二日目の夜を過ごして。
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引き続きたくさんの加筆がありますので、どうぞよろしくお願いいたします!
日が傾きはじめていた。
現代のそこはあまり人の手が入っていない、古い街道。鬱蒼と生い茂った木々に囲まれ、自然の音と動物や鳥の声に耳を傾けながら歩く者たちがいた。
「猊下」
男たちの中から一人が、前を歩く者へと。
それはレンが二度顔を合わせた、本を愛する菫色の髪の女性だ。彼女は以前と変わらず大きな本を胸に抱き、菫色の髪を揺らしながら歩いていた。
「何故、七英雄の末裔たちを先に相手にしないのです?」
「だって、そのために来たわけじゃない。そうでしょ?」
「何故なのです。七英雄の末裔たちの喉元を貫くことこそ、教団が掲げる願いの一つではありませんか」
「わかってる。でもね、私たちにはしないといけないこともある」
そのことをわかってるはずだよ、と。
男は女性の落ち着いた声に何か言いたげである。
しかし、一つも不平を口にしようとはしない。数ある感情のどれによるものかは不確かだが、何より彼女の心に浮かんでいたのは――――
彼女が、ここにいる誰よりも遥かに強いということ。
それが絶対的な信頼の証であり、付き従う理由でもあった。
「猊下、そろそろ重ね掛けをいたしましょう」
「ん、わかった。一度休憩にしよっか」
女性は手ごろな倒木に腰を下ろし、木漏れ日を見上げた。
あまりに美しい自然と、空の色。
彼女たちは都市部を離れた特に古い街道や、自然豊かな道に紛れるように歩いていた。だが、道中で魔物は一匹たりとも現れていない。それは彼女たちの力を恐れているのではなく、女性が使う魔法によるもの。
その魔法は、魔物に限らず人という存在や魔道具による察知に対しても強い効力を示す。
最果ての幻想――――
存在感や魔法による圧などの一切を徹底的に覆い隠す、魔力の幕を生み出す特異な魔法。
その魔法は、長い歴史の中でもその才を持って生まれた存在が数える程度で、どのような効力を持ち、どれほどの影響力を誇るのかも資料が限りなく少ない。だが紛れもなく、特筆すべき効力を誇る魔法だ。
女性が指先を軽く動かす動きに従って、再びその魔法が張り巡らされる。
付き従っていた者たちはいずれも、その異様さに気を取られた。
「……さすがは猊下だ」
通常であれば、長い長い詠唱を経て発動するはず。
それを女性は一つせず容易に行使してしまう。類まれという言葉だけでは表せないほどの、特筆すべき才覚によるものだ。
だがそれがあるからと言って、彼女が単身で帝都などの都市に忍び込めるわけではない。
しかし人里を避け、本来なら魔物が現れる地を通過すれば……。そこに最果ての幻想があれば、何者にも感知されることはない。
「知っているかな」
ふとした女性の声に、男たち……魔王教徒らが顔を向けた。
彼らの見てくれは、いままでレオメルを襲った者たちとの違いが大きい。まるで格式高い騎士のような服装に身を包んだ者もいて、佇まいにもいままでにない落ち着きがある。
自信と誇りを抱いた精兵。まさしくそういった者たち。
「獅子王はこの街道を駆け抜けたんだ。少数の軍勢で滞在中、敵の大群に攻め入られて撤退戦を強いられた。彼はそのとき、王なのに殿を務めたって言い伝えられている」
やがて獅子王は然るべきときに反転をし、勝利を収めたというもの。
語るときの女性の顔は、いつもと変わらず穏やかだった。
「猊下はどうして、獅子王をそのように……」
「嫌っていないように見える、って?」
「はっ。七英雄が誕生した国の開祖を、私たちがどうして好きになれるのかわかりません」
「獅子王を好意的に思っているわけじゃないよ。ただ、否定的ってわけでもない。それだけだよ」
「何故、そう思えるのですか」
「どうしてだろうね。私は私で考えてることがあるからだと思うけど」
女性は何か明言することはなく、定まらない返事をした。
「まだ定かじゃない。でも、いつか話してあげる。私が抱いてる疑問に答えが得られたとき、絶対にね」
そう告げると、女性は立ち上がった。
胸には分厚い本を抱いている。そこには布のカバーが掛けられていた。
男たちがその本を一瞥していたら、女性は言った。
「話を戻すけど、七英雄の末裔のことばっかり気にしていたら駄目だよ」
「例の、剛剣使いのことですか」
「そうだね。私は七英雄の末裔たちより、その子――――」
確か。
「レン・アシュトンっていう子もだ」
レオメルという国は戦える人材の枚挙に暇がない。
クロノアにルトレーシェ、エステルに七大英爵家の人間たち。さらにヴェインをはじめとした七英雄の末裔に、剛剣使いたちだってそうだ。忘れてはならない、獅子聖庁も加えればきりがない。
「わかっております。どれほどかわかりませんが、オルフィデ様と戦ったのですから」
「違うよ。オルフィデと戦ったかどうかは、いまはどうでもいい」
「では――――何を気にされておられるのですか」
「彼が妙だから。昔の、クラウゼルでのことは無視できないでしょう?」
穏やかな声音。
だけど、間違いないと言いきるような強い意志で。
「彼は幼い頃、封印が施されたエルフ……イェルククゥと戦って生き残った。白の聖女が何かしたのかもしれないけど、それからのことも考えれば彼のほうこそ無視できない」
女性は話をしながら、脳裏にそのエルフのことを浮かべた。
昔、身体に施された封印を解除する術を求めて接触してきたあの男。もっとも、彼女にその術はなかったから差し出せた情報はなかったのだが。
「……それに、アシュトン……か」
その家名をいままで聞いたことがないというわけではないが、妙に引っかかる。その理由は彼女の心のうちに秘められた。
唇の端を緩ませたその女性は、ふと。
「――――あの子も、剛剣使いみたいだった」
二度も顔を合わせたことのある少年の顔を頭に思い浮かべ、様々なことを思った。
命を奪うため、ということよりは興味。
彼について知りたいと思ってしまう理由があり、もしもまた――――会うことがあればと思ってやまない。
やがて一行が目にしたのは、ほとんど手つかずの自然に囲まれた広場と、その中心にそびえ立つ石造りの建築物だ。
女性はそこを訪れると、胸に抱いた本の表紙が僅かに光ったのを見逃さなかった。
彼女は歌うように軽やかな声で言葉を紡ぐ。
「さぁエルフェン、私はここに来たぞ」
両手を広げ、軽い足取りで建築物の扉の前に立ったけれど、その扉はびくともせずどうしても開く様子がない。
だが、舞踏会に舞い降りた妖精のように優雅な足取りを披露しはじめる。彼女の足跡から生まれた黒い影は数を増し、付き従う軍勢が如く整然と並んだ。
彼女はそれらに対し、優雅に問いかける。
「私は誰?」
怨嗟にも似た耳を刺す音色は、古き時代の魔大陸の言語。
――――汝、主神を喰らう者なり。
――――汝、主神の血を啜る者なり。
「じゃあ、貴方たちは誰?」
――――我、汝と共に主神を喰らう者なり。
――――我、汝と共に主神の血を啜る者なり。
「じゃあ、貴方たちは何を望むの?」
――――エルフェンの肉を。
――――エルフェンの血を。
女性は嗤い、踊り、歌った。
「なら、奏でて。私にその音色を聞かせて」
昏い昏い影が、封じられた扉へと。
扉が開くまで長い時間がかかりそうだったが、もう些細なことだ。
長きにわたり探してきたものが、この先に眠っている。それだけでもう、その女性の心は弾む一方だった。
◇ ◇ ◇ ◇
もうだいぶ涼しい風が吹きはじめていた時間帯に。
「勧誘された!?」
夕暮れ、再び宿を出た三人が橋へ向かいながら話していたのは、レンがミストルフォから告げられた言葉のこと。
リシアの驚いた声に周囲の観光客がちらりと目を向けていた。
声を上げてしまったことにリシアは恥ずかしそうにしながら、
「聖宮騎士に勧誘されたって、どうして……!?」
先ほどより声のトーンを落として聞き直す。
同じように気になったフィオナが繰り返すように言った。
「私たちてっきり、魔王教のことを教えていただけたのだと思ってたんですが……」
「ええ……それがどうして勧誘されてるの?」
「エルフェン教としてもあまり表に出していない情報もあるから、ってことみたいでした」
「……交換条件ってことなのね」
聖地が扱う情報は表に出していないものも多い。
だが、勧誘されたレンは苦笑いを浮かべるだけで落ち着いている。
『あなたに、聖宮騎士になっていただきたいのです』
その言葉を投げかけられたときはひどく驚かされたものだ。
ただ、
「イヴの情報はどうしても欲しかったんですが、聖宮騎士になるつもりはないので」
エルフェン教に対しての感情もだが、そもそもの気持ちとしてもそう。
彼の言葉にほっとした二人の少女。
しかし、レンは何が何でもイヴのことを知りたかったから、他に自分ができることならと食い下がろうとした。
そこでミストルフォが言ったのは、
『失礼。貴方がどれほど本気なのかを知りたかったのです』
断られても、話すつもりであったということ。
それと、
『承諾いただけたら頼もしかったのは間違いありませんが』
本心も交えて、レンの感情を見定めようとしていたのである。
最終的にミストルフォがレンに告げたのは、彼らも魔王教の情報はレオメルと共有するよう動いているということと、イヴについて知ることを少しだ。
だがいずれも、近いうちにレオメルなどへ共有する予定であったことだとも。
「俺たちも考えた通り、魔王教と一緒に行動していないみたいです。エルフェンの涙を奪ったとき以来、イヴは魔王教に協力している様子もないらしくて」
「確証を得られたのはよかったけど……やっぱり情報は少ないのね」
「ミストルフォ卿はほかに何か仰っていませんでしたか?」
「あとは……強いってことくらいです」
エルフェンの涙が保管されていたのは、大神殿に数えられる数少ない場所だった。その中でも、特に規模が大きなところであったという。
大神殿はいずれもエルフェン教やその国の防衛設備により、ところによっては大国の城に勝るとも劣らない結界などを持つことも少なくない。
イヴはただ一人で、それらを片手間に破壊し尽くした。
「前にも聞いたと思うけど……仮にイヴがどこにいるのかわかったとして、レンは本当に探しに行くつもりなの?」
「行きますよ。絶対に」
相手が凄まじい実力者であるとわかっていても、レンに迷いはなかった。
そうは言っても相手が相手だ。レンがたった一人でイヴの元へ行くということにはならないだろうし、いままでになく入念な支度をしてからだろうけれど。
また、いつものようなことを言って。
リシアとフィオナがそう言いたげな表情を浮かべたのを見ると、レンは彼女たちに何か言われまいと「見てください」と声に出した。
彼が顔を向けた先に広がる湖の景色は、夜が訪れるとその表情を変えていく。
夜の帳に染まっていくにつれて浮かび上がる光の粒は、どれも星域の門の近くで見られたような輝きだった。
昨日の夜に負けじと空にも光の波が生まれ、祈りの夜々の訪れを皆に知らせた。
今日より何日か、こうした夜が訪れる。
そのうちの一夜に、フィオナが空を見上げて。
「空と湖の光の正体もこの地特有の魔力です。だけど、それだけなんて思えないですよね」
元は終戦祭の名で知られていた催しだ。
長きにわたる戦いの終わりに、戦士たちの魂が、彼らを悼む人の思いが……。
もしかすると、そうした何かがもたらした光なのかも……と考えてしまう人も少なくない。
事実、リシアとフィオナがそうだったのだ。橋の一角で手すりに腕を預けた三人が、視界いっぱいの煌めきに目を奪われていた。
「また――――」
ふと声に出した白の聖女に、二人が顔を向けた。
「また、見に来られたらいいなって思わない?」
「じゃあ次は、来年ですね」
「ええ。……でも、その頃の私って卒業してますね」
「私とレンは三年次ね。だけど……変なの。こないだ入学前の最終試験を終わったみたいな気分なのに」
どの季節も何かがあって、時に命を懸けてきた。
もう、何度だって。
これからまた一年が過ぎて、三人はどうしているだろう。
(……一年後)
その言葉を誰より重く感じていたのはレンだ。
二つの惨劇がどうして引き起こされたのか、以前よりずっと近くに来ることができたような気がする。それは時間もだが、何より真相に。
これから一年後も、いまのように過ごせていたら――――
祈りの夜々という日に、レンは心の底からの願いを胸に秘める。
彼の頬を、夜風がそっと撫でていった。
――――光が収まりはじめたのは夜の十時を過ぎた頃で、この時間になっても観光客の数は減っているように見えない。
祈りの夜々の最中のリシアとフィオナは、互いに父の名代として貴族との挨拶などをこなした。
普段であればもう屋敷に帰っているはずの時間まで外で過ごしてから部屋に帰れば、そのときはまたさらに遅い時間帯になっていた。
上層階の廊下を歩いて、各々の部屋へ向かう途中。
「はぁ……今日はよく寝られそう」
「祈りの夜々の最中もご挨拶とかありましたしね」
「ええ。朝と夜で家の仕事をするのは珍しいけど、勉強になったかも」
「だからこそ、ちゃんとお休みしてくださいね。特にリシア様は」
「わ、わかってるわよ!」
フィオナにしっかり言われると、リシアも返す言葉に力が入らない。
別れる直前までそうしたやり取りを繰り返し、レンは二人の部屋が並んだ近くで足を止めた。
「それじゃおやすみ!」
「おやすみなさい。また明日」
リシアとフィオナがいい、レンがつづいた。
「はい。それじゃ明日の朝に」
レンは二人を部屋まで送ると、自分の客室に戻った。
さっき話したことだが、確かに今日は何かしてばかりの一日だった気がする。朝から何かしらのことはしていたし、ミストルフォとの予想外の出会いもあった。
彼はあれからすぐに発ったようだが、彼との会話はしばらく頭の中に残りそう。
「……いきなり勧誘されるとは思わなかった」
思いがけないやり取りを交わしたことが、呟きと共に思い返される。
それからレンはうんと背を伸ばして、部屋に備えつけのシャワーを浴びに向かった。この日の疲れごと洗い流そうと身体を落ち着けると、一時間もしないうちにベッドへと身体を倒す。
瞼が勝手に下りはじめると、ベッド横の魔道具の灯りを消した。
明日はどんな日になるだろうか。意識を手放す直前まで、レンはそのことばかり考えていた。
今日もアクセスありがとうございました。




