記憶の籠[前]
7巻の特典SSについての活動報告を投稿いたしました!
最新7巻は1月17日発売となりますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします……!
中央に敷かれた石畳の足場が、極彩色に輝く波の水面に囲まれている。一帯には細かな彫刻が施され、得体のしれないオーラを感じさせる。
それを前にして、一人の女性が立っていた。
胸に抱いた本が周囲から、魔力の粒を引き寄せている。
彼女はレンの来訪を受けて声に出した。
「また会うことになるなんて、思わなかった」
「ああ。俺もだ」
「どうしてここに……なんて問いは不要かな」
「少なくとも、俺たちが味方同士じゃないことはわかってる」
言葉を交わしながら階段を下りていくレンが、女性に話しかけつづけた。
「魔王教だったのか」
「この身体に刻印はない。わからなくて当然だ」
「……魔王教なのに、刻印がない?」
「体質のせいでね。それに私は魔王教のためだけに生きているわけじゃないから、あの刻印は必要ない」
その言葉はレンの疑問を呼び起こしたけれど、他にも気にすることがあった。
「……胸に抱いてるその本は」
何度か邂逅したときのように、彼女は大きな本を抱いていた。
しかし、これまでと違ってその本の表紙には紫色の石が埋め込まれていて、それが周囲の光を帯びた様子がいかにも不気味だ。
彼女は水面を眺めたまま、
「知っているかな」
レンに顔を向けずに。
「遊戯の神ミセルが、はじまりの四女神の妹だってことを。彼女は誰より創造神アリスを困らせて、主神エルフェンに疎まれていたことを」
「いいや、創生神話はあまり詳しくないから」
「今度機会があれば読んでみるといい。あれは面白い本だよ」
女性はレンの平然とした答えが面白くて、笑っていた。
「やっと見つけ出せた。この光があれば、この本の新たな章を読むことができる」
「駄目だ。この光はもう消してもらう」
「へぇ、どうして?」
「クルシェラが消えるからだ。そんなの、受け入れられるはずがない」
そのために。
「俺がお前を止める」
「それはたとえば、ウィンデアのときみたいに?」
「ああ」
女性はいま、確信。
これが何かに導かれた状況であると。ただの偶然ではないと。
「来るとしたら、君なんだろうなって思ってた」
女性は知っていた。
やってきた少年が誰であるのかを。
やってきた少年が何を為してきたのかを。
レンが足場を伝い中央の広場へ足を下ろすと、女性はようやくレンに目を向けた。そのときレンは、ミストルフォが口にしたすべての言葉を頭の中で繰り返していた。
「珍しい力を秘めた剣だね」
「そっちこそ珍しい本だな」
少年と女性は互いを見つめる。
横顔に、神殿の最深部に溢れる光を帯びて。
「その剣で司祭を斃したんだ」
「その胸に抱いているのはメディルの禁書だ」
少年と女性の視線が、いま。
遂に、交錯した。
「――――レン・アシュトンは、君だったんだね」
「――――マシェリア。これがお前の名前だ」
その再会を経て、再び言葉を。
「君は止めに来たんだろう? 人々を守るために」
「ああ。これ以上、好きにさせるわけにはいかない」
「だけど、もう止まらない。この光――――神の朧は人の手で触れていいものじゃない。君にも止められない代物だ」
神の朧。
レンがはじめて聞く言葉だった。
「思ってた通り、ただの光じゃなかったのか」
「これは世界の記憶。神の力が原初から刻む時の証明。そして……神の力が宿る遺物だよ」
「どうして、それを求めてここに?」
「私は――――マシェリアは知りたいだけ。世界のすべてを、この先を。だからこの本を持ってここに来た」
マシェリアが抱いていた大きな本をレンが見て。
「それが……メディル公国を滅ぼしたっていう禁書か」
「だとしたら、君も読んでみたい?」
「そんなわけない。ここをメディルと同じ結末にはしたくないよ」
マシェリアは嗤い、息を吐いた。
彼女が抱きかかえた本の豪奢な装丁。
以前と違いカバーも何もなかったから、いまならよくわかる。その豪奢な威容が、いまはひどく恐ろしい。
「公爵が読んだはずの禁書が、どうしてそこにあるんだ」
「お母様が読んだ後で見つけたからだよ。この本……『記憶の禁書』は、あの大穴の下でじっと眠っていたから」
メディル公国で管理されていた禁書の名である。それがマシェリアの手元にある理由を、レンは言葉通りに受け止められていなかった。
「メディル公爵が?」
「そう。お母様はどうしてかこの本を開いてしまった。いまもどうしてそんなことをしたのかわからないけれど……それからメディルは、光に包まれてこの世界から消えた」
昔、公国の神殿に密かに存在した最深部で。
メディル公爵がとある本を開き、古い術式を行使した。その本は強烈な光を放ちながら周囲に強力な魔力の渦を生み、それらの地形を地の底に沈めた。
それが歴史に残されていない、亡国の真実。
話を聞かされたレンは剣を握る手に絶えず力を込め、マシェリアを見つめた。
「けど、どうしてお前はその禁書を持って……!」
「――――だって、知りたいんだもの」
マシェリアは声を弾ませる。
「お母様が読んでしまった、この本のつづきを」
それは、マシェリアが幼い日に見た光景。
暗い暗い地の底。
強烈な光と爆裂により、目を開けたときには空がいつもより遠くにあった。炸裂した光に呑まれることなく、彼女は奈落の底で目を覚ました。
彼女はどこまでも黒い液体に満たされたその場所を、途方もなく彷徨って……。
やがて、たった一つの輝きを見つめるに至った。
『――――あっ、ここにあったんだ』
当時の思いを胸に抱いて、あのときの感情に従うがままに。
「この本を捨てるなんてできるはずない。だって、知りたいことを全部教えてくれるかもしれないのに」
一度舌先を覗かせる、一見すれば可愛らしい仕草。
しかし、常軌を逸した知識欲を垣間見せられた気がして、レンはその悍ましさがどこかオルフィデにも似ている気がした。
いまは亡き公爵のせいで心を壊した、なんてことはない。
マシェリアの知識欲はそもそも、常人が持ち得るはずのない生来のものだ。
「……お前は、公爵が読めなかったページも読めるのか」
マシェリアはくすりと笑って「正解」と一言。
すぐにマシェリアの影が幾本にも枝分かれすれば、それが複雑にうねる。
「世界の秘密を。勇者と魔王がどうして生まれたのかを。マシェリアはそのすべてをこの禁書から読み解く」
瞬く間に数多くの人型を生み出すと、そのどれもが一斉にレンへ飛び掛かった。
凄まじい圧を伴いながら迫りくるが、レンは臆せずミスリルの魔剣で一閃。
刹那。
悉く魔力の粒へと還った影の先にレンを見て、マシェリアが手をかざした。
「エルフェンが嫌う記憶の禁書の――――最後の一ページまで!」
轟雷。
そして旋風。
マシェリアを中心に生じた強烈な魔法の数々が、容赦なくこの空間に迸った。
軽い身のこなしで躱しながら、同時に星殺ぎを以てすべてを切り伏せるレンが見たのは、マシェリアがまったく驚いていない様子だった。
「っ……本当に、どれだけの魔法を……!?」
強烈な魔法の連撃はやまず、絶えずレンに襲い掛かった。
それらを星殺ぎでかき消しながら、レンは彼女が抱いたままの禁書を見て疑問に思う。
……禁書は使わないのか?
……メディルを滅ぼしただけの力があるはずなのに。
考えながらも星殺ぎを繰り返す。
不可思議な影を消し、轟雷を――――そして刃のように鋭い旋風ですら。いつやむのだろうと思わされるほどの連続が落ち着いたのは、唐突だった。
「ただの魔法じゃ、剛剣とは相性が悪いか」
まだ、彼女はとてつもない余力を残していそう。
しかし余計に魔力を使うことを嫌い、出し惜しみを嫌った。
「謝るよ。君を侮っていた」
「っ――――!?」
マシェリアが禁書の表紙に手を添えるや、レンは無我夢中で距離を取った。その直前に何か、これまでになく恐ろしい圧を禁書から感じたのだ。
「本を読む。マシェリアはそのためにここにいる」
開かれる禁書。
そこから周囲に迸った圧。
突然の圧で階段まで引き下がろうとしていたレンは確かに見た。
ばらばらとページがめくれていく禁書が放っていたのは、恐ろしいほどの速さで近づく光る糸のような何か。
「この本が主神に嫌われるのもわかる。人の身で世界の秘密を暴けるような代物を、狭量な神が許すはずがない」
「何を……!?」
様々な色に光りながら、それらがレンの身体へと押し寄せる。
ミスリルの魔剣を降り下ろしながら行使する、星殺ぎ。
光る糸のような力は幾本も断たれ、光の粒に変化して消える。しかし何本かは星殺ぎを逃れてレンの肌に触れた。
レンは強烈な頭痛に苛まれ眉根を寄せ、短く息を。
「痛みだけだと思った? それとも、それであってほしいと思った?」
「さぁ、どうだろうな!」
強烈な痛みにも気丈に笑い、深く踏み込みながら言い放った。
しかし、何かがおかしい。
禁書の力が強烈な痛みをもたらすことに違いはないが、本当にそれだけなのだろうか。
名を、記憶の禁書。
記憶の――――ということが妙に気にかかる。メディル公国を滅ぼしてしまっただけの力も、いまは正直感じられなかった。
だからこそ、その不安定さが不思議でならない。
最下層の中心地に佇むマシェリアの様子もそうだ。
……俺を敵として認識してすらいないような。
……まるで、負けることなんて一切考えてないみたいだ。
死を恐れていないように見える、ということもあった。
マシェリアはレンがそれを察したと見て、可憐な笑みを向けてくる。
(――――禁書で戦うようになってから、マシェリアの魔法は一度も使われてない)
狙いすましながら冷静に考え、至った結論。
禁書とマシェリアの魔法が重ねられたらそれは計り知れない脅威だった。いまそうなっていないのは彼女の手心や驕りではないだろう。
恐らく、そうせざるを得ないほど禁書に力を注いでいるのだ。
盗賊の魔剣で盗もうにも、あれほどの未知の脅威に対してはすべきではないだろう。
「それがわかったからって、強さは変わらないか……!」
苦々しい自嘲を交えたレンを見て。
「つづけるか、マシェリアの言うことを聞くか」
彼女は禁書から再び何かを放とうとしながら、レンをしっかりと見据えていた。
禁書から生じた強烈な圧に守られるマシェリアへ詰め寄りたくも、彼女とレンの間には魔力の波が幾重にも揺らいでいた。一つ一つが何かしらの属性の力を持ち、安易に触れることはできない強力な魔力を孕んでいる。
「レン・アシュトン、君はマシェリアに勝つことはできない」
「……いいや! まだ戦いは――――!」
「はじまったばっかりだけど、わかりきっている。結末は覆らない」
それは諦めろと言っているようでも、宣告しているようでもあった。
「だから選んで。つづけて終わるか、マシェリアの言うことを聞くか」
「そんなの、わかりきってるはずだ!」
このような状況でありながら毒気を抜かれたような表情を浮かべ、レンはそれでも構えを解くことなく禁書の力から目をそらそうとしなかった。
再び放たれた力を懸命に殺ぎ、身のこなしで躱しながら――――
時折、触れた光からもたらされる強烈な頭痛に抗いながら、力強くミスリルの魔剣を振り上げた。
マシェリアの様子が一変したのは、そのときだった。
ミスリルの魔剣が振り下ろされる際、権能ノ剣によって生じた二色の波動。それを見て、マシェリアがかざしていた手は力を失ったように下ろされかけたのである。
「――――」
呆然と。
最初は何も声に出せず。
「……嘘」
しかし、すぐに禁書に添えていなかったもう一方の手をレンに向けてかざす。
二色の波動の存在を思い浮かべながら。
「まさかアリス因子が……だとしたら彼は――――」
彼女の変化に気付く余裕のなかったレンを前に、彼女は独り言のように。
「っ……! 禁書の力はもう使わせない!」
「そうか……わかった。だから君はここに誘われたんだ――――レン・アシュトン!」
権能ノ剣は容赦なくその圧でマシェリアに襲い掛かるも、禁書から生じた極彩色の風が彼女ごと守護した。
「マシェリアが探していた最後の手がかり……神子の血脈!」
対するレンはいまの衝撃で身体を後退せざるを得ず、その声が届かなかった。
数段上の階段に立ちはだかりマシェリアを見下ろした。マシェリアは驚いた様子を保ち、彼を見上げながら唇を動かす。
周囲に、神殿の最下層から生じる光が煌めいて。
「――――確かめさせてもらうよ」
確かめる? とレンが疑問に思うまでの一瞬の出来事。
禁書からこれまで以上の光が生まれ、いままでにない勢いでレンに襲い掛かった。
今回はそれにとどまらず、オルフィデが用いたのよりずっと強力な呪いの力まで顕現し、宙に数多くの魔法陣を生み出す。
囲まれながら、それでも恐れず。
すべてを斬り伏せ、一歩ずつ前進する魔剣使い。
雄々しく、諦めることなく振る舞う彼に、
「残念だけど」
非情にも、マシェリアは抑揚のない声で言った。
突如、宙を舞う魔力の粒が深紅の輝きを放って爆裂。衝撃に身構えた瞬間のレンの腹部が、禁書から放たれた一筋の光芒に貫かれた。
気づいたときには――――
レンの身体が、階段を駆け上がるように吹き飛ばされていた。
「これなら、躱せないよね」
「っ……か、はっ……!?」
衝突により体内から一瞬で空気が抜け、声にならない音が生じた。
いままでにない大きな隙こそ、マシェリアが欲していたもの。
レンが痛みに耐えながら体勢を整える間にも、開かれた禁書が輝きを放つ。
マシェリアが片手をレンに向ければ、まばゆい光が禁書から飛び出すとほぼ同時に意志を持った波へと変わった。
魔剣を掲げたレンが防ごうとするも、そのうちの一本が彼の首元に触れたのだ。すると満足した様子で目を伏せ、開かれたページに手をかざしたマシェリアが、数秒と経たぬうちに、
「あは……」
笑みがこみ上げ、口の端を緩ませた。
「あはは! あーっはっはっはっはっ!」
木霊する笑い声の主を階段から見下ろしながら。
口の中に混じった砂利と血を吐き捨てたレンは、あっという間に立ち上がる。腹部の傷などまったく労わることもなかった。
ひとしきり笑うと、亡国の姫君は楽しげに禁書のページをめくってみせた。
「ねぇ」
次の瞬間。
マシェリアの前方に生じた空間の歪みから――――深紅の巨剣が打ち出された。
あれはまさか……でも、どうして。
目にも留まらぬ速さの深紅の巨剣が迫る。戸惑いを覚えながらもレンはミスリルの魔剣を構え、対する巨剣を受け止め……その巨剣を真横にそらした。
「君はどこで剣魔と戦ったのか、聞かせてくれるかな」
今日もアクセスありがとうございました。




