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邪魔する気がなくとも、話だけは聞きたくて。

 レンは腑に落ちない思いを覚えていた。

 ユリシスらの優しさに抗うような真似はしたくないし、無駄な戦いを欲しているという愚かなこともない。まず明らかに無理に口を挟めば邪魔になるだろうと思っていたから、強引に何かをするつもりだってなかった。

 でも心がすっきりしないまま、その後を過ごした。



 ――――二週間が過ぎて六月も下旬になろうと、変わらなかった。

 これは後ろ向きな逡巡ではない。

 自分が成すべきことを成すためのそれで、ユリシスたちが何かを成すなら、自分は屋敷を守る。屋敷に居るリシアを守るためなら、それが一番であるはずだからだ。それでもすっきりしないのはどうしてだろう。

 レンは獅子聖庁で剣を振りながら、迷いの理由を探っていた。



「ぐっ……ば、馬鹿なッ!?」



 獅子聖庁の騎士が一人、レンの剛剣を前に圧倒された。

 あっけなく膝をつかされて、間もなく別の騎士がレンに立ち向かう。



 そう。立ち向かうだった。

 いまでは立ち向かうのはレンではない。立ち向かうは、僅か半年前までレンに剛剣のなんたるかを教授しつづけた者たちである。

 しかし、そのいずれもレンの剛剣に膝をつかされた。



「はぁ……はぁ……最近のレン殿は以前に増して物凄いな」


「どうなってるんだ……? あまりにも鬼気迫る様子だぞ」


「うむ。真の獅子になろうとしておられるのか、冬からずっと、レン殿は無尽蔵の体力を尽きさせるように剣を振っておられる……」



 猶も剣を振るレンが、



(――――もっとだ)



 汗を流して、息を切らして。

 身体が動く限り、彼は懸命に努めた。

 レンが身体中に纏った(、、、、、、、)濃密すぎる魔力(、、、、、、、)は目に見えない。それでも、剛剣使いたちには解かった(、、、、)



 あの少年が再び、進化しようとしている。

 何らかの目的があって、強引に。

 その瞬間を見せつけられているような気がして、剛剣使いたちは息を呑んだ。



 ――――そこへ現れた、一人の老紳士。



「エドガーさん?」


「はい。お久しぶりでございます」



 最近はまったく顔を見る機会がなかった。

 唐突に現れたエドガーはレンの前でジャケットを脱ぎ捨て、訓練用に用意されていた二本の剣を左右の手に持った。



「少々時間に余裕ができましたので、是非お会いしたく参った次第です」


「……余裕、ですか」



 その余裕は意図的に作られた余裕としか思えない。

 レンの様子を伺いに来たといったところだろう。



「色々、本当に色々なことを聞きたいと思っていました」


「何のことかわかりませんが、私にはお答えできることと、できないことがございます」


「だったら、聞きません」


「よいのですか?」


「だって、エドガーさんはきっと答えてくれませんし。それにご迷惑になるかも」



 このときエドガーは悟った。

 もうすでに、レンはユリシスが隠していることを看破して、そのことに多くのことを考えていると。隠されている理由を理解しているはず、とも。

 レンを巻き込まないためのユリシスの優しさであることは承知の上。

 だからエドガーは、レンが何を考えているのかもわかった。



「よろしければ、久方ぶりに私がお相手しましょうか」



 唐突な言葉だった。

 二人は訓練を通じて剣を交わすことはあっても、あくまでも指導的なかたちとしてだ。昨夏のように剣を交わすのは、それこそ昨夏以来である。



(……)



 急だと思いつつ、レンは貴重な時間と思い剣を構えた。同じようにエドガーも構えた。



 すると――――。

 今日、先手を取ったのはエドガーだった。

 あの夏の日のように、凄まじい速度と膂力を誇る踏み込みで、風のようにレンの面前へ。

 両手にした剣を振り上げ、右、左と連撃を放った。



「――――レン殿は、守られることに耐性がないのでしょうッ!」



 皆の耳を劈く衝撃音が響き渡った。

 でも、それらの連撃から目を差逸らすことなく受け止めたレンが、キッとエドガーを見た。



「貴方様は今日まで、自分が守る側の立場にだけいらっしゃったッ! だから此の程、ご自身が守られる一人の側面もあることに、動揺しておいでなのですッ!」


「かも――――しれませんッ!」



 今度はレンから、手にした剣を振り上げ抵抗する。

 その抵抗は、夏と違いエドガーに肉薄せんとするほど。

 エドガーは掌に汗を浮かべた。以前と比較できない強さに対し、自然と力が入った。

 


「……老躯が何をと思われても構いません。貴方様が心に抱かれた思いを、どうかお聞かせくださいませッ!」



 剣を交わしながらだった。

 レンは自分の心がどんよりと曇っているような、そんな感覚がなぜなのか探った。

 前も思った。今回、ユリシスとラディウスは何かを隠している。それはレンたちを巻き込まないための優しさに違いないが、ここに思うことは何だろう。



(――――別に、戦いを渇望しているわけじゃない)



 わざわざ無用な戦いに身を投じる必要はない。

 こんなのは、何度も考えて間違いないと理解している。

 なのに、エドガーとこうして剣を交わしているだけで、少しずつ答えに近づきつつあった。

 


 もしかして……俺は……。

 そんなはずあるか? 相手は自分より遥かに強大な存在なのに?

 考えておきながら自嘲して、でも否定しきれず笑った。

 


(ほんっとーにお人よしなんだな……ッ!)



 当然、自分のことだ。

 縁を持ち、関わる機会が多くなったからと言って、様々なことを考えていたようだ。

 ゲームでのシナリオを心配して――――それもそうかもしれない。

 しかし、それ以上の純粋な献身か。

 あるいはレンが持つ剛勇が、()ごと気にしてしまっていたのか。



「自分が知らない場所で、自分が守るべき存在の傍で危険なことが起こるのを恐れてますッ!」



 レンが吼えた。

 その剣にはこれまで以上の膂力が込められていた。



「なればこそ、守るべき存在の傍にいるべきとも考えられますが――――ッ!」


「それは間違いありません! でも、エドガーさんは勘違いしてることがあるッ!」



 レンは思った。

 そうだ。道理で俺は迷っていたんだ、と笑った。

 大それたことを考えたものだと再び自嘲して、でもふっきれたのか、あるいはすっきりしたのか屈託のない笑みを浮かべた。



「勘違いですと……?」



 身体が軽かった。ここ最近の迷いが消えたせいなのか、生まれてこの方、経験のない軽さを感じた。



「――――きっと俺は、ユリシス様たちのことも心配なんですよ! だから、話だけでも聞いておきたかったんだと思いますッ!」



 一際強い一振りがエドガーを襲った。

 真正面から受け止めたエドガーは剛剣の強さに驚きつつ、同じくらい、レンの発言に驚きを覚えていた。



「――――」



 エドガーは呆気にとられた。

 主君、ユリシス・イグナートは剛腕と呼ばれる智謀の者で、その権力や影響力も世界に知れ渡る一握りの強者だ。

 なのに、その主君が心配と聞き言葉を失った。

 たとえレンが間接的に、ユリシスを守った過去があったとしてもだ。

 やがてエドガーの頬が緩んで、



「はァーっはっはっはっはっ!」



 彼はレンと離れた場所で立ち止り、高笑いした。

 腹を抱えた、本気の高笑いだった。笑い声を聞いて、レンはエドガーから距離を取って力を抜いた。



「わ、笑われると思ってましたが……ッ!」


「申し訳ございません。ただ、何と言いますか……くくくっ! まさかレン様は、主のことまでそうお思ってくださっていたとはッ!」



 つまるところ、心配だった。

 レンは魔王教と事を構えようとしているユリシスを、ひどく心配していた。

 ラディウスだってそう。別にユリシスとラディウスが直接戦うわけではないだろうにしても、そのことが心の中で蠢いていた。



 だから話を聞いておきたい。

 ユリシスとラディウス(、、、、、、、、、、)の思惑にエレンディル(、、、、、、、、、、)も無関係でないと思い(、、、、、、、、、、)、猶のこと、自分も聞いておこうと思った。



「……自分でも、ただ心配なだけだったのかって思うと笑ってしまいますけど」


「とんでもない! 崇高で優しく、暖かな言葉だろうと胸を打たれましたところです。そのお心をどうか、忘れずに居てほしいと思った次第でございました」



 するとエドガーが両手に構えた剣を構え直した。レンもそれに倣う。



「もうおわかりのはずです。主はクラウゼル男爵に手紙を送り、話の内容を伝えております。それどころか今日は主とお会いになり、直接話しておいでです」



 レンはそのつづきに耳を傾ける。



「クラウゼル男爵には、まだ何も聞いておられませんか?」


「教えてくれるはずがありませんよ。相手がユリシス様に、ラディウスなら当然です。だから聞くのには及びません」


「うぅむ……仰る通りでしょう……これは失礼」



 レンはエドガーが苦笑したのを見て笑った。先ほどの気持ちに気が付けたことで全身が軽く、心にすっと風が通り抜けたような気分だ。



「一つ、賭けをいたしませんか?」



 エドガーが言う。それは単純な賭けだった。



「レン様が私の特別な攻撃(、、、、、)を受け止められた暁には、私がレン様を主の元へお連れいたします。受け止められなかった暁には、諦めていただきたい」


「その攻撃はいままでと違うんですね」


「ええ。レン様を強者と見定めた剣と()にございます。怪我をする可能性もございますので、無理にとは申し上げません」



 レンの答えは決まっていた。

 依然としてユリシスたちの邪魔をする気はない。だが話を聞いて、自分はエレンディルの屋敷でどう振舞うべきかを、自分自分の頭の中で整理したかった。

 だから、



「――――是非、胸をお借します」



 様子をうかがう騎士たちは心躍った。

 あのレンが、あのエドガーに対してどんな剣をみせてくれるのか期待した。何合つづくだろう、なんて考えた者もいたくらいだ。

 だが、皆は各々の考えが誤りだったと知る。



 どんな剣を見せる――――期待が低すぎる。

 何合つづくだろう――――それこそ侮りだ。



 自らの感情に気が付き、心のつかえがとれたレンは本性(、、)をあらわにした。

 身体の奥底……もしも魂と呼ばれる概念が存在するのなら、そこに息吹く一際大きな彼の力の根源。

 不敗の獅子が居れば、きっとそう。



「先手をお譲りしましょう。それをはじめの合図といたします」


「ええ。――――参ります」



 その剛勇こそ、レンの真骨頂である。

 本懐を理解してこそ、進化に至る道が新たに開ける。

 レンは、ここでその力を開花させようとしていた。



(出し惜しみは必要ない。駆け抜けろ)



 自分に言い聞かせ、レンが遂に踏み込んだ。



「ッ――――これ、は」



 レンの剣を受け止めたエドガーの身体が、じりじりと後退した。

 その剣速はシーフウルフェンの身のこなしよりも疾い。その膂力はアスヴァルには劣るとも、その前に戦った二人の魔王教徒を凌駕していた。



「まだ、いきます」



 エドガーを連撃が襲った。

 一太刀一太刀が信じられないほど力強く、身体の芯から力を奪う剛剣だった。

 剣筋は鋭くて、剣が過ぎた後の残像がまるで本物の剣のようにすら見えた。

 以前と見違えるなんて優しいものではなかった。別人とも言えない。別の概念ともいうべき変化だった。



「はぁああッ!」


「……これほど早く化けるとはッ!」



 下から振り上げ、真横から一薙ぎ。

 数ある剣の扱いはエドガーならどれも目の当たりにしたはずなのに。



「……貴方様の力を獅子と評価したこと、間違いではなかったようだッ!」



 すべてが、レンのオリジナル。

 ただの横薙ぎですら、レンが扱えばそれも一つの技のよう。

 それでも猶、エドガーは強者だった。

 まだ力を隠していたし、ここでレンを倒せと主に命令されたら、すぐに意識を刈りとれる自信もあった。

 尋常ではない速さで進化をつづけるレンに対して、年季が違い過ぎた。



 しかしそれと裏腹に、背筋に走ったある感情。

 負けるはずなんてないのに、それを感じさせる得体のしれない怯えだ。

 一方で、嬉しさすらあった。



 ――――ある目的(、、、、)があって申し込んだ、先ほどの賭け。



 申し込んだ側のエドガーはその目的が達成されるかもと、即ち、自ら申し込んだ賭けが負けに終わる可能性を考えて、頬が緩んだ。



「ふふっ――――あの夏、貴方様をここへ案内した日を昨日のように思いだせますよッ!」



 エドガーが攻撃に転じてみせた。

 訓練用の剣――――そのはずだったのに、彼が両手に持った剣はレンが手にした剣を斬った。文字通り、刃を半分ほど両断した。



「……ははっ、馬鹿げてますよッ! エドガーさんッ!」


「馬鹿げてる? はっ! 本当に馬鹿げてるのはどちらでしょうなッ!」



 驚くレンを見たエドガーが、両手に持った剣をレンに投擲。



 レンはそれらを持ち手と僅かな刃のみとなった剣で弾き、僅かに後退。

 そこへ、エドガーの方から強烈な冷気が届いた。

 彼が宙に生み出した氷の刃はレンの服を貫き、彼を地面に縫い付けるため。氷の刃を手にした後に、エドガーはそれをレンに突き付け称えるつもりであった。



「お見せしましょうッ! 魔法を扱える者の剛剣をッ!」



 彼が放つ氷の刃は、一つ一つが纏いを会得した者の剣と同等なのだと。

 故に防ぐことは至難を極める。

 そう、つまりレンが抵抗できるはずがない。

 賭けはエドガーの勝ちで終わる……そのはずだった。

 


「――――見くびるなよ、剣聖」



 この日まで、幾度と死闘を繰り広げてきた少年の強さを。

 この日まで、幾度と強敵を打ち倒してきた少年の強さを。



 鍛錬で酷使された肺はいつも、熱砂の荒野に放置されたが如くカラカラに乾いた。それに、全身の筋肉が焼けこげそうな熱を持つまで無慈悲に追い込むことによる、常人離れした進化の速さ。

 それらはいずれ、獅子聖庁の最高傑作とも称されるだろう逸材の証明だ。



 故に、侮るなかれ。

 彼は幾度の死闘を経て猶も成長をつづける、レン・アシュトンなのだから。




 ◇ ◇ ◇ ◇




 獅子聖庁の騎士たちは絶句した。

 レンとエドガーの戦いから十数秒と経たぬ頃、先ほどの凄みにただ呆気に取られていた。



「貴方様をここへ招待した主のことを、私は誇りに思います」



 そして、とエドガーが繰り返すように、



「自分がレン様の師でいられることを、私は誇りに思います」



 そう述べて、レンに背を向けた。

 投げ捨てていたジャケットの埃を払い、それを小脇に抱えて歩き出す。



「エドガーさん!」



 呼びかけに立ち止らないエドガーに向けて、つづけて言う。



「あんな約束をして怒られませんか? 別に俺は、無理にとは申しませんから!」


「ご安心を。それに、どうでしょう。私はレン様に教えないようにとは仰せつかっておりません」


「……だとしても、叱責されるに決まっています」


「ふむ……いまの発言が主に対して不義に当たるなら……そうかもしれませんな」



 エドガーはそこで立ち止まり、レンに振り向いた。

 好々爺然とした、優しい笑みを浮かべていた。



「そのときは私がはじめて、主への不義を働いたということになるだけです」



 彼はそう言って目を細めた。



「ですから、心に宿るお気持ちに従われませ」


「……いいんですか?」


「レン様が仰ったように、まずは話してみることからでしょう。レン様も邪魔をすることは本意ではないようですし――――それに訳あって(、、、、)、レン様に話したほうが良い可能性もございます」



 エドガーの笑みを受けて、レンは何も言わずに頷いた。

 同時にレンはエドガーが口にした訳あって、の意味を尋ねようとしたのだが……



「やれやれ……こうなると思っていたんだ」



 ユリシスの声がした。

 気が付くと、彼は吹き抜けの上に居た。眼下に立つレンとエドガーに対し、仕方なそうに笑っていた。

 レンは彼の姿を見るや否や、慌てて駆け出したのである。


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