アルティアの魔道具。
レンが足を運んだ訓練場は、剣術授業でも使われているあの訓練場だ。
いまは武闘の選考会に参加する生徒たちの準備場所とされており、大きな扉が開け放たれている。
『手を出してきたのはそっちだろ!』
『ああ! それでよく謝れなんて言ってこれたな!』
『な――――先に手を出してきたのはそっちだろ!』
レンがため息交じりに訓練場の中を覗いてみれば、その中の一角で言い合う生徒たちの姿が見えた。
揉め事が勃発した場所へレンが足を運ぶと、さらに注目を集めた。
実行委員が来たことに対してもそうだったし、一年次の授業での件が噂されているレンが現れたこともそうだ。
「どうしました?」
そんなレンが声を掛けると、言い争っていた者たちが声を荒げたまま理由を話す。
「そいつらが俺たちに言いがかりを付けてきたんだよ」
「そうだ! 俺たちがわざとぶつかってきたとか、色々とな!」
「なるほど。それで、そちらの方々はえっと――――」
「そいつらが放り投げた防具が、俺の鞄にぶつかったんだ。鞄の中には選考会で使う装備が入ってるから、俺も文句を言いたくなったんだよ。傍にいる俺の友達たちもちゃんと見てる」
「間違いない。明らかに俺たちに向けて投げてきたんだ」
「……なるほど。そういうことでしたか」
両者は互いに興奮しつづける。遂には互いの胸ぐらを掴みにいってしまいそうなくらいの怒気が漂いだす。いずれも上級生だったため、一年次以上に獅子王大祭に向ける気持ちが強いのだろう。
「先に後ろからぶつかってきたのはそいつだぞ!」
防具を放り投げた生徒が声を荒げる。
「それは悪かったって言っただろ! 見ての通り、訓練場も人と物でごった返してる! 俺も誰かに押されて二人にぶつかってしまったんだ!」
「どうだかな! わざとじゃないのか!?」
話を聞くレンは心の内で「しょうもないなー」と思いつつ、止めることが仕事であることを忘れていない。
だが、両者の様子があっという間にある一線を超え、遂に――――
「お前ら、予選で負けたからって俺たちに喧嘩を売るんじゃねぇよ」
「なっ――――この! そこまで言うのなら……ッ」
両者、訓練用の刃が潰された武器を手に取ってしまう。
落ち着きを失った両者を見て、レンはふぅ、と息を吐き制服のネクタイを僅かに緩めた。傍にいた生徒が腰に携えていた訓練用の剣を見て「借りますね」と言い、返事を待つことなく抜く。
「――――先輩方、」
そしてレンは優しかった。
揉める両者が剣を一振りでもしてしまわぬうちに、でも振り上げてしまう動作に入った瞬間に介入した。
両者の剣が腰より高く上がるその寸前、
「……え?」
「いまのは……?」
カラン、と音を立てて転がった二本の剣。
いつの間に剣を振っていたのか、それすらもわからない剣速だった。
レンが何かしたことだけは様子を見る者にもわかったのだが、逆に言えばわかることはそれくらい。噂の一年が実力を全くみせることなく、いとも容易く上級生を制圧した事実だけが残されたのである。
「それ以上は、誰も幸せになれませんよ」
いつしか両者の間に立っていたレンはそう言うと、いまさっき振り下ろした剣を持ち主――――といってもこの剣は学院が貸しているものなのだが、それを腰に携えていた生徒の下へ戻って返した。
「皆さんが獅子王大祭に向ける熱い気持ちはわかってます。この学院に入学した方たちの向上心と熱意は言うまでもありませんから」
揉めていた生徒たちが黙ったところで、レンは再び息を吐く。彼が放っていた圧は嘘のように消えた。
彼はつづけて、
「今回は偶然が重なった事故のようなものだと思います。もう少し、落ち着いてください」
「あ、ああ……」
「そう……かもしれないな……」
両者の代表二人が返事をして、小さな声で相手にすまないと口にしていた。
いまのは力技に過ぎただろうか。ラディウスなら口だけで止められたのかもしれないとレンは自嘲した。
レンがもう少し様子を見て、教員が来るのを待とうと訓練場の入り口を見た。
すると、ほぼ同時に訓練場内に穏やかなベルの音が響き渡った。
(――――この音は)
レンは聞き覚えのあるベルの音に、彼女が来たのだと思った。
ベルの音を聞き、先ほどレンに止められた生徒たちからより一層怒気が消える。立てつづけに幾人かの教員たちがやってくると、レンの姿を見て彼の傍へ足を運んだ。
「アシュトン、喧嘩を止めてくれたみたいだな。……あちらの生徒たちの足元に剣が転がっているが、どういう喧嘩だった?」
「それでしたら俺が止めたので未遂です。それに、仮に振り上げたところで、構えるだけのつもりだったのかもしれませんし。なので基本的には言い合いでしょうか」
「ふぅ……二年に一度の祭りだからって、上級生に気を遣っているのか?」
レンは答えずに首を傾げ、惚けてみせる。
教員もその意を察しているため、それ以上聞くつもりはなかった。
後はレンの気持ちがどうあれ、教員が沙汰を下すだろう。
「俺はもう行きます。何かあったら連絡してください」
「わかった。実行委員の仕事、ご苦労様」
こうしてレンは訓練場を後にするべく足を動かす。
彼が背を向けると、さっき冷静さを欠いていた生徒の一人がレンの傍へやってきた。ばつの悪そうな顔を浮かべ、レンに先ほど止めてくれたことへの礼を口にした。
「二年に一度のお祭りで熱が入るのはわかります。ですが気を付けてくださいね」
苦笑を交えてそう告げるも、二年次の生徒は理解していた。
いまのレンはまるで、
――――もう、次はありませんからね。
そう言ってるようにも聞こえ、思わず「すまなかった」と再びの謝罪を口にさせられる。
剣を手にしていないのに、まるで全身を切り裂くような圧を向けられた気がして、二年次の生徒はそれ以上何も言わずレンを見送った。
訓練場を出たレンが風を浴びていた。
外の空気は夜が近づくにつれてやや肌寒くなっている。それが、いまのレンには先ほどの熱を冷やすために一躍買っていた。
「友達に呼ばれて来てみたらびっくりだよーっ!」
涼んでいると、訓練場の出入り口の傍に立っていた少女がレンの背に向けて声を発した。
「噂の同級生が先輩たちを止めてるし、その同級生がネムの魔道具の影響を何一つ受けてないとか、どーゆーこと?」
「……偶然じゃないですか?」
「ふーん、アシュトン君は私の魔道具の効果を疑うんだ」
「とんでもない。あのアルティア家のご令嬢が作った魔道具の質は、何一つ疑ってませんよ。あのベルの音って恐らく、人を落ち着かせる効果があるんですよね?」
「だいせーかーい! さすが総代だね、アシュトン君!」
褒められたレンが声の主に振り向いた。
訓練場の出入り口の傍に立っていたのは、背が低くも凹凸に富んだ身体つきの少女だ。制服の上に大きなフード付きの上着を羽織っており、腰には太いベルトと、そこに試験官や何らかの工具をくくりつけている。
顔立ちはやや幼いが、可愛らしく人目を引くことは容易に想像できた。
「俺たち、はじめて話しますよね?」
「だねだね! でもネムはアシュトン君のことを知ってたよ? 総代だし、リシアちゃんとかセーラちゃんとよく話してるもんね! それに、ヴェイン君とも!」
彼女の名は自分でも言ってるようにネム。家名はアルティアだ。
アルティア家と言えば、エレンディルの大時計台の設計や、ギルドカードの情報管理にも手を尽くした七英雄を祖先に持つ家系だ。
レンに声を掛けたネムもまた、七英雄の末裔として魔道具職人の技術は相当なもので、ヴェインを中心に置いたパーティではサポート役に徹していた。
「どーやったの? ネムの魔道具の影響を少しも受けないなんて不思議だなー」
「どうやったも何も、ご自身が言ってたじゃないですか」
「うん? 私?」
「はい。あのベルの音は聞いた人を落ち着かせる効果があるんですよね。俺はさっき偶然かもって言いましたけど、思えば俺は最初から落ち着いてましたし」
「……じゃー、落ち着く必要が無かったから効果がなかったってこと?」
「ですね。そうとしか考えられませんよ」
レンはそれ以上の説明はせず、あまり長々と話そうとはしなかった。
相手が英爵家の人間であるから気を遣うという考えもあったが、実行委員の仕事がまだ終わってないから早く行かなくては。
レンは「それでは」と言ってネムの前を後にした。
一人残ったネムはレンの後姿を見送りながら、
「変なの。効果がなかったにしては、ずっとすごい圧を放ってたけどね」
不思議そうに思いながら、そして首を捻りながら友人の下へ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
いつも通り授業に参加して、実行委員の仕事をこなす日々。
そうした日々が過ぎて行く中で、弁論をはじめとしたいくつかの競技で代表選考が終わった。
実行委員の面々も今日までは昼休み中も仕事をすることが多かったのだが、それがようやく落ち着きはじめた。
武闘大会などの代表選考は継続中だが、それでもである。
放課後に代表選考が行われるようになって、二週間近くの日々が過ぎた頃。
午後に行われる剣術の授業に参加しないレンが、その時間を実行委員の小部屋で有効活用するために足を運んだ。
鞄の中には、色々な教科の教員に貰った課題が詰め込まれている。
「レン君、こんにちは」
部屋の中に一人でいたフィオナもまた、自分の課題を進めていた。
ラディウスとミレイの姿はない。レンが今朝顔を合わせた際、二人は公務があって学院を休むと言っていた。
しかし、実行委員の仕事がはじまる放課後には来るようだ。
「俺もここで勉強していいですか?」
「もう……ダメっていうはずないじゃないですか」
苦笑い気味に頬を緩めたフィオナの声を聞き、レンは彼女の対面の席に腰を下ろした。
テーブルの上には既にフィオナが広げた参考書などに加え、他にも普段使っている実行委員の資料などもある。
「レン君? リシア様はいらっしゃらないんですか?」
「リシア様でしたらエレンディルで公務があるので、今日は学院を休んでます。ちなみにラディウスも公務があるから休みです。魔導船に乗って日帰りで遠出するみたいですよ」
「ということは……ミレイさんもですか?」
「ええ。そうなります」
冷静に答えたレンに対し、フィオナは何も言わずまばたきを繰り返す。
いつものように課題をやろうとしたレンのことをじっと見つめていた彼女は、レンにバレないように少しずつ頬を紅くしてしまう。
彼女は唐突に立ち上がり、「窓を開けてきますね」と顔を隠しながら言った。
「レ……レン君と放課後まで二人だけ……!?」
そして窓を開けてから、レンに聞こえないように呟く。
既に早鐘を打ちはじめていた胸の鼓動が、また一段と早くなったのがわかる。




