試験も終盤。
原作7巻が1月17日に発売です!
引き続きご予約など、どうぞよろしくお願いいたします!
試験科目も残りは数えるほど僅かだが、その僅かが大問題である。
レンとリシアが教室で過ごしていた昼下がりに。
「へへ……法学とか経済学って難しいよね……」
机に前のめりに倒れ込みながらそう言ったのは、ネム・アルティアだ。
普段は制服のジャケットの下にフード付きの上着を着こなす彼女だが、この時期はさすがに暑すぎるせいでジャケットは着ていない。
さらに上着も薄手のものへと変えている一方、工具などを備えたベルトは変わらず腰に着けている。
セーラは同情を覚えながら、ネムの髪型の象徴ともいえるおだんごを指でつんつんと揺らす。それがふるふる、と左右に揺れる様子を見ながらセーラが言う。
「よかったじゃない。お互いに苦手科目が今日で終わったし」
「終わったね。一緒にネムの元気も消滅したけど」
「明日も試験があるんだから、適度に回復させときなさいよ」
「は~い……」
突っ伏していたネムは机の上に顎を立てるように顔を置き、むにゃむにゃと口を動かしながら眉根を揺らした。
「魔道具にちょっとでも関係してたら楽なんだけどね~」
「そういえばアルティアさんって、計算とかも得意でしたよね」
「そりゃーね。魔道具っていろんな知識がないといじれないから、自然と覚えるようになったし」
「だったら楽な科目も多かったんじゃない?」
リシアが聞けば、ネムは「なくはないけど」と前置き。
彼女は妙に開き直りながら答えた。
「あくまでもそれはそれかな。ネムが苦手な文系科目が簡単になるわけじゃないじゃん」
「……それはそうだけどね」
「でも、いいんだ。明後日から夏休みだし、しばらくは参考書も見なくて――――」
「今年は夏休みの課題が多いかもしれないって話よね、レン?」
「らしいですよ。フィオナ様が二年次の時にそうだったって言ってたんで、俺たちもそうなる気がします」
「――――わぁーい」
先ほどまで机に置いた顎で体勢を保っていたネムが、今度はへたりと横向きに顔を倒して弱々しく言った。
机中に髪の毛を広げると、机の下では両脚をばたばたと動かして。
「おかしいよー! こないだまでネムより元気なかったセーラちゃんだって、なんか急に落ち着いてるしー!」
「あたしは別に、試験勉強が終わったからもうやるだけって思ってるだけよ」
「かもしれないけどさー……!」
ふぅ、とため息をついたセーラが再びネムのお団子の髪に触れた。
「後のことを考えててもしょうがないし、夏休みを楽しめばいいんじゃない?」
「確かに……課題のことばっか考えててもつまんないしね。それと、さっきからネムの髪で遊んでるのはどーして?」
「手触りがいいから、ついね」
「そっかー……褒めてくれるなら許しちゃおう」
ようやく気を取り直したネムがすくっと勢いよく立ち上がると、今度は鼻息荒く胸元を主張するように背をそらしてみせた。
「長期休みは魔道具もいじりやすいし、課題は後回しにしよっと!」
「そうよ。今年はクルシェラにも行くんだしね」
「だね。ところでクルシェラって言ったらさ、リシアちゃんたちも行くんでしょ?」
「ええ」
フィオナもそう。
昨年と違い獅子王大祭がない今年の夏は、その代わりに祈りの夜々がある。貴族の責務として顔を出すに越したことはないが、多忙な当主の名代として足を運ぶことに。夏休みではあるものの、終日ゆっくり過ごせるわけではないそれなりに忙しなさそうな予定だった。
「ネムたちもクルシェラで身体を休めるつもりだけど、特にアシュトン君はネムたちよりしっかり休めないとね」
「ですね。ただ、もうほとんど治ってるんですけど」
話をしていたら、席を外していたヴェインが戻りレンを見て言う。
いまの話を小耳に挟んでいたようで、
「エルク様がよく仰ってるんだけど」
エルクと聞き、レンはすぐにセーラの父こと、リオハルド英爵のことであると察した。
「身体のことは特に、小さいことでも無視するのはよくないって。自分でも気が付けてない違和感だってあるからってさ」
「ヴェイン君、小さい頃からエルク様にたくさん怒られてたもんね~」
「レ、レンの前で言わなくていいって!」
「やだよーだ! 自分でエルク様のことを話題に出したくせにー!」
おどけてみせたネムと彼女に近づいたヴェインの横で、セーラが「ねぇ」と言いながらレンを見た。
「レンは誰かに怒られたりしなかった? 剣を教えてくれた人からとか」
「それなら、強いて言えば父くらいだと思います」
騎士の子として育てられたレンだが、生まれが辺境なせいか格式ばった家訓などがあるわけではなかった。親子の接し方も平民のそれに近く、父のロイは父上と呼ばれることだって好んでいなかった。
「イグナート家の執事殿はそんなことなかったのね」
「エドガーさんはそうですね。叱るというより、理論もしっかり教えてくださる感じだったので」
「訓練しすぎ、とかも言われなかった?」
「それを言っちゃうと、獅子聖庁の人たち全員ですよ」
「……一応、獅子聖庁が普通じゃないだけだからね」
文字通り、常人であれば命を落としかねない訓練を平気でこなす騎士が集う場所なのだし。
「リシアはどう? 剣の訓練で怒られたこととかある?」
「なくはない……けど」
ちらりとレンを見た白の聖女。
「そこで俺を見ると、まるで俺が怒ってるみたいじゃないですか」
「ち、違うんだけど……ほら、最近はないけど、私が訓練しすぎたら休めって言ってたことはあったじゃない」
妙な既視感を覚えたセーラはこの話が、先日、剣術の試験を終えてからの話に繋がっていることに気付いた。
僅かに頬を赤らめて否定した白の聖女へと、彼女の親友が向けるのは生暖かい視線と笑みだ。
それを見たリシアが、セーラに顔を寄せて小声で話しかける。
「……なによ、その顔」
「別にー。ちゃんと女の子だなーって思っただけ」
というか、別に喧嘩ではないじゃない。とセーラが小さな声で。
互いに小声でレンに聞こえないよう話していたせいで、彼は二人のやり取りを前にきょとんとしていた。
どうしたのだろうと思っていたら、そんな彼にリシアが可憐な笑みを向けた。
「セーラが次の試験は自分だけで頑張るんですって」
「へぇー……そうなんですね」
「セーラちゃん本気!? やるじゃん!」
「言ってないから! ねぇごめんってば! リシア!」
しかしリシアは笑みを浮かべたまま。
あまりの愛くるしさなのに、セーラの焦りは募る一方。
「応援してるから、頑張ってね」
「ね、ねぇ!? うそでしょ!?」
夏が連れてくる新たな物語。
そのはじまりは、もうすぐそこに。
◇ ◇ ◇ ◇
某日の朝早く、レオメル帝都。
そこは世界中を見渡しても他にない、歴史と近代における意匠がどこよりも美しく融合した大都市である。
その中心に位置した巨大建築、帝城の高層階にある一室。
バルコニーで遥か遠くの空を眺めながら、何かを考えていた少年――――ラディウス・ヴィン・レオメル。
つづいて眼下に広がる帝都に目を向けていた彼が、
「待ちわびた」
いままさに足を運んだ補佐官を見てそう口にした。
「そちらが調査報告書ですニャ」
幼い頃から彼の傍にいる少女、ミレイ・アークハイセという名の補佐官だ。
彼女は可愛らしくも伯爵令嬢然とした姿の一方、先祖にケットシーの血が混じっていることから珍しく猫の耳や尻尾を宿していた。
そんな彼女はラディウスが座る椅子の横に立ち、彼が報告書を読み終わるまで沈黙に努めた。
読み終えると第三皇子はそれを手にしたまま部屋の中へ向かった。
後を追うように足を動かすミレイがラディウスの横顔を覗き込んだとき、彼は言った。
「――――あの男は私に、何を黙っている」
彼が心に抱く感情に揺さぶられ、意地すら内包させた姿がどこまでも凛々しい。
それほど威風堂々とした彼の口から発せられるのは、僅かに遠慮がちな声音と言葉。
「引きつづき付き合ってもらえるか?」
「当たり前ですニャ。こんな手伝い、私くらいしかできませんし、私くらいしか引き受けてくれませんからニャ?」
「わかっている。いつも頼もしく思っているさ」
「それは光栄ですニャ。それで、その資料はどうしますかニャ?」
ミレイは問いかけながらラディウスの手元の報告書を見た。
それには所狭しと多くの文字が記されており、この短い時間では読み終えることすら難しいだろう。
……あくまで、ラディウス以外の者であったならば。
「念のために申し上げておきますと、内緒で調べてたので控えはありませんからニャ」
「そんなことだろうと思っていた。せっかく用意してもらったのに、悪いことをしなければならないな」
「構いませんニャ。とゆーか、保管されることこそ勘弁してほしいですニャ」
「私もそう思う」
ラディウスは自室のリビングに着くと、暖炉の中へ資料を一枚も残すことなく放り込む。
この季節だから薪はくべられていなかったが、代わりにミレイが懐から短い杖を取り出し、暖炉に向けて軽く振るや炎が燃え盛る。
「いまさらだが、卒業試験の魔法の評価はどうだった?」
「私、満点以外取ったことありませんニャ。他の科目だって、殿下に無茶を言われたとき以外はしっかりこなしてましたしニャ」
「すまない。悪いとは思っているのだが、ミレイにはつい甘えてしまう」
「――――はいはい、ですニャ」
第三皇子は自室の扉を開けて外に出る。廊下に立つ近衛騎士が頭を下げたのを尻目に二人は歩いた。
「ミレイ、このあと時間はあるか?」
「殿下とお仕事くらいですから、殿下のお気持ち次第ですかニャ」
「それは後回しにしたい。一緒に来てくれ」
「……お供しますけど、また急ですニャ。それで、殿下は急にどちらに行かれるのですニャ?」
「帝立図書館に。少し確かめてみたいことができた」
「かしこまりましたニャ。……けど、珍しい場所ですニャ~」
ラディウスはケットシーの血を引く少女を連れ、二人だけで帝城を発った。
馬車に乗ると数十分もしないうちに目的の帝立図書館が見えてきて、ミレイはようやく尋ねるにいたった。
「何をお調べに?」
「あの男が調べていることを追う一環だ」
ミレイには主君の考えが手に取るようにわかった。
やがて馬車を降りて帝立図書館へ足を踏み入れると、二人は正面入り口から入り見張りの騎士や職員を驚かせた。
ラディウスは皆に軽く手を上げることで応えて先へと進み、館長室の前で足を止める。
すると、ミレイがノックの後にドアノブに手を伸ばす。
「前々から言っているが、そのくらい自分でできるぞ」
「そのさらに前から言ってますけど、これが私の仕事ですニャ。ついでに、部下がしたほうが見栄えしますニャ」
「……幼馴染だろうに」
間髪容れない第三皇子の言葉にミレイが頬を緩めた。
「であれば、公務以外のときにお気遣いくださいニャ」
ミレイがとうとうドアノブを回し、扉を開けた。
入室したラディウスを見て館長は騎士たちのように驚くも、すぐに臣下の礼を取ってみせる。
「それには及ばない。少し聞きたいことがあるだけだ」
「か、かしこまりました! では、まずはそちらのお席へ!」
来客用の椅子に腰を下ろしたラディウスが、
「驚かせてしまってすまない」
と館長に告げれば、館長は慌てて身振りを交えて否定する。
「とんでもございません! ですが、どのようなことを私に?」
「他言は無用だ。ここに書いてある資料がどこにあるか教えてほしい」
「――――拝見いたします」
館長はラディウスから小さい紙を預かり、目を通した。
魔道具の紙と、特別なインクで用意された品であることは一目瞭然だった。
その紙はラディウスの手を離れると少しして文字が消えてしまうが、館長はしかと目に焼き付けている。
どれほど重要な仕事なのだろうかと疑問に思いながら、館長は席を立って自身の机に向かう。
館長が机に備え付けられた板状の魔道具に手を触れると、その表面に帝立図書館の情報が数多く浮かび上がる。
手をかざしたまま何度か意識して、目的の情報を引き出しはじめた。
「結構な量になりますかニャ?」
「どうだろう。学院で四年間に使う参考書に勝る程度だろうが」
「……はい? それを全部読むおつもりですかニャ?」
「調べるためなのだから、当たり前だ」
どれほどの本だろうと、この少年ならあっさり読み終えてしまうのだろう。長い付き合いの補佐官はそう思わされた。
彼女が苦笑いを浮かべていたそのとき、館長が合点のいかない様子の声を漏らした。
「一冊も? いや、まさか」
館長は腑に落ちず何度も、何度も魔道具に目を凝らす。
だが、結果は同じ。
ラディウスにとっては歓迎すべきでないはずの反応だというのに、彼は眉一つ動かすことなく何一つ言葉にしない。
ケットシーの少女はふとラディウスの横顔を見て口にする。
「……殿下?」
「すまない。少し考えさせてくれ」
それに要した時間は僅かに十数秒。
第三皇子は、何かを気にした様子で館長に問いかけた。
「いずれも貸し出されているのか?」
「はっ。すべて最近のうちに」
「貸し出した人物に特記事項があったのではないか? たとえば、借りた人物の名を秘匿できる程度の要人だ」
館長は表情に出さず、しかしつづく「それは――――」と言葉をよどませた。
「答えてほしいわけではない。帝国法によりこの場で答えをもらえないことは理解している。故にこれは私の独り言だ」
「……恐れながら、殿下」
「構わん。だが、私の推測はあたっていたようだな」
あくまで是非は答えず、せめてもの礼儀としての言葉が館長の口から発せられた。
それを受けて、ラディウスは一度目を伏せた。先ほどよりずっと深い思案に陥ると、その先で一つの推測が思い浮かぶ。
「そうか……あの男は恐らく――――」
第三皇子が何を考えているのかなど知る由もなく、館長は硬い態度のまま。
「申し訳ありません。殿下でしたら所定の手続きの後に案内できますが」
「いいや、十分だ。さっきも言ったがただの独り言にすぎん」
ラディウスは満足した様子で立ち上がり、帰り際に涼しげな笑みを浮かべた。
「私が探していた本がなかったこと。これ以上の回答はなかったらしい」
館長にはその真意がわからなかったが、嘘ではない。
「本日はもうよろしいのですか?」
「ああ」
第三皇子は去り際に「今日は急に来てすまなかった」と館長に告げると、来たときと同じ廊下に出た。
静かな回廊を歩き、いつしか周りに人の目がなくなったのを確認して。
「なるべく早く魔導船に乗り込むぞ。少し遠出をする」
「かしこまりましたニャ。それじゃ今後の公務のこととか、いまから言い訳を考えておかないとですニャ」
「それには及ばない。先日、数日ほど休暇が欲しいと話していただろう?」
「そういえば確かに……用意周到すぎますニャ」
「元々は、遠出のためではなかったがな」
隣にやってきたミレイを見ながら、ラディウスが進む先を……さらに遠くを見透かすように。
「でなければ、このような無理は押し通せないさ」
大人びた笑みを浮かべて、彼は言った。
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