前座。
『物語の黒幕に転生して』1巻が8月17日に発売です!
更に進み、数十分が過ぎた頃――――
「……大丈夫ですか?」
途中、フィオナが足を止めて俯いた。
彼女は首から胸元に手を添えて呼吸を整えている。どうしたのかレンにはわからなかったけど、ひどく体調が悪そうに呼吸を繰り返していた。
「すみません。ちょっと疲れちゃったのかもしれません」
健気に微笑むも、彼女の額には大粒の汗が浮かんでいた。
実際、彼女自身も体調の変化が疲れによるものだと思っており、それ以上の説明はできなかった。
……でもすぐに落ち着いたのか、気を取り直して歩き出そうとした。
そんなときのことである。
レンは腕を伸ばしてフィオナのことを止めた。
フィオナを守るように立ちはだかったレンは、目の前に生えた木々にじっと目を凝らす。
すると、間もなく。
「ッ――――二人ともッ! 心配したぞッ!」
枝々に雪を乗せた木の陰から、狼男が……メイダスが姿を見せた。
「……メイダスさん」
だが、レンの声が硬い。
一方のメイダスはそれを気にしていない。彼は心から安堵した表情を浮かべ、レンとフィオナに近づいた。
しかし、彼が一歩近付けばレンが一歩離れる。
彼はフィオナを守りながら、メイダスから目を離さず距離を取った。
「ど、どうしたんだい?」
「理由を言わなきゃわかりませんか?」
「……何のことを話してるんだい? もしかして、救助が遅れたから思うところでもあったのか? それなら本当に申し訳なく――――」
メイダスが言い終えるより先に、食い気味に。
「よく、都合のいい御用商人を用意できたな」
メイダスは観念した様子で足を止め、肩をすくめてみせた。
穏やかな仕草、温厚そうに見える表情はそのままに、彼は依然として物腰柔らかな態度を崩さなかった。
「さすがだよ。君は想像以上に頭が回るらしい」
「じゃあ、御用商人もお前の協力者なのか?」
メイダスは白い犬歯を露出して、上機嫌につづける。
「偶然だとも。あの商人は偶然、とある魔物の素材を探していたんだ。それを知った私は彼に連絡を取り、クラウゼルの冒険者ギルドにそれがあると連絡したに過ぎない」
もしや、と関連性を疑っていたレンが口を開く。
「――――それ、鋼食いのガーゴイルの素材だろ?」
「おや? どうしてわかったんだい?」
「わからないわけない。お前がこうして姿を見せた時点で、自白したも同然なのに」
わかりきっている話だ。
わざわざ聞き返してきたメイダスの顔を見て、レンは苛立ちを覚える。
「鋼食いのガーゴイルは餌がなくなったから住処を変えたって予想だったけど……お前、あの魔物が東の森に来るように仕組んだな」
「ふふっ、正解だよ」
「自分で冒険者ギルドに卸さなかったのは、俺がどれくらい戦えるか見たかったんだな」
「ん? いいや、それについては間違いだ」
「間違い?」
「そうとも。私はあのとき、君を殺すつもりで鋼食いのガーゴイルを用意した。奴らが番であることも知っていたからね」
どうやら……というよりあたりまえだが、メイダスはレンがイェルククゥと繰り広げた戦いを知らない。だから鋼食いのガーゴイル二匹で、十分にレンを殺せると判断していたようだ。
たとえレンが、シーフウルフェンを単独討伐した過去があろうとも、である。
「だから君には驚かされたよ。計画に修正が必要になったから、当時は君を思い出して何度腹立たしい思いをしたか……」
「それなら俺が戦ってたとき、お前が俺の後ろから攻撃すればよかったじゃないか」
「もちろんそれも考えたさ。だが、あの頃は妙な女性がいただろう? ほら、豪奢な法衣に身を包んでいた」
「……ああ」
「私としては、彼女はイグナート侯爵が放った君の護衛か何かと勘違いしてね。結局正体はわからなかったが、違うならあのときに手を出しておけばよかったな」
警戒して鳴りを潜め、レンの命を奪う機会を伺ったようだ。
(だから俺のことも、ここに来るように仕向けた)
鋼食いのガーゴイルの素材と、それを欲していた御用商人の存在がうまくかみ合った。メイダスは自分で口にしたように、この情報を利用した。
他に狙っているであろうフィオナと一緒に、レンの命を奪うために。
「で、吊り橋でのことは想定外だったんだろ?」
「やはりかい。どうやった? あれのせいで君たちを探すのに苦労したじゃないか」
さぁ、どうだろうな、とレンが不敵に肩をすくめる。
メイダスはやはり、フィオナの力を知らなかった。おかげではっきりしたことがある。
(バルドル山脈の現状は、メイダスの思惑の中にないんだ)
奴はあくまでも、レンとフィオナの命を奪うことを目標としていた。
彼自身には、バルドル山脈の休火山に働きかけ、更に凶悪な火柱を生じさせられるだけの力はないようだ。
つまり、メイダスたちとは別のナニカが存在している。
「……冒険者さんの言う通り、途中で現れましたね」
「ええ。いつ戦いになってもいいよう、気を抜かないでください」
「……はい」
レンは今日の出発前、フィオナに『話しておきたいことができました』と話しかけ、メイダスらの存在を警戒するよう告げておいた。
そのためフィオナも、戦う覚悟はできている。
レンは鉄の魔剣を抜き、構えた。
一歩、また近づいてきたメイダスを見て、鉄の魔剣を握る手に力を込めた。
「お前の相棒はどうなった? まだ倒れたままなのか?」
と、レンが尋ねてすぐだった。
ふと、レンたちの背後から。
「心配してくれてありがとよ」
物陰から現れたカイに気が付いてすぐ、レンはフィオナを守りながら角度を変える。
「……ついでに、そこの女もな。てめぇに近づいたときに俺の身体が変になったのはゆるさねぇが、それと看病してもらったおかげで、てめぇの力が気になった」
「ッ――――やはり、貴方もだったんですね!」
(予想通りだ。アイツらが倒れてたのは、彼女の影響だったってことか)
レンが知るフィオナの力は、それが他者の魔力にも影響を与えることが可能であるということだけ。カイの言い方では、フィオナが居たせいで彼はあの症状に罹ったということになる 。
無論、周りの冒険者や御用商人も同じく。
「なるほど。俺たちが来る前に彼女を殺そうとしてたんだな」
「そういうこった。もっとも、どうしてか俺の身体にある力がその女に影響されて狂っちまった。おかげで倒れたってわけだが――――」
「で、今度はメイダスと合流して、俺を狙うつもりだったのか」
「ほぉー……本当に頭が回るじゃねぇか」
――――が、ここまでの話だけではレンがすべて感付けた理由が欠けている。
フィオナに関してはなぜ命が狙われてるのか不透明だし、言ってしまえば、ゲーム当時の知識を参考にしてようやく……という話だ。
だがレンには、他にも情報があった。
むしろそちらの方が彼にとって大きな意味を成したし、つづく展開の予想に大きく貢献したのだ。
『それにしても――――やっぱり、英雄派なのかな』
砦を発つ前、レンが呟いた言葉である。
フィオナはそれに「いいえ」と言い、その理由を述べた。
当然、皇族派がフィオナを狙うというのは考えにくい。たとえ皇族派内部で政争があったとしても、あまりにも自殺行為だから。
では誰が、何のために?
それらを考えたとき、以前から知りえた知識がようやく役に立った。
(ゲームと違ってフィオナ・イグナートが生きていて、狙うにうってつけな状況が存在した。そこに、俺と言う存在が介入したことで事情が変わったんだ)
レンは自分を狙うことの意味も予想できる。
彼の命を奪うことで、クラウゼル男爵やリシアに対しても大きな影響を与えられる。たとえばこの二人が、七英雄の伝説Iにおけるイグナート侯爵のようになっても、決して不思議ではない。
それはやがて、レオメルの運命を大きく変えてしまうだろうから。
つまり、
(こうなったら、アイツらの正体がわかったも同然なんだ)
眉をひそめたレンの視界の端で、ぶっきらぼうに言ったカイが剣を抜いた。
すると彼は、
「ってなわけで予定変更だ。俺たちはフィオナ・イグナートの力を確かめなきゃ――――」
剣を抜いたカイがレンに襲い掛かろうとした。メイダスも片手に剣を構え、もう一方の手に杖を構えた。
だが、二人の動きが止まる。
レンが予想のすべてに答えを得るべく、もう一度口を開いたためだ。
「お前ら、身体に魔王教の証が刻印されてるだろ。その魔王に関係した力が彼女の影響で暴走したせいで、周りの人間の魔力も暴走したんだ」
レンが言えば、カイとメイダスが同時に言葉を失う。
やっぱりだ、と、レンは頷いた
(メイダスの体調が変わらなかったのは、アイツが魔力への耐性がたかい装備を身に着けていたってところか)
ついでにいまのカイが無事なのも、装備を変えたからだろうと想像がつく。
それにしても、
(レンになってから、はじめて口にしたな)
これまでは魔王復活を企む、などのそれに準じた言葉で濁してきた。
それはきっと、レン自身があまり口にしたくなかったからで、まるで言霊のようにその縁が深まることを無意識に避けていたからだろう。
「ぼ、冒険者さんっ!? いまのは……っ!?」
「……俺も噂程度にしか知らなかったんですが、そういうことみたいです」
フィオナへの説明はこう濁した。
魔王の単語がでたことで、フィオナも多くを想像できたようだ。
「噂程度って……そんな軽い内容じゃ……っ!」
「すみません。ちょっと事情があるので、確認せずにはいられませんでした」
正直、先ほどの発言は慎むべきか迷った。
知識をひけらかし、驚く相手を見て気持ち良くなるだけなら避けるべきだから。
しかしレンにしてみれば、誰が何の目的でこんな騒動を引き起こしたのか、それを調べずには居られなかったのだ。
すべてはこれからのために、自分がどう振舞うべきか考えるために。
「カイ」
「ああ。女だけじゃねぇ。二人とも連れ帰る必要がありそうだ」
どうせ、戦うことに変わりはない。
二人はレンとフィオナに対して力を振るい、レンとフィオナはそれに抵抗する。
いまさっきの確認も、別に大した影響はないだろう。
「殺すなよ、カイ」
「ああ、任せておけって――――いくぞォッ!」
カイが勢いよく踏み込み、大きく振り上げた剣をレンに向けた。
当然レンも、受け止める姿勢でいる。
けれど、見ているだけでわかる。あの男はおおよそ、クラウゼルにいる他の冒険者と違い膂力に富んでいる。
これまで見せることのなかった、隠していた力と言ったところか。
「……っ」
そのときだった。
「どう、して……こんなときに……っ」
「イグナート嬢ッ!?」
フィオナがレンの背で大きく身体を震わせ、彼女が急に膝をつく。上半身を両腕で抱くと、不規則な呼吸を忙しなく繰り返した。
「所詮お嬢様かッ! 身体が限界だったみたいだなッ!」
「ああ! どうやらそうらしいッ!」
「助かるぜェッ! おかげで楽に戦えそうだッ!」
この二人はどれくらい強いのだろう? そんなことを考える間もなく、レンは盾の魔剣を用いて自分たちを守った。
フィオナの様子を見て、対する二人組を見る。
どうして。何が起こったんだ。
フィオナは遂に横に倒れ、苦しそうな呼吸だけを繰り返す。
(ッ……まさか、器割れが!?)
最終試験に参加していたことから、彼女の病は完治したかそれに準ずる状況であろうと思っていたが、最悪の場合として、再発したのだろうか、と。
「悪いな! この状況だから手は抜いてられねェッ!」
「後でこの不思議な力も聞かせてもらうとしようッ!」
レンが作り上げた魔力の盾は思いのほか、あっさりと砕け散った。
それほど二人組の力が強い。いくら相手が二人だったとしても、鋼食いのガーゴイル以上の衝撃だった。
――――あまりにも、分が悪かった。
間違いなく実力者である二人組を前に、更にレンはフィオナを守りながら、それも長旅による疲労も困憊している。
だけどレンは、諦めずに戦った。
作り直した魔力の盾で自分たちを守りながら、鉄の魔剣を幾度も振った。
剣閃が舞い、この不利な状況でもほぼ互角に戦ってみせたのだ。
「くそッ! 面倒なスキルだなッ!」
「ふっ、だがそう長くはもたないさッ!」
二人が言うように、このまま戦いつづけてもいずれはレンの魔力が尽きる。
その前に勝負を決めなければいけないのだが、対峙する二人組も辺りの溶岩流を見て、ここで長期戦をすることを避ける。
「カイッ! やってしまえッ!」
メイダスが咆えた。
相棒のカイはレンから少し離れたところで剣を上段に構え、不敵に笑む。
「戦技を見たことはあるか? ――――なぁ、英雄さんよォッ!」
カイの剣が白光を纏う。
やがて、メイダスがレンの盾を砕いた刹那……勢いよく前に踏み込んだカイの剣がレンに迫った。
「この……ッ!」
レンは鉄の魔剣を真横に構えて防ぐも、カイの剣が放つ光がレンの身体能力を奪った。魔法によって強化された力をそのままそぐかのように。そのせいで、レンの防御はほぼ崩れてしまう。
そこへ、メイダスの追撃が届くも、レンの剣戟が僅かに早かった。
「はぁ……はぁ……」
レンは手の震えと疲れに喘ぎながらつづける。
「お前……魔王教徒の癖に、聖剣技なんか覚えてるのか……ッ」
「あん? つまらねぇな、知ってたのかよ」
知ってるとも、とレンは不敵な笑みを繕った。
聖剣技・光落とし。
剣に纏わせた魔力が、相手の魔法的防御を弱体化させてダメージを与える戦技。使い勝手がよく、レンも何度か世話になったことを覚えている。
(少なくとも剣豪ってことかよ……ッ!)
剣豪というのは、剣聖の一つ下の強さの基準だ。
光落としはその剣豪でなければ使えないとされており、カイがその剣豪に値することの証明である。
そりゃ強いと思いながら、レンは頬の汗を拭った。
「メイダスッ! もう一度だッ!」
あまり、良い状況ではない。
魔力の盾が砕かれ、そこへ戦技という状況は勘弁願いたかった。
(考えろ……レン・アシュトンッ!)
このまま盾の魔剣を使い、砕かれたらすぐに新たな盾を生み出すなんて戦い方が長く持たないことは重々承知の上だ。
しかし、そうでなければフィオナを守れない。
それこそ、木の魔剣や盗賊の魔剣を用いて戦える方法も考えなければ……そう、思ったときのことだ。
レンは自らの頬に、これまでになくヒリつく熱を感じた。
でも、自分だけのようだった。対する二人組はそれを感じた様子を見せず、彼らはほぼ勝利を確信しているように見えた。
「いまのは――――」
「よそ見してる場合かいッ! 英雄殿ッ!」
「ああッ! 諦めたってんならそう言ってくれねぇとなッ!」
二人がいま一度、レンに迫ろうとしていた。
前衛を務めるメイダスがもうすぐ、レンに向けて剣を振り下ろす。
……ヒリつく熱が、更に増した。
レンは防戦一方を強いられながらも、その気配に気を配る。
「そろそろ終わりだな――――しばらく眠っていてもらうぜッ!」
と、先ほどのようにカイが咆えると同時だった。
暴風……深紅に染まる炎の風だった。
それがカイの身体を吹き飛ばしてしまい、雪の地面に腰をついた彼は「んだよ、いまの!?」と悪態をついた。
が、彼が立ち上がろうとすると、その余裕が失せた。
足元から現れた火柱が、天穿つ勢いで舞い上がっていく。
「……これ、なん――――」
疑問の言葉を言い終えるより先に、カイの姿が消滅した。文字通り、この世界から消滅してしまったのだ。
焼き尽くされたナニカも残らず、火柱の後には何も残らない。
「カイ……? どこへ行ったんだ……?」
きょとんとしたメイダスの傍で、レンはそれに目もくれずフィオナを担ぎ上げた。
ここには居られない。急転した現状ながらも冷静にフィオナを守ったレンが、メイダスの傍を脱して間もなく。
周囲の大地から、勢いよくマグマが飛沫を挙げた。
その奥から生じた火柱が幾本も空に伸び、メイダスに襲い掛かる。
「この炎……まさか――――ッ」
何かに気が付いたメイダスがハッとした表情を浮かべた。
彼は一瞬、一足先に対比していたレンの背を見て、その背を追いかけようとした。
けれどその道は炎に封じられ、前後左右――――全方位から灼熱が押し寄せる。
「……」
前座、端役、余興。
自分とカイの存在がその程度でしかない事実に自嘲して……。
炎が身体を包みこむ間際、彼は思う。
たとえば、魔王の手先であっても前座にならざるを得ない存在のことを。
たとえば、それが伝説に名を遺す、自分では相手にならぬ存在のことを。
すべて霞となり、自分の手の下から消えてしまう。
もう、馬鹿な、と文句を言う気力も残されていない。
不思議とこうなると、頭が冴えるものだ。メイダスは最期に、フィオナの力を悟って一人笑い。
「――――道理であの女は魔物をおびき寄せ、皆の魔力を狂わせたのだな」
最期に見た景色は、限りなくつづく深紅だ。
眩い深紅が視界一杯につつみこむと、痛みや熱を覚える間もなく死に絶える。
火柱は、人知を超越した熱の結晶だった。




