白銀の山脈を目指して。
「しかし少年。だからと言って、少年が行くべき理由とはなるまい」
「ああ、その通りだな」
レザードは踏ん切りがつかなかった。
何度も世話になっているレンに、今回もまた世話になると思うと気が引ける。
しかしレンには、自分が行った方がいいと言い切れる理由があった。それは木の魔剣による、自然魔法の存在だ。
(俺の自然魔法なら、冬のバルドル山脈でもいきるはず)
もちろん、剣の腕をはじめとした力も活用できる。
ヴァイスが行けば一番いいだろうとレンはしっていたけど、彼はこの屋敷でレザードとリシアの傍にいるべきだ。イェルククゥの襲撃を思い出せば、それ以外の選択は考えられない。
ただレンは、魔剣召喚にかかわる情報を誰にも告げていない。
状況が状況だったためリシアは目の当たりにしているが、かといって彼女も、レンが語ろうとしないから詳細は尋ねず、更に父のレザードにも教えていなかった。
ここでレンがその力を隠してきた理由は? となるが、幼い頃は何となく軽率に口走ることを避け、ゲームのシナリオを思い返して口を噤んだにすぎない。
ただ最近になってからは、自衛のためにもあまり公にする気が無かった。
特別な力だからこそ、その利点を常に生かすべく隠している側面が大きかったのだ。
「――――俺はロイ・アシュトンの息子です。たとえ家督を継いでなくとも、騎士の子として何もせずにいることはできません」
レザードを認めさせるため、レンはこれだけでは足りないと思いながら感情を声に出す。
レンの瞳から漂う力強さは、春の騒動を思い返させる。
ギヴェン子爵の弁にリシアが詰まった際、彼女を助けるべく口を開いたときのレンに酷似していた。
すると、レザードが目を伏せた。
彼は十数秒に渡り何か考えてみせると、短く息を吐いてみせた。
「ヴァイス。レンがまだ村に居た際、お前はロイからレンがスキルを持っていると聞いていたな」
「はっ。間違いありません」
「……ならばこういうことだ。レンはいま、そのスキルが此度の一件でも役立てられると思っている。いつにもまして感情的だったのは、それを口にできなかったからだろう」
看破されたことにレンは驚きながら、その感情を必死に隠した。
レザードはレンが平静を装っていることに気が付きながらも、そのことは指摘しない。
代わりに、レンの気持ちを尊重したのだ。
「本当にレンは頭がいい。強さを語ることとは裏を返せば、弱点を語るも同然。リシアのように聖女であれば話は別だが、そうでなければ、スキルを他者に知らせる利点はあまりないからな」
「……レザード様」
「構わん。レンのスキルについては己の胸に秘めておきなさい」
だが、レザードは確信に至った。
レンが隠すスキルは、間違いなく今回の件でもいきるだろうと。
レンが強い自信を孕んだ声で自分が行くと言い、それがクラウゼルのためであるということを知った。
「――――ヴァイス、倉庫にある魔道具をレンに持たせてくれ。どれでもいい。邪魔にならない限り、必要なものは全部持たせて構わない」
「はっ!」
意気揚々と返事をしたヴァイスが執務室を飛び出した。
おいていかれたレンは「いいんですか?」とレザードを見る。
「当たり前だ。当然、帰ったら褒美も受け取ってもらうぞ。断ることは許さん」
「……承知致しました。そのためにも、なるべく早く戻ります」
そうしてくれ。
レザードはつづけてこう言って、無理はしないようにとレンに厳命した。
一方でレンはそれを受けて執務室を出て、一度旧館に戻るべく足を進める。遠出の支度に取り掛かるためだ。
すると、
「――――レン」
リシアがレンに声を掛けた。
本邸のエントランスから旧館に向かう道に差し掛かってすぐのことだった。
「起きていたんですね」
「当たり前でしょ。私だってクラウゼル家の人間なんだから、お父様と同じようにするべきことがあるわ」
「言われてみれば確かに」
「それで、レンは何をしようとしてるの?」
実のところレンは、リシアに告げず屋敷を出るつもりだった。
それで心配させるのは本意ではないし、そもそも彼女が寝ていたら、わざわざ起こすのもどうかと思っていた。
だが、リシアはそんなレンの思惑をわかっていた。
「まさか、私に内緒で何かするつもりじゃないでしょうね?」
「……そんなわけないじゃないですか」
「ふぅん……そう」
バレているのはレンにもわかった。
だというのに開き直る姿を見て、リシアが深く深くため息を吐く。
「どうして誤魔化すの?」
「別に誤魔化してなんて……」
「うそ。レンは隠し事が私にバレてるのに気が付いてるくせに、それでも誤魔化そうとしてる」
どうやら彼女は知っているらしい。
レンが隠す意味はもうなかった。
「心配をかけてしまいますから、黙って出発するつもりだったんです」
「はぁ……そんな馬鹿なことを言うのなら、これを期に覚えておきなさい」
リシアが更に距離を詰め、レンの手を握った。
彼女の手から生じた白光がレンの身体を包みだす。
「私はレンに黙って居なくなられる方が、ずっとずっと心配になるの」
レンの身体は活力に満ち溢れ、全身に力が漲った。
「いまの、神聖魔法ですか?」
「うん。けど、無理をしていいって意味じゃないから、勘違いしないでね。レンが怪我をしないように、少しでも身体が軽くなるための神聖魔法よ」
だからこれは、神聖魔法のバフではない。
あくまでもレンの身体に溜まった疲れを解消し、彼が動きやすくなるよう、少しだけ力を貸しただけだ。バルドル山脈に着く前はおろか、クラウゼルを発って数時間もすればわからなくなってしまう、そんな小さな手助けだった。
「ヴァイスには私も行くって言ったんだけど、すぐにダメって言われちゃった」
リシアが事情を知っていた理由がわかったレンは、道理で、と頷く。
ついでに、彼女の無理な申し出には「当たり前です」と苦笑した。
「仕方ないから、ここで待っててあげる」
「そう言っていただけると、俺も頑張れる気がします」
「……だったら、一つ約束なさい」
リシアは握ったままだったレンの手に力を込めた。
ぎゅっ、と力が入るにつれて、彼女の気持ちまで伝わってきそうな錯覚に浸る。
レンを見上げた彼女の瞳は、息を呑む美しい迫力と必死さを孕んでいた。
「――――絶対に絶対に、無事に帰ってくること」
きっとリシアは、自分が同行できないことにまだ納得していない。
その理由は理解しているはずだが、気持ちがそれをよしとしていないのだ。
神聖魔法然りいまの約束然り、その悲痛な感情を慰めるためのものということが、レンには痛いくらい伝わった。
◇ ◇ ◇ ◇
クラウゼル家の騎士や、冒険者たちで一団を成しての冬場の行軍は、魔物への憂いを感じない頼もしさがあった。
しかし、バルドル山脈までの道のりは、雪のせいで普段より数日多く要した。
(……本当に、来たんだ)
面前にそびえ立つ、白銀の峰。
以前見たときは雪化粧が残るだけのそれが、いまではすっかり銀一色に染まっていた。
磨かれた剣を思わせる鋭利な山肌はそのままに、自然の猛威だけが増している。
リシアとの逃避行中に見た光景とはまったくの別物で、ゲーム時代のラストステージに恥じぬ荘厳さを誇っていた。
「やはりとてつもない雪の量ですね」
クラウゼル家の騎士が言った。
これまでの道中で寄った村々も雪の被害を被っていたが、バルドル山脈は更に別格の降雪量を誇っている。
「ですね。そのせいでどう進めばいいかよくわかりません」
一団は普段、バルドル山脈に入る冒険者たちが使う道の前で止まっているのだが、
(ゲーム時代は夏に来たから、こんなことにはなってなかったな)
どうしたものかと思ってしまう。
降雪量が予想以上で、道と言える存在が見当たらない。
辺りには大の大人よりも積もった雪ばかりだ。
そこで、同行していた狼男のメイダスが言う。
「魔道具で雪を溶かしたり、風で退かすこともできなくはないが……」
「雪崩の原因になりませんか?」
「ああ。英雄殿が言うように、そんなことをすれば雪崩が起きてしまう。……結局のところ、我々は雪を避けながら進むしかないのさ。もっとも、有翼人のように羽があれば別だが」
ないものねだりをしてもしょうがない。
仕方ない、そう考えたレンは騎士と顔を見合わせて頷く。
「冒険者諸君、我らは先に拠点の設営をするべきと提案する」
「同意する。まずは拠点を設け、今後の予定を調整しよう」
「では、出発は明日にしよう。今日はもう昼を過ぎているし、拠点を設営し終えたらもう日が暮れる」
騎士の中にも冒険者の中にも、その決定を悔しく思う者はいた。
実は一行は昨日もバルドル山脈中腹の砦から上る狼煙を見ており、一行が生存しているのを確認している。
だからこそ、一刻も早く救助に向かいたかった。
自分たちが遭難してはならないから決定は理解できるが、心が落ち着かない。
(けど、)
今更ながら、気になったことがある。
依頼人の商人を守る冒険者は複数人いるはずだ。これはレンがカイに指名依頼を受けた際、その本人に聞いたから間違いない。
なのに、いくらひどい降雪だからと言って身動きが取れなくなるだろうか。
この世界は前世と違い、冒険者ともなれば身体能力はとても高い。
魔物が別に強くないのなら、プロの冒険者がそこまで追い込まれるのかと疑問に思った。
「すみません」
と、レンはその疑問を騎士に尋ねる。
「すごい雪なのはわかりましたが、冒険者はこれだけで動けなくなるものでしょうか?」
「……難しいところかと。魔物の素材を用いた装備に加え、魔道具があれば下山は可能かと思われますが、今回は護衛対象がおりますので」
ですが、と騎士がつづける。
「もちろん、護衛対象がいても不可能とは申しません。冬のバルドル山脈を通過する予定なら、相応に経験豊富な冒険者が選ばれているはずですしね」
「ってことは、下山できても不思議ではないってことですか?」
「はい。無理をせず、救助を待つという判断をしたのかもしれませんが……あるいは、怪我人が出て身動きが取れない可能性もございます」
確かにそうなれば救助を要請してもおかしくない。
騎士は最後に、「いずれにせよ、救助を急ぎませんと」と言った。




