【SS】ある夜のリシア
こちらはSSとなります。
夕方には本編の更新となりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
レンがクラウゼルを発ち、数日が過ぎたある夜のことだ。
クラウゼル邸の庭園で、リシアが霜天を仰ぎ見ていた。
ふぅ、と息を吐けば真っ白で、肩掛けから覗く白磁の肌は少し冷えている。
湯を浴びて間もない身体の熱が、冬の寒さに奪われつつあった。
だけどリシアは見上げた空から目を放そうとせず、しばらくの間そうしていたのを、彼女の世話をする給仕が見かねて声を掛ける。
「お身体に障りますよ」
リシアの背後から給仕が声を掛けた。
が、彼女は振り向かなかった。
依然として空を見上げたままに、間違いなく誰かを想っている、それがわかる声で言うのだ。
「平気よ。涼しくて気持ちいいくらいなの」
「……そうでしたか」
給仕は仕方なそうに言い、リシアの隣に立った。
令嬢の横顔を覗き込めば、相変わらず精緻に整った顔立ちそこにある。
表情は……冴えないとまではいわないが、普段の凛々しさは鳴りを潜めたように見える。ここ最近は仕事つづきで疲れも溜まっていただろうから、その影響もありそうだ。
だが、リシアの顔にレンを心配した様子はない。
給仕は予想が外れ、「あ、あらら?」と頬に手を添えた。
「どうかした?」
「……てっきりお嬢様は、レン様が心配だから外に来られたのだと思っていたので」
「私がレンを? どうして?」
「どうしてって、いまのバルドル山脈は危険ですから」
リシアの顔が給仕に向けられた。
やはり、リシアはあまり心配した表情を浮かべていなかった。
むしろ給仕の言葉に違和感を覚えているように見えて、逆に給仕が自身の価値観を疑ったほどだ。
「心配していないって言ったら嘘になるけど、私、皆が考えてるほどレンを心配したりしてないわよ?」
さも当然と言わんばかりの声音だった。
給仕は自身の興味に負け、唇を動かす。
リシアに対して、「何故ですか?」と繰り返した。
「そんなの、決まってるじゃない」
すると、リシアは微笑む。
「――――レンが強いことなんて、私は世界中の誰よりも知ってるもの」
どれほどの経験を積めば、そんな声と表情をこの歳で披露できるのだろう、と。
給仕はいまの言葉を言い放ったリシアを前に、その声と表情を言葉で言い表すことができなかった。
「なるほど。愚問でございましたか?」
「ええ。その通りよ」
リシアが微笑みを交えながら言えば、空からしんしんと雪が降りだした。
給仕はこれ以上の長居は許容できないと思い、持ってきた上着をリシアに着せながら言う。
「そろそろ中に戻りましょう」
「……そうね」
しかし、そうなるとリシアの表情がさえない理由がわからない。
先を歩きはじめたリシアの後ろで、給仕は密かに腕を組みながら考えた。
リシアは皆が思うほど心配はしていないと言ったから、他の理由があって表情がさえないはずなのだが……
「あっ」
もしかして、と気が付いたことがある。
だが、その理由を言葉にすることは避けるつもりだった。
主にリシアの名誉のためである。
「何か言った?」
しかし、リシアの耳に給仕の声が届いていた。
給仕は何でもないと頭を振ってみるが、リシアは足を止め、給仕の顔を伺いながらもう一度尋ねる。
「隠さなくていいじゃない。どうかしたの?」
すると、給仕は観念して言うのだ。
「い、いえ……レン様をご心配なさっていたというよりは、レン様が居なくてお寂しい思いをされたのかと思い……」
ふと、リシアの頬が硬直した。
すぐに笑みを繕って乾いた笑いを浮かべたが、図星を突かれたことは明らかだ。
リシアが笑みを浮かべた肌は少しずつ赤らんでいく。
一方で給仕は、冷や汗を浮かべながら笑みを繕ってみる。
――――やがて、次の句を口にするのはリシアだ。
「よく聞こえなかったから、もう一度言ってくれるかしら?」
「……お休みになる前に、お茶はいかがですか? と申し上げたのです」
「ありがと。せっかくだからいただくわ」
いままでの話はなかったことにした。
二人は互いに平静を装いながらリシアの部屋を目指し、部屋の中に足を踏み入れてからは、話した通り茶の支度が進む。
給仕はここでも気が付いた。
もう冬だというのに、リシアのベッドには真っ白なワンピースがあった。あれには給仕も覚えがある。
レンが初夏に贈っていた、あのワンピースだった。
差し詰め、寂しさを紛らわすために持ち出したと言ったところか。
あれを抱きしめてそうしていたとすれば、何とも可愛らしい話だ。
「っ~~!」
――――リシアは給仕にそれがバレたことに気が付き、装っていた平静がとうとう崩れ去った。
もう我慢ならず……というか、さすがに誤魔化しきれないと思い諦める。
彼女は淹れたての茶を一口飲んでから、茶が注がれたカップを手に窓際へ向かい、
「……な、内緒だからね?」
と言って、給仕を頷かせたのである。




