寒くなってから【前】
「物語の黒幕に転生して 1巻」8月17日に発売です!
リシアの誕生日から、しばらくの時間が過ぎる。
レオメル帝国におけるほとんどの地域で、冬の装いが見られだした頃のことだ。
レンが住まうクラウゼルから遠く離れた大都市、白い王冠ことエウペハイムでも街路樹の葉が落ち、枝々を薄っすらと雪化粧しはじめていた。
――――そのエウペハイムに鎮座する大豪邸、イグナート侯爵邸に、一人の客人が足を運んでいた。
「お待ちください」
その客は、正門前に立つ騎士に足止めされる。
「恐れ入りますが、お約束はございますか?」
イグナート侯爵に仕える騎士は丁寧に相手を見定める。ここで自分が相手を軽んじてしまえば、主君イグナートの顔に泥を塗るからだ。
だから騎士は、相手が顔を見せなくとも丁寧な対応を心掛けた。
たとえ相手がローブに身を包み、深く被ったフードで顔を見せていなかったとしても、だ。
「……あ、ごめんね」
その客が慌てた様子でフードを外した。
そして、騎士へ見せつける。息を呑む美と、どこか妖精のような可憐さを湛えたその顔を。絹に劣らぬ艶を誇った金の髪を。
「ボクだよ。約束はしてないんだけど、大丈夫かな?」
騎士は客の――――彼女の姿を視界に収め、衝撃を覚えながらも頭を下げた。
「失礼いたしました。貴女様とはつゆしらず」
「ううん、平気。姿を隠してたのはボクなんだから、気にしないで」
「寛大なお言葉に感謝いたします。では、中へ。主は執務中ですが、貴女様がいらしたと聞けば、必ずお会いになりましょう」
そうして、騎士が急な来客を屋敷へ案内する。
良く整えられ、見目麗しい庭園を横切っていると、他の使用人たちもその姿に気が付いて頭を下げる。
ある者は立ち止って敬礼し、ある者は茶の用意をするべく奔走した。
たはは、と客人は申し訳なさそうに笑うも、皆の様子は変わることがない。
――――二人は華美な屋敷の中を進んだ。
中は広く、小城と称されるにふさわしい規模を誇ったけど、イグナート侯爵は自身が使う部屋は屋敷に入ってすぐに配置しているため、彼の執務室はそう遠くない。
その執務室の前に着くと、扉の前にはエドガーが待っていた。
「久しぶりだね、エドガー」
「こちらこそ、お久しぶりでございます。先ほど、御身のお姿を拝見したのでこちらでお待ちしておりました」
エドガーは言い終えるとすぐ、騎士から客を引き継いだ。
彼が主君の執務室の扉をノックすれば、すぐに返事が届く。
「どうぞ」
そして、エドガーが扉を開けて客を中へ入るよう促したのである。
床一面に敷き詰められた漆黒の絨毯が視界一杯に広がった。しかし、銀を多く用いた調度品と相まって、決して暗すぎる印象はない。
やや冷たい印象はあるが、派手さがなく品が良かった。
「こんにちは、イグナート侯爵」
客人が執務室に入ってすぐにそう言えば、
「ご無沙汰しております。――――まさか帝国士官学院が学院長、クロノア様がいらっしゃるとは」
執務室の最奥、窓の手前に置かれた机を離れてイグナート侯爵が言う。
客人こと、クロノアは申し訳なさそうに苦笑しつつ、イグナート侯爵が座るよう促したソファまで歩いた。
「急に来てごめんね」
「いえいえ! クロノア様でしたら歓迎しますとも! あ、ほらエドガー! お茶と、何か甘い物を!」
「う、ううん! 実はエドガーも同席してほしいんだけど……ダメ、かな?」
「――――だそうだから、エドガーは他の給仕に指示を出してくれるかい?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
すると、エドガーは主君の声に従い一度部屋を出る。
部下へ軽く指示をしてから、数十秒と経たぬうちに執務室に戻った。
そして彼は、クロノアの対面に座った主君の後ろに控えた。
「今日はどうされたんです? クロノア様は急な仕事で帝都を離れたと聞いておりましたが」
「あれ、知ってたんだ」
「ま、仕事の内容までは知りませんがね」
「ふっふっふー……それは秘密だよ。ひーみーつ」
得意げに笑ったクロノアを見て、イグナート侯爵は肩をすくめた。
「だと思いました。ところで、本日はどのようなご用件で?」
「別に用事はないよ。ちょっと近くを通りかかったから、せっかくだし寄って行こうと思っただけ」
あ、でもね。
クロノアがつづける。
「用事ってほどじゃないんだけど、ボクはエドガーに聞きたいことがあったんだ」
「おや? 私にですか?」
「そうそう。だから同席してくれないかなーって相談しちゃった」
「ふーむ……うちのエドガーに聞きたいこととは?」
クロノアは二人に疑問を投げかけられ、間を置くことなく理由を述べる。
「エドガーが春にした仕事について聞きたいんだよね」
「……なるほど、私がクラウゼルに出向いた際のことでしたか」
「しかしクロノア様。当時の件はこのユリシスが帝都に報告していたと思いますが」
「あー……イグナート侯爵の報告はボクも読んだよ。けど、ギヴェン子爵自身の話はあんまり興味ないんだ。立場上、あんまり政治的な話には口を出さない方がいいだろうし」
では、なぜ聞いてきたのだろう。
新たに疑問を抱いた二人へと、クロノアが遂に真意を告げる。
「レン君の話を聞かせてくれる?」
すると、イグナート侯爵とエドガーの眉がピクっと動いた。
彼らはクロノアの口からレンの名が出たことの意味がわからず、若干の警戒心を心の中に宿してしまう。
けれどそれは、すぐに見破られた。
「た、たはは……二人に警戒されちゃうと、さすがのボクもびっくりしちゃうなー……」
そして、このマイペースな返事に二人は毒気が抜かれた。
「一応、お尋ねしても?」
「はえ? 何をだろ?」
「なぜ、レン・アシュトンの情報を求めているのか、です」
イグナート侯爵の問いかけに、クロノアは答えに詰まった。
対するイグナート侯爵は真摯に、そして神妙に理由を尋ねているけど、クロノアはその影響で、「レン君のこと、気にいっちゃって」という軽い返事を飲み込んでしまったのだ。
「ご存じかと思いますが、一部の者にしか我が娘、フィオナの病は告げておりません。しかしクロノア様には、フィオナがクラウゼル家の世話になった件を共有してある。何故なら私がシーフウルフェンの素材を探していた際、貴女様にも伺いを立てたからです」
「……うん。そのときは力になれなくてごめんね」
「いえ、シーフウルフェンはただでさえ個体数が少ない魔物。見つからなくて当然と言えば当然の結果でございました。それにクロノア様は、代わりの魔道具をご提供くださいました。感謝してもしきれませんとも」
ここで閑話休題。
会話をしていた二人は到着した茶に口をつけ、喉を潤わせた。
「私はレン・アシュトンに、アシュトン家に、クラウゼル家に多大なる恩がある。なので理由も知らず教えるのは、気が進まないのですよ」
大国レオメルの中心で腹芸をつづけ、数多の政争に勝ちつづけてきた大貴族。
そのイグナート侯爵の目には、武力とは違う、息を呑まされる圧があった。
だが、クロノアもまた一握りの強者。
その気になれば、エウペハイムのすべてを焦土と化せる実力をその身に秘めている。
その彼女は一歩も引かなかった。
問題は、レンについて聞きたかった理由が、端から端まで個人的な理由であることなわけだが……。
「ボク、レン君に会ってきたんだ」
もう、隠してもしょうがない。
素直に理由を、話を聞こうと思った経緯を語ることにした。
「レ、レン・アシュトンに会ってきたんですか……?」
さっきまで圧を放っていたイグナート侯爵が、一瞬で唖然とした。
「うん。ほんと、偶然だったんだけどね」
「お、おおー……つまり、クラウゼルに行ったと?」
「仕事でね。だから、彼と会えたのはほんと偶然だったんだよ」
彼女は二人に語り聞かせた。
レンとはじめて会ったときのことや、森で再会し、鋼食いのガーゴイルを一人で二匹も討伐したことを。
そして、バルドル山脈近くの村でまた会って、自分を守ってくれたことを。
「ボク、守ってもらう経験なんてお父さんくらいしかなかったからさ。あれっていいね! 嬉しい気持ちになっちゃったっ!」
ここで遂にイグナート侯爵が、エドガーが悟った。
この女性は、レン・アシュトンに何かしたいわけではなく、単に自分が気に入ってしまったから話を聞きたいだけなのだ、と。
そのため、エドガーはイグナート侯爵の許しを得て語りはじめた。
クラウゼルで起こったあの騒動の際、レン・アシュトンが起こした奇跡のような一幕を。
「ほんとにすごいなぁー……あんなに可愛くて強いのに、頭もいいんだ」
「ですが残念なことに、私はお嬢様へ、レン様のご容姿などをうまくご説明できなかったのです」
「うん? どうして?」
「彼が満身創痍だったから、だそうですよ」
最後の言葉はイグナート侯爵の口からだ。
イェルククゥとの戦いを経てクラウゼルに戻ったレンは、リシアに支えられながら同じ馬に乗っていた。
エドガーは、そのレンが鋭い言葉を発した姿をいまでも覚えている。
だがレンはすぐに療養のために隔離されてしまったから、レンの容姿を見れたのは僅かな時間だった。
――――三人はレンの話に花を咲かせ、その後もしばらく会話をつづける。
そうしていたら、やがて窓の外に広がる空が夜の帳に覆われだす。
「そろそろ行かないと」
クロノアが言い、ソファを立った。
「泊まっていきませんか? フィオナも喜ぶと思いますよ」
「うーん……そうしたいのは山々なんだけど、今夜中に魔導船で帝都に帰らなくちゃ。でもでも、フィオナちゃんには会って行こうかな。もう大丈夫だろうけど、久しぶりに診ておくね」
「主。私がクロノア様をご案内いたしましょう」
「頼んだよ。私はそうだな……お見送りの支度でもしておくとしよう」
皆がこうして執務室を離れ、エドガーはクロノアを連れてフィオナの下へ。
「フィオナちゃんはどこにいるのかな」
「本日はご自室で、夕方まで勉学に励んでおられます」
その邪魔になるかと思ったクロノアだけど、念のためにフィオナの体調を確認するという目的があったから、少しだけと思って足を進めた。
明日もまたどうぞよろしくお願いいたします。




