ある港町で。
原作7巻が1月17日に発売です!
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ルトレーシェが話していたことをクロノアに尋ねる機会が訪れたのは、翌日の休み時間だった。
彼女が魔女のとんがり帽子の先を僅かに揺らしながら現れたのは、廊下を歩くレンが進む先の曲がり角から。
つづけて、その顔を覗かせた。
「あっ、レン君! こんな状況で挨拶しちゃってごめんね!」
学院長クロノア・ハイランド。
金糸を想起させる艶やかな髪。妖しいくらいの可憐さと宝石にも似た容色を共存させた、人とエルフの血を受け継ぐ混血である。世界最高の魔法使いの一人にして、七英雄の伝説では、リシア・クラウゼルと同じくレン・アシュトンに命を奪われた存在。
その声を耳にしたレンは、クロノアの手元に目を向けた。
ノースリーブのシャツから覗く彼女の白い腕が抱える、分厚い書類の束を見て。
「手伝います。どこに運ぶんですか?」
「ありがと! 資料室なんだけど、大丈夫?」
「はい。それじゃ行きましょうか」
レンはクロノアが抱えていた書類を多めに受け取り、もう一度彼女に顔を向けた。
「ごめんね、せっかく休み時間なのに」
「いえいえ。でも、魔法で持ったらもっと楽だったんじゃ……」
「ほんとはそうなんだけどねー……。これ、魔道具で押印されてるのが交じってるから、魔法を使って変なことになると面倒なんだ」
するとクロノアがレンを見て言う。
「腕のことだけど、次は無茶しないようにね」
つい最近も聞いたような言葉に、レンが小さく苦笑。
「毎日のようにお二人が力を尽くしてくださったので、もうほぼ治ってますよ」
「あははっ! あのときのリシアちゃんとフィオナちゃん、すごかったもんね!」
「でも、呪いといえば……。魔王教が聖遺物の力を奪えることはわかりましたけど、そのためだけに盗んでるわけじゃなさそうですよね」
「前にも少し話したかもしれないけど、他に思いつくのは、何か壊したいものがあるとかかな」
レンが過去に経験したことだってそうだ。
「レン君はローゼス・カイタスにあったネックレスのこと、まだ覚えてる?」
「あれのことなら、見た目までちゃんと覚えてます」
時の女神の力が宿った聖遺物だった。
魔王軍が帝都近くに迫った際、戦場となったローゼス・カイタスごと封印するために、エルフェン教とレオメルが敷いた封印の媒体となった代物だ。
クロノアは杖を持ち直し、宙に振る。
光の粒が数多く生まれ、時の女神のネックレスを模した。
「聖遺物が宿した力は強力だから、それを利用して何かするつもりなのかも。相変わらずレオメルも狙ってる理由はわからないけど……帝都で狙うなら帝都大神殿とかかな」
一瞬、レンもそう思ったのだが。
(七英雄の伝説で、帝都大神殿が襲われたことはなかったはず)
帝都大神殿で起こった戦闘で思いつくのは、一つだけ。
帝都にある港の沖で巨大な魔物と戦うイベントをこなした後、帝都大神殿に向かうとレン・アシュトンがクロノア・ハイランドの胸を剣で貫いた光景のみだ。
だが、神殿内に戦った形跡がなかったこともまだ微かに覚えている。
「いずれにせよ、無茶したらダメってことだね」
「はは……わかってます。そういえばこの前、ルトレーシェにも無茶しないようにって言われました」
「へぇ~……あの子とそんなことを話したんだ~!」
世界最高の魔法使いの一人が上機嫌に言う。
「珍しい……あの子が他人を心配するなんて」
「そうなんですか?」
「うん。あの子、剣のこと以外はあんまり興味ないって言ってたから」
「そうだ。ルトレーシェから聞いたんですけど、二人で旅をしてたことがあるんですよね?」
「してたことはしてたけど……」
と短い返事をしながらもクロノアはじっとレンを見つめた。
「……ほんとに珍しいや。あの子がそんなことまで話してたなんて」
「でも、一緒に旅をしてたってところまでですよ」
「だとしても、かな」
するとクロノアは「世界への見識を深めたいとか、いろんなものを見てみたいっていう旅だったんだけどね」と口にして、今度はレンを見上げるように首を捻った。
「ほんっと、あの子はどうしてレン君を気にしてるのかなー……。考えても答えは出てきそうにないけど……」
最後は短くそうまとめて苦笑い。
資料室に着いて資料を置き終えたクロノアが、話題を変えた。
「最近、試験勉強はどう?」
「頑張れてると思います。今年は歴史というか近代史というか、覚えることも多くて大変ですけど」
「レン君たちの授業範囲だと……メディル公国とかもだったよね。もう結構授業で進めてる?」
「ほとんど終わりましたよ」
間髪容れずに返したレンが「メディルって、俺が生まれる前くらいに滅亡したんですよね」と。
「そうそう。滅亡した理由が禁呪の発動によるものだってことは習った?」
「それもこないだ。他には行使されるまでに、連合軍が可能な限りの民を助けたってところもです」
クロノアは書類の整理をしながらも、どこから話そうかと考えて唇へ人差し指を立ててみせた。
「メディルは公都以外に都市を持たない小国家だから、当時の救助は早く終わったんだってさ」
その国の成り立ちはレオメルに劣らず古く、獅子王の時代に遡る。
戦に疲弊した国の人々が訪れた大陸西方の地にて、彼らは平和を願って多くの神殿を建造した。
やがてその地はどの国も不可侵の地へと変わる。
影響力を持っていた者たちがその地で貴族へと変わり、いつしかその地における最上位の爵位である「公爵」が誕生。
近代に至るまで、どこより平和な国として知られたこともある。
レオメルをはじめとした諸国で用いられる歴史書には、次のように記されることとなった。
『メディル公国は禁呪の発動により、公爵の子らも姿を消す。これにより事実上の滅亡を迎えた』
きっかけは、神殿に収められていた禁書に公爵が手を伸ばしてしまったこと。
やがて禁呪を行使するまでに至ってしまったことが、メディル公国における最後の歴史として残されている。
『かの地が奈落の底へと沈む直前、輝き纏った光が柱を作り、神殿から天空を貫いた』
本にはそう残されているが、実際にどれほどの破壊力だったのかを目にできていないから、レンもクロノアも想像できていなかった。
ややあって、クロノアが杖を振ってレンに緑色の光の粒を送り届けた。
レンは身体の中に溶け込んでいく光が、心に穏やかさをもたらしてくれたような気がした。
「手伝ってくれてありがと! でねでね、いまのはどういう魔法だと思う?」
「クロノアさんのいつもの感じだと……気持ちを落ち着ける魔法、とかですか?」
「惜しい! いまのは森の中で深呼吸した気分になれる魔法でした!」
……ほんと、微妙に惜しい。
レンはそう思いながらクロノアの笑みを見た。
◇ ◇ ◇ ◇
エルフェン大陸に存在する国々の国境線を隔てた地にいくつかあった、中立都市と呼ばれる地。
そのうちの一つ、古めかしくも異国情緒に溢れた港町。
レンガが敷き詰められた海沿いの通りを歩くのは、菫色の髪の女性だ。
さながら人形のように整った姿があまりに清らか。眼鏡の下に添えられた泣きぼくろから、そっと色香が滲み出していた。
それらは以前、レンが別の都市で言葉を交わしたときとまったく変わっていない。
海風に髪を靡かせながら、彼女は海に臨んだ鉄製の柵に背を預けて。
「……この町には、気になる本はなかったな」
ため息一つと、短い言葉。
彼女はそう口にして間もなく、足を動かしはじめた。
海鳥の声と波の音を聞いて、潮風の香りを嗅ぎながら――――令嬢が休日を過ごすかのように、優雅な足取りで。
昔はこうして静かな場所を探し、誰にも邪魔されないところで本を読み耽った。
そんなことを思い出しながら数分歩いて、彼女が足を止めたのはその港の一角。あまり人の目に触れない、木々の影となったベンチの近くだった。
その前方にあるフェンスを前に立つ、一人の男性。
「奇遇だな、こんなところで」
彼は海を見ながら女性に言った。
声をかけられた女性が、仕方なさそうな態度で返す。
「くだらない偶然を装って来たというのなら、君は随分と暇を持て余しているらしい」
「すべてが間違いだとは言わない。確かにオレは、君と話すためにも時間を作った。それだけでここにいたとは言わないが」
「光栄だよ。君ほどの地位の方が心を砕いてくれるとはね」
男性は女性の返事を聞き、彼女に顔を向けた。
白いシャツにストールを巻いただけの、軽やかな服を着こなした男だ。彼をよく知っていたから、女性は仕方なくその声に耳を傾ける。
「話すためにっていうのは?」
「君の様子を見に来た。時は近い。知っているだろう?」
「それは、エルフェンの涙に関わることかな」
「ああ」と男が海風に声を乗せた。
「心配は不要だ。忘れていないし、どれほどのことかも理解している。約束の日の前には皆のところへ行くよ」
そう話している間にも男性は再び海原へと顔を向け、淡々と言葉を紡いだ。
「君の、魔石が埋められた本のことだ。それを完成させるために必要なものは、もう世界に残されていないはずだった。その探し物は手掛かりひとつなかった代物なのだから」
「……それがどうしたって?」
「興味本位なだけさ。君ほど達観している人は世界にも数少ない。けれど君は、幼い頃に見た景色にばかり固執している。それほど君を駆り立てる理由はなんだい?」
「存在意義だ。あの本を完成させ、読み解く。そのためにすべてを懸け、その日を待ち望んでいる。他に必要なことってあるかな」
「いいや。ちょうどその考えが尊いものだと思っていた」
男は海風を浴びながら言った。
「――――神の朧。君が何より固執し、あの本を完成させるために探し求めたものが見つかったのだろう?」
男性は海原を見ていたし、そもそも眼帯をしているからどちらも目には映らない。
だが、女性がこくりと首肯していたことには気が付いていた。
「オレには、あれがまだ世界に残されているとは想像できなかった」
「あれは神の力の残滓。人の手の入っていない神殿なら残されている可能性はあった。そして神の朧があれば、もう一度あの景色を目にできるはず」
「それこそ、幼い頃に君が見た景色だって?」
女性はすぐに。
「神の朧の輝きがあの本に新たなページを紡いでくれる。この身体に宿るのは母のそれより深い知識欲。これを慰める術はそのページを読む以外にない」
彼女はあまり抑揚のない声でつづけた。
「この知識欲を妨げることは誰であろうと許さない。たとえ、君であろうとも」
「そのつもりはないさ。本の完成はオレたちも渇望していた。時を逃せば次はまたしばらく先になってしまうだろう」
別に、命令しに来たわけではないのだ。
「約束の日まで間もない。その前に様子を見に来たかったんだ。オレは君の存在意義を尊重したい。だから君と直接話しておきたかった」
話したかったことを終えられて満足しのか、男はどこかへ向かって歩きはじめる。
彼は背中越しに、海の音に乗せて。
「死とは謳えなくなること。そう言っていた偉人を知っているかい」
「吟遊詩人ミューディ。彼女が西方大陸を旅していたとき、獣人族の王に残した言葉だ」
「きっと、君にとっての死は本を完成させられないことなのだろう。ふと、そう思ったんだ」
最後にそう言い残すと、男はいつの間にか姿を消していた。
残された女性はそこでたった一人、海原を見つめながらやがて目を伏せ、波の音に耳を傾ける。
次に目を開けたとき、彼女は青空を見上げた。
「世界の真理、読ませてもらうよ――――エルフェン」
海原を撫でる海風が、彼女の髪を揺らした。
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