと、立ち上がって口を開く。
「部屋に荷物を置きに行ってきます」
そう言うと、ロイが一緒に行くと言った。
ミレイユは食器を片付けると言い、レンとロイが手伝いを申し出ても「気にしないで」と答えて笑った。
食堂を出たレンが廊下を歩くと、以前のように軋む音は聞こえてこない。
「本当に新しくなりましたね」
「ああ、レンと男爵様のおかげでな。……ただ、本は全部燃えちまったから、書庫だけは作り直せてないんだ」
「仕方ないですよ。あれだけの炎でしたから」
新たな屋敷の造りは前の屋敷と似ていた。それでも、書庫へ通じていたはずの廊下は途中で途絶え、窓が広がっている。
思い出の場所が消えたことに、レンは少し寂しさを覚えた。
「本と言えば、俺の部屋にあった本も燃えたんだったか」
二階にあるレンの部屋へ向かう階段の最中で、ロイがため息交じりに言った。
「あれ、父さんたちの部屋に本なんてありましたっけ?」
「何冊か数えるくらいだけど、棚の中に入れてあったんだ。俺の親父の日記とか、ご先祖様が残した本とかは、俺の部屋で管理してたんだぜ」
「そういうことでしたか。ところで、ご先祖様が残した本ってどういう本だったんですか?」
「うーん……嘘か本当かわからない、ご先祖様の冒険記ってとこだな」
「……冒険記?」
「おう。その本を信じるなら、アシュトン家のご先祖様は冒険家だったらしい。このエルフェン大陸を飛び出して、世界中を旅してたんだとよ」
話を聞くレンは心躍る思いを抱いた。
また、そんな本があったなら是非読みたかったものだ、なんて残念に思う。
「ご先祖様はどんな冒険をしてたんですか?」
「色々だ。天空大陸に行って神様を探したり、海底に眠ると言われている古代都市を探したんだとよ」
(……七英雄の伝説Ⅲで登場が噂されてたマップだ)
前者の天空大陸に至っては、実際に人が住んでいる。そのため、魔導船を介した交流もあるのだとか。後者の海底に眠る古代都市については、あくまでも登場が噂されたに過ぎなかった。
やがて二人は新たなレンの部屋にたどり着き、扉を開けて中に入る。
真新しい部屋は前と比べてやや広めだ。
部屋の中には、レンの家具を注文するまでに必要だと思ったロイが用意した家具が並ぶ。
家具の配置や見た目はすべて、屋敷が燃える前と同じでレンを落ち着かせた。違ったのは、レンの成長に合わせて大きめになっていたベッドだけだ。
「父さん、つづきを教えてください」
レンは新しい自室の窓を開けて言う。
新たな部屋に覚えた感動はそのままに、レンは父との会話を楽しむことにした。
「後はそうだな――――龍の翁って話もあったか」
レンの胸元が一瞬、大きく脈動した。
ロイが口にした言葉は、何故か滝つぼでアスヴァルの角を見つけたレンにとって、時宜にかないすぎていた。
「文字通り年老いた龍ってことでしょうか」
「多分な。年老いた癖に好戦的で、常に強者を求めていたとかなんとかだったらしい」
「…………」
「レン? 急に黙ってどうしたんだ?」
唐突に口を開けて唖然としたレンを見て、ロイが首をひねった。
「具合が悪いとか疲れてるなら、また後に――――」
「い、いえいえいえ! 全然大丈夫なので聞かせてください!」
慌てて言えば、ロイは「ならいいが」と言ってつづける。
「ご先祖様はその龍の翁と戦ったらしい。どうしてもその龍の角が欲しくて、僅かな欠片だけでも譲ってくれって頭を下げたんだとよ」
「へ、へぇ……角を……それで、どうしたんですか?」
「龍の翁が断って、ご先祖様は当然だろうって諦めた。だが、龍の翁は力づくで奪ってみろと言い放ったんだ」
レンは乾いた笑みを浮かべながら耳を傾けつづけた。
「で、ご先祖様は角を一本まるごと切り裂いた」
「――――うん?」
「だから、片方の角を丸ごと切り裂いたんだ。龍の翁が言った力づくでって話に乗ってな」
話を聞くレンは「は、はぁ……」と呆けた様子で相槌を打つ。
「ご先祖様はその戦いに勝って、龍の翁と友達になったわけだ」
「わけだ……って、話はそれで終わりなんですか?」
「おう。うちに残ってた冒険記には、確かそのくらいしか書かれてなかったぞ。それも日記みたいに書かれてただけだから、これ以上のことはよくわからん」
「そのくらいって言いますが、随分と派手な戦いをしてますよね」
「だろ? だから嘘か本当かわからないんだ。いったいどんな龍と戦ったのか知らんが、そんなに強いなら、レオメルの歴史にも名を刻んでるはずだしな。うちも名家でないと不思議って話だ」
ロイの言葉には説得力があった。
しかしレンは、いまの話を冗談だと一蹴することができなかった。
『あなたー! 騎士の方が呼んでるわよーっ!』
ふと、部屋の外から聞こえてきたミレイユの声。
ロイはその声を聞いてこの部屋を離れ、一人残ったレンは窓枠に身体を預けた。
背中に浴びる春風を感じながら、腕を組む。そうして彼は冬のことを、アスヴァルと交わした言葉を思い返した。
『――――アシュトン? 何故だ……不思議と懐かしき響きよ』
『……え? 私の家名を知っている……んですか?』
『何も思いだせぬ……だが、気に入らん。貴様のような弱き者が、その名を口にすることが気に入らんッ!』
アスヴァルの角が片方だけ折れていたことも、その角を折ったのが先祖であれば説明が付く。
時系列的には、勇者たちがアスヴァルを討伐する前のことだろう。そうでないと、アシュトン家の先祖がアスヴァルと戦うことは不可能だろうからだ。
「どうやって?」
アスヴァルは角を折られれば弱体化するのだが、それを看破したレンは必死になって残る角を折ったことを覚えている。
あのときだって、不完全な復活を遂げたアスヴァルだからやっとのこと。
しかも、片方の角が折れて弱体化した後だった。
かたやアシュトン家の先祖は、全盛期のアスヴァルに勝利を収めた――――レンが理解できる範疇を超えている。
「そりゃ……俺なんか弱き者って言われて当然だけど……」
化け物に勝ち、化け物に友と認められた先祖と比較されたところでどうしようもない。
レンはそんな先祖が気になってたまらなかったが、先祖の冒険記は既に燃えてしまっている。
……気になっても調べられないことが歯がゆかったし、
「――――でも、なんで歴史に残ってないんだろ」
その事実も気になった。
歴史書はおろか、ゲーム時代の知識を思い返しても先祖の情報がない。
普通、ありえない話だ。先祖は聞けば聞くほどとんでもない実力者なのに、歴史にいっさい名前が出てこないなんて違和感しかない。
「意図的に記録されなかった……とか」
何らかの事情によって、レオメルの歴史から消された可能性を考えた。
だがそうすると、アシュトン家が現代までつづいていることに引っ掛かりが生じる。仮に先祖が歴史から消されたのなら、何らかの事情があってのことだ。
そして、その事情は間違いなく、レオメルにとって不都合なことであるはず。
だというのにアシュトン家が存続できていることは、どこかちぐはぐな気がした。
「……駄目だ。わからないや」
レンは決して、謀や政に明るいわけじゃない。既に情報が残されていないため、諸々を確かめる方法もないのだ。
つまり、考えることはできても答えを得ることはできない。
レンは結局、アシュトン家の先祖がとんでもない実力者だった――――ということだけを再確認したのである。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、レンは真新しい自室のベッドで目を覚ました。
寝起きの気分は最高だった。新しい屋敷のため懐かしの我が家とは言えなかったが、やはり生まれ故郷は良い。
窓を開ければ、田畑を撫でた風が土と草の香りを運んできた。
「よし」
レンはそう呟き、服を着替える。
一年と少し前の日課を思い返して、部屋を出た。
「あら、レン。いつものお散歩?」
廊下ですれ違ったミレイユもレンの考えをわかっていた。
「はい。久しぶりに村の中を散歩してこようかと思って」
「わかったわ。帰ったら三人でご飯にしましょうね」
レンはミレイユに見送られて屋敷を出た。庭に居たロイとも朝の挨拶を交わしてから、厩舎に居るイオの様子を確認した。
(……お、おう)
そこに居たイオは厩舎の中で横になり、足を延ばして就寝していた。
環境の変化に戸惑う様子は見えなかった。
門をくぐって外に出たレンは、以前と違う石畳の道を歩きはじめる。
以前まで畑道だったそこは歩きやすく変貌しているが、畑との距離は以前と変わらず近い。
やがて畑の傍を歩くレンの姿を見て、村人たちが嬉しそうに声を掛けてきた。
村人たちと声を交わしながら散歩に勤しんでいたレンは、目の前から歩いてきた老婆の姿に気が付いた。
「――――リグ婆!」
それはこの村で唯一の産婆にして、薬師のスキルを持つリグ婆である。
彼女はレンを見てすぐ、皺が寄った目元をうっすら涙で濡らした。
「坊ちゃん……大きくなって……」
「そ、そうかな?」
「ええ。顔つきも凛々しくなって……ご立派なお姿です」
褒められたレンは照れくさそうに頬を掻いて「ありがとう」と言い、リグ婆と並んで歩きはじめた。