終わりの一枚。
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そのとき、フィオナは確かに耳にした。
支え合うリシアの全身から響きだした、あの音色を。
「リシア……様!? また音が……!?」
「……ごめんなさい。私、こんなんじゃダメに決まってるのに」
いま、リシアはレンに守られているわけでも、ローゼス・カイタスのように彼を守っているわけでもなかった。
一方的に守られるわけでも、守ろうとしているわけでもない。
「一緒に立つって……!」
ローゼス・カイタスの戦いが終わったあの夏……剣王になると言ったレンの、誰より近くで剣を持つと。
憧れはそのままに、一つ先へ。
彼と立ち並ぶ、覚悟へと。
「そう――――決めたじゃない!」
レンのそれとはどこか違う、耳にすると涙が浮かびそうになるほどの美音。レンにも劣らず美しく澄んだ音色だった。
リシアとフィオナを襲う圧は瞬く間にかき消され、音色がさらに鳴り響く。
音色はやがて静まり返り、彼女が手にした白焉が波動を纏い――――
ここに、剣聖は謳った。
「だから……私だって!」
権能ノ剣が、二つ。
剛剣における剣聖の証がいまここに、同時に二人の手により放たれた。
長い歴史においても特に稀有で、前例に乏しい現象。
使用者により特性が異なる特殊な戦技によるものが、彼ら二人にしかできない光景を生んだのである。
「あり得ない……こんなことが……っ!?」
マシェリアの慟哭のあと、放たれつつあった力が一際大きく膨張した。
強大な光球は爆ぜるに至らず――――ダイヤモンドダストを想起させる光り輝く波動が、レンが放つ二色の波動を支える。
美しい氷が周囲の魔法を防ぐ中、そのときは訪れた。
宙を舞っていた光がかき消されていき、魔力の残滓へと変貌。放たれかけていた力は、耳を劈く衝撃音とともに消滅した。
光の粒子が舞うその奥に、マシェリアはレンたちを見ながら絶句。
レンはすぐ傍にいるリシアを見て、
「リシア! いまのは!?」
「説明はあと! 私だってまだよくわかってないの!」
マシェリアはまだ健在。禁書もそうだ。
そして――――その様子は変わった。
三人は瞬時にその事実に気が付くと、すぐさま身構えた。
「マシェリアは、この世界を嫌悪する」
世界の深層に残された、手つかずの記憶を。
そのためにも戦いを終えて、神の朧を記憶の禁書に吸収させなければ。
レンたちは剣を構え、魔法の構えを取り、衝撃を覚悟した。
「名も知らぬ田舎で生まれ、老衰で死ぬようなつまらない人生を。大都市で生まれ、多くのことを経験した挫折はあれど波乱に富んだ人生を。旅する運命に従う故郷を知らない人生を。マシェリアはそのどれも愛している」
亡国の公女は、歌った。
「だが……偉大で愚かな主がもたらす日記のような無味な人生を、マシェリアは何より嫌悪する」
マシェリアは新たに禁書のページを破り、宙に放った。
宙を泳ぎ天井高く浮かび上がると、周囲を満たす神の朧を引き寄せながら膨大な魔力を巻き込んでいく。
人の身に余るほどの力を、ただの一枚のページを介して……。
「故にマシェリアは……この世界を否定する!」
彼女の指先が掴んだのは、禁書の中でも最後のページ。
咆哮と共に、禁書の一枚のページが一瞬で光珠へと姿を変えた。
「終わりの一枚――――メディルの言葉だ!」
記憶の禁書から立ち上がる魔力が柱を成し、すべての力を膨張させてこれまで以上の光を放つ。
音はそのとき光に吸い込まれ、無音の空間にて三人が互いを見た。
その刹那――――
吸い込まれていた音が突如として戻り、レンたちが経験したことのない衝撃波と破壊力に満ちた光を爆裂させた。
レンが、リシアが権能ノ剣にて受け止めんとして。フィオナがすべてを振り絞り、氷の魔法ですべてを凍てつかんとして。
三色の波動と強大な氷に押し寄せるのは、絶望的なまでの破壊力。
その衝突による衝撃はさることながら、三人は決して諦めなかった。
「俺たちは……必ず……!」
けれど、足りていない。
剣聖が二人になっても、フィオナという魔法使いがいても。
消耗しきった三人でこれは防ぎきれず、レンが手にしていた炎の魔剣がはじめて砕け散ったのだ。
その衝撃でレンの身体が僅かに後退、同時にマシェリアが放った力がさらに強く押し寄せる。炎の魔剣が砕けたことでレンの身体から膨大な魔力が失われ、意識が遠ざかりかけた。
しかし。
レンが歯を食いしばり、それに耐えながらも膝をついたとき。
何か妙な気配と熱が生じると、世界が極限までコマ送りに変わった。
どこまでも白い光がレンの視界を満たすと、彼はその背に熱を感じた。それは過去、彼が感じたときと違い闇に侵されていない。
気高く、そして美しい。
どこまでも深い、紅の炎。
――――なんと脆弱。なんとか弱い。
龍王の炎はその先に影を映し、揺らいでいた。
「……うるさい。どうしてお前の炎が出てきたんだ」
幻視、はたまた走馬灯。
この感覚の中で炎は語った。
喰らい尽くせ。一切を灰燼へと変え、王威を示せ――――と。
「……言われなくても、そうするつもりだ」
炎は、影は、揺らいだ。
なれば為せ。あの穢れた書物は余の最後の戦いを愚弄した。貴様は余を屠ったアシュトンとして、その侮辱を断罪しなければならない。
「……わかってる。負けるつもりなんてない」
なれば握れ。いま一度、開闢の炎をその手に収めよ。と炎と影は再び揺らぐ。
レンが、再びその足で立ち上がった。
世界が少しずつ動きはじめた中、彼を案ずるリシアとフィオナへと、横顔で大丈夫――――と微笑を浮かべて。
「お前に言われたからって、こうしてるわけじゃない」
心の中で、龍王の影に向けて声を発した。
レンの瞳に浮かんだ覇気。再び顕現した炎の魔剣を手に、一歩……さらに一歩前へと進む雄々しき姿。
龍王の声が、今度は鮮明に。
『黒の剣がなくとも、呼び起こせよう』
「……黒の剣、って」
もしかするとあのとき、レンがフィオナの力に影響されて迷い込んだ空間にあった、漆黒の長剣のことだろうか。
龍王は応えず、レンの背に告げた。
『あの戦いを愚弄した者を許すな』
湧き立つ炎は龍王を屠りし開闢の炎。神性ですら畏怖すべき、何者をも焦がすはじまりの劫火。
世界はいま、完全に動きを取り戻した。
レンが一歩、為すべきことを為すべく前へと踏み込んだ。
「まだだ……マシェリア!」
「馬鹿な――――まだこれほどの力を!?」
レンが炎の魔剣をいま再び力を振り絞って振り下ろせば、炎は地を這い禁書に届く。
神の朧、あるいは記憶の禁書の力によりその炎はほとんどがかき消されてしまったものの――――レンの意志が勝った。
「はぁあああああああ!」
記憶の禁書の表紙、そこに埋め込まれた宝石に炎が触れた。
宝石が炎を帯び、その中心からヒビが入りはじめる。宝石がとうとう音を立てて砕け散ってしまうと、魔力の輝きが解き放たれた。
禁書に宿る神代の力は、宙を流れてレンの腕にある腕輪へと。
レベル8:特定条件下において、魔剣の覚醒を解放する。
足りなかったのは、魔剣召喚術が持つ位階のみ。
レンの今日までの積み重ねがあれば……使いこなせるはず。
炎の魔剣の文字が揺らぎ、霞み、文字が変わりゆく。不規則に文字が化け、それはやがて名を変えていく。
・炎の魔◆(レベル1:■/1)
あのとき……バルドル山脈のときと同じように。
レンは見なくてもわかった。炎の魔剣の名が、とうとう変わりきったということを。
その剣の名は。
「炎剣、アスヴァル――――!」
数年を経て、その剣は再び世界へ舞い戻る。
レンが手にしていた炎の魔剣は瞬く間にその威容を変える。過去、フィオナがバルドル山脈で目の当たりにしたのそれへと。
いままでにないほど膨大な魔力が吸い取られていくが、立っていられるなら十分だ。
「……あのときの炎なんですね!」
「はい! いまなら、あのときより使いこなせるはずですから!」
彼はそう言うと、共に前衛を務めるリシアとも目配せ。
「だったら――――レン!」
「ああ! これで絶対に!」
マシェリアは理解していた。
レンが手にした炎こそ、彼女が垣間見た龍王の力に連なるものであると。彼がその剣を手にするまでに、どれほどの鍛錬を積み重ねてきたのかを。
「どんなことをしても君を殺せない……そういうことなのだろう」
彼女はまだ、笑っていた。
そのままレンを見て、言い放つと同時にすべての力を解き放つ。
だが――――。
炎に影響されたせいか、記憶の禁書のいたるところから黄金の光がマシェリアの意思に逆らい漏れ出した。
背表紙は崩れかけ、多くのページが黄金に輝く粒子に変わりつつある。完全に解き放たれた魔力の奔流もまた灼き尽くされていく。
勝負はもう決まっていたことを。たとえ何度つづけても彼らは立ち向かってくるであろうということを。
神代の炎に瞳を照らされながらも、マシェリアはそれらを悟っていた。
彼女は禁書を手放すこともなく、不意にレンたちに背を向ける。
「どうして俺たちに背を向けて……!?」
「エルフェンの世界でただ生を享受するはずがないだろう? だからマシェリアは、自らの足で進むと決めた。禁書も神の朧も、まだこの先に残っているんだ」
彼女のあくなき……そして常人には理解し得ない知識欲は、まだそこにある。
「マシェリアに死は訪れない。私は神の朧の中で世界を読み解くから」
「お前……まだそんなことを!」
「いくらだって言ってやるさ」
記憶の禁書はその姿をほとんど失い、残されていた魔力と光がかろうじてその輪郭を保った。
「だからレン・アシュトン、戦いは預けさせてもらう。いつかまた、君とマシェリアで……今度は世界に邪魔されないところで、二人だけで」
知識欲は死なず、彼女自身も死なず。
もしかすると、またいつかがあるのかもしれない。
「今度は絶対――――神子の血を引く者をマシェリアのものにしてみせる」
いつしか記憶の禁書は光の波長までもが神の朧と同調し、それまで吸収していたはずの神の朧に同化しつつある。
メディルの魔女はその手で直接、神の朧に触れだした。
「――――ああ、そうだ」
神の朧と記憶の禁書が同化していく中で、彼女は言い残す。
「君たちの考えは嫌いだが、この世界はもっと嫌いだ。だから世界が君たちに愚かなことを望もうとしたら、そんなのは退けてしまえばいい」
「マシェリア!? それは……!?」
「また会えるときに君たちがいないのは、きっと物足りない」
禁書の持ち手はレンにだけわかるような言葉を残し、光の中に消える直前に虚空を見上げた。
蠢く神の朧を愛でながら、その魔女は微笑んで。
世界を、嘲笑った。
「――――ざまあみろ、エルフェン。言ってやったぞ、このマシェリアが」
笑みを絶やさずそこにいたマシェリア――――。
彼女は禁書と共に、神の朧の中にその身を投じた。
◇ ◇ ◇ ◇
戦いが終わったことへの余韻はなかった。
「っ――――レン! 急がないと!」
崩壊がはじまった神殿。そして消耗しきった三人。
上へ向かう階段を数段上がったところで先ほどの戦場が神の朧で満ち、それは地上を侵食しようと勢いを増す。
懸命に足を動かして、広間に足を踏み入れて……。
三人が駆け抜けた後から崩壊し、ときに魔剣や魔法を駆使して道を切り開いた。
三人を迎えたのは、まばゆい陽光だ。
彼らは崩壊をつづける神殿を脱すると、広場をさらに進んで神殿を振り向いた。
神殿の堂々としていた佇まいはもはやなく、地下につづき地上の建物も完全に崩壊するまであと僅か。
けれど、三人はそれ以上神殿から離れようとしなかった。
「もう、私たちにだけ逃げろなんて言いませんよね?」
「……言いませんよ。俺も覚悟を決めましたから」
「よかった。逃げろって言われたら、また怒るところだったわ」
おぼつかない足取りと、もはや意識を保っていることすら奇跡に思えるほどの消耗。周囲を見渡している間にも、神の朧は崩落をつづける神殿の底から溢れてやまない。
絶対、これを打ち消さなければ。
「――――っ」
倒れてしまいそうになったレンだったが、
「大丈夫。ちゃんといるから」
「私たちがいます。どんなことになっても……絶対に」
彼女たちに支えられて、弱々しくも笑みが浮かぶ。
心を満たす温かさに、自然と浮かんだその言葉。
「二人がいてくれて、本当によかったです」
「もう、いま言うの?」
「でも、そう言っていただけてうれしいです」
この日の戦いに、終止符を打つために。
二人の声に応えるレンが炎剣アスヴァルを振り上げる。もう歩くのも辛かったはずなのに、彼はいままでになく勇気と活力で満たされていた。
終焉のときは、いまここに訪れる。
「神の力におこがましいかもしれない……だけど」
揺蕩う神の朧を、三人が見つめて。
小さな子に、語り聞かせるかのように。
「還るべきところに――――俺たちが導くから」
風は穏やかに、木々のさざめきは神の朧の言葉のよう。
それは何より美しい、世界の共鳴だった。
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