町の片隅で。
本日、書籍版1巻が発売となりました!
お出かけの際は是非、こちらの1巻をお手に取っていただけますと幸いです。
なかむら先生が描いてくださった素敵なカバーイラストが目印ですので、何卒、ご検討いただけますと幸いです……!
レンは一人になってからも足を止めることなく、今度は明確な目標を以てある場所を目指していた。もはや住み慣れたエレンディルの屋敷だ。
クラウゼル邸に帰ったレンは、
「お帰りなさいませ。お嬢様でしたら、まだお勉強中ですよ」
クラウゼルからこちらに来て間もない給仕にそう言われた。
彼女はレンとリシアを傍でよく見ていた給仕であり、リシアの身の回りの世話を担当していた女性でもある。
レンはリシアの邪魔はするまいと思い、静かにレザードの元へ向かった。
彼の執務室に到着してすぐ、
「事後報告となりましたが、お伝えしなければならないことがございます」
「ふむ、また急じゃないか」
レザードは若干驚いているようにもみえるが、特に動揺した様子を見せることなくレンを傍に手招いた。
彼が居た机の対面に立ったレンを見て、レザードが冗談を口にする。
「少し前のことだが、私の元に盗賊団と思しき者による被害が報告された。……まさかレンが、その噂の盗賊団を捕まえたわけでもあるまい。何をしてきたのだ?」
「…………」
レンが黙った。
それを見て、レザードがまばたきを繰り返す。きょとんとしたレザードが腕組みをして、考えること十数秒が過ぎてから、
「アスヴァルとどちらが強かった?」
「…………へ?」
「すまない。気が動転して妙な冗談を口走ってしまった。……だが、思いのほか驚いていない自分も居る」
少なくとも、アスヴァルを討伐したと聞いたときとは比較にならない。
そこに魔王教徒が関係していると聞いたところで、どうしてもアスヴァルのとき以上に驚くことはできなかった。
驚嘆する代わりに、彼は頭を下げる。
「感謝する」
唐突にだった。
「盗賊騒動も、レンのおかげで一つの終着点を迎えるだろう。そこに魔王教が関わっていて何を考えているかは忘れていないが、ひとまずは……だな」
「勝手なことをしたと俺を叱らないのですか?」
盗賊団の騒動には騎士もかかわっていたためだ。
別にレンも卑屈になり過ぎていると考えたが故の言葉ではない。自分の立ち位置と騎士たちの関係、それにクラウゼル家とのかかわりを鑑みてそう尋ねた。
「偉業を叱りつけられるほど、私は高尚な存在じゃない。それに言ったろう? レンには感謝しているのだ」
エレンディル領主のレザードにとっても、レンの活躍は大層喜ばしい。
心優しいレンらしい振る舞いを叱るなどとんでもなく、称賛してこそだ。
「だがまぁ、危ないことをしたことに強く心配する聖女はいるだろうが」
「……後で自分の口からご説明しようかと」
「そうしてくれ。しかし、リシアもレンを不満に思っているじゃないのだ。ただレンを心配してるからということだけ、容赦いただきたい」
「存じ上げております。リシア様は優しい方ですから」
その後でレンは、アーネヴェルデ商会と平原で会ったこと、盗賊団員の移送は彼らに任せているということも共有した。
「それも助かる。レンのおかげで、我がクラウゼル家の政治的競争力も高まるな」
「あ……言われてみれば確かに」
「だが、無理をしていいという免罪符にはしないでくれよ。私もリシアも、レンが壮健でいてくれてこそ安心できる」
優しい声と笑みだった。
レンは今日の振る舞いに後悔はないが、安易に命を投げ捨てるような真似は絶対にするまいと心に誓う。
レンは、再び今日の戦果に満足を覚えた。
あくまでもひと段落に過ぎず、魔王教との背後関係を思えばまだ終わりじゃない。
むしろ、そこからが本番ともいうべきではあるが、これ以上事が大きくなる前に防げたことが喜ばしい。
(やっぱり、こんなイベントはなかった。何をするつもりなんだろ)
レンの活躍により、彼に覚えのないことが起こるのは仕方ない。
本来、この時期には既にユリシスが魔王教に寝返り、陰で暗躍していたこともあるから、奴らはまるっきり違う方法で攻めてきているからだ。
色々なことを考えていたレンに対し、レザードが再びの苦笑。
「アーネヴェルデ商会に大きな恩を売ったも同然だな。イグナート侯爵の件然り、レンは私より政治力がある気がして止まん」
「い、いえいえいえ、そうはいっても俺一人ではどうにも……」
「それで、アーネヴェルデ商会の者はなんと? レンは私を気遣ってすぐに帰って来てくれたようだが、レンにも話を聞きたかったのではないか?」
「だと思います。なので用事があればギルドに連絡をしてください、と言い残してきたんですが」
平原でのことを思い出して語って、すぐのことだ。
この執務室の扉がノックされ、レザードの返事を聞きヴァイスが足を運ぶ。
ヴァイスの手には一通の手紙があった。
「少年にと、ギルドの者が持ってきたぞ」
早速だった。
まだ町に戻って間もないと言うのに、何と仕事の早いことか。
「ヴァイス。ギルドの使いは何と言っていた?」
「詳しくは何も。ですが先ほどご当主様に届いた報告に加え、この少年への連絡。更にギルドの者の顔を見れば、何があったのか想像がつきます」
「だが、アスヴァルのときほどは驚かなかっただろう?」
「仰るとおりです。少年が盗賊団を潰したのかもしれないと思ったところではありますが、不思議なことに、昨年ほどの驚きはございません。ああ、やはり少年だったな――――と頷けた自分もおりました」
「……急なことではありましたが、エレンディルのためになると思ったんです」
「知っているさ。私も、ご当主様もな」
ヴァイスはレンの傍に来ると、レンの頭を優しく撫でた。
壮年の割に背が高く、ぴんと背筋が伸びたヴァイスはまだレンより身体が大きいため、難なくそうすることができる。
もう一年もすれば同じくらいか、レンの方が大きくなっても不思議ではなかった。
「手紙を寄越した者はすぐに確認してくれと言っていた。悪いが、頼めるか?」
「わかりました」
封を開けたレンが中を検める。
急いで書いたことがわかる、丁寧さを欠いた文字が綴られていた。
要約すれば、ギルドはアーネヴェルデ商会から伝言を言付かっているという。この場所へ行ってくれ、という旨の伝言だ。
(どこだこれ)
文字で指示された道をレンは頭の中で思い返す。
まず、ギルドすぐ傍の路地から奥へ進み、右手へ――――突き当りを――――。
どう考えても、何もない路地裏にすぎない。アーネヴェルデ商会がそこに来るよう言った理由はわからないが、事を構えたいわけではないと思った。
人目に付かない場所で、秘密裏に話をしたいのだろうと考える。
「アーネヴェルデ商会の方と会ってきます」
「大丈夫か? 騎士を同行させてもいいが……」
「心配要りませんよ。レザード様のお気遣いは嬉しいですが、騎士の方たちには屋敷を守ってもらってください」
レンはそう言って執務室を出る。
向かうのは、相手から指示された人気のない裏道だ。
◇ ◇ ◇ ◇
一人足を運んだところ、先ほどもみた剣士たちが居た。
「奥へ進んでくれ。曲がり角の手前で立ち止るように」
「念のためにお伺いします。曲がり角を進んでしまったらどうなりますか?」
「……私からは何とも言えんが、とにかくそうして欲しい」
別にここで強情になることもない。
レンは「わかりました」と素直に応じ、男に言われた通り先へ進んだ。
立ち並ぶ建物群の裏手は、やはり陽光があまり届かない。
それでも、曲がり角にはちょうどよく陽光が天から注がれていた。
レンが曲がり角の手前に立つと、すぐに声が聞こえてくる。
「先ほどは驚いたぞ」
レンには見えないが、曲がり角の先に居たのはラディウスだ。
革製のテント越しに聞いたのとはまったく違う、彼本来の声だった。レンはその声をユリシスの際と同じように識っている。
そのためレンは、「まさかな」という思いを抱いた。
いまの状況に加え、平原でのやりとりからもそんな気がした。
(……)
レンはその考えを一切表に出すことなく平静を装った。
予想が正しければ相手が相手のため、それこそ、皇族派筆頭であるユリシスにそれとなく尋ねればいいと思った。
衝撃を覚えていない訳じゃない。
これでもレンは、懸命にその感情を抑えていただけだった。
(で、だとすればなんで彼がいたのさ)
立場を思えばあんな場所に自ら足を運ぶ必要もないだろうに。
レンはここで動揺することこそまずいと考えて、心を律しつづけた。
「あれだけの情報から、よくぞ盗賊どもの根城を見つけ出した。称賛に値する」
「私としては、そちらも予想はしてたのだろう――――と、いまになって考えておりますが」
相手がラディウスかもしれないとあって、レンは口調を改めた。
「何故そう思う? ――――それと、何故言葉遣いを変えた? 私は変えてくれなんて頼んでいないぞ」
そうは言われても、そうもいかない。
むしろ平原でのやりとりに後悔を覚えていたレンにとって、ここで猶も砕けた態度で接するなんて考えられなかった。
相手がラディウスなのか確証はもてないが、丁寧な口調で損はないはず。
なのに、ラディウスは言う。レンはまだ相手がラディウスだと確信しきれていなかったが、相手は関係ないと言わんばかりに、
「先ほど話したようにしてくれ。いいな?」
「……なぜなのか理由をお尋ねしても?」
「そうした方が語らいやすいからだ。一度はあのように接したのだから、わざわざかしこまる必要もないだろうに」
いいか? と後押し。
それでもレンは逡巡に陥り、数秒ほど返事が遅れた。
困ったあげく、振り向いてアーネヴェルデ商会の剣士を見た。それも本当にアーネヴェルデ商会の剣士かいまとなっては疑問があるけど、その男は仕方なそうに頷いている。
仮に相手がラディウスであっても、不敬罪だと言われることはなさそうだった。
「――――さっきの質問への答えだけど、あれだけ迅速に動いてた人たちなんだし、盗賊団のアジトに気が付いてて不思議じゃないと思って」
レンが諦めてそんな態度で言えば、ラディウスが満足げに頷く。
「正しくは、そなたと同じ頃合いに私も気が付いたといったところだ。あのとき、私は周辺の地図や情報を漁っていた。それで少し遅れて答えにたどり着いたのさ」
彼が革製のテントの中で読んでいたのがそれらの資料だと知り、レンが「だからか」と頷く。
そうでなくては、わざわざ平原に拠点を構えるなどしなかっただろう。
「しかしそんなことまで気が付くとは、また驚かされた」
「はぁ……自分から俺を焚きつけておきながら、俺が気が付かないと思ってたのかよ」
「そう言うな。いずれにせよ先に気が付いたのはそちらなのだ」
「違う。そっちじゃなくて、俺が強気に盗賊団を探そうとしてたときだよ。好きにしろ、って言ってたじゃん」
「あれはそなたの強さが気になったのもあるが、同じくらいそなたが強情だったからだぞ」
「……それは反論できないけど」
実際にそうだからレンも少し反省していた。
しかし、実際にあそこで踏みとどまれはしなかっただろう。レザードと話したときもそうだがレンはあの行動を後悔していなかったからだ。
「気を悪くしたのならすまない。私はただ、そなたの機転の良さに驚いていただけさ。細かいことは許してくれ。私も顔を知らぬ相手と、こうして話す経験をしたことがないのだ」
「そんなの俺もないって。ただまぁ……別にいいよ、もう。俺としても悪くない仕事だったし」
二人はそのまま、顔を見せずに会話をつづける。
普段は何をしているのか、とか。何の変哲もない、いわば取り留めのない世間話を交えること十数分が経つ。
ラディウスはレンに見えない場所で腕時計をみて、「時間だ」と言った。
「悪いが、もう帰らなくては。とても充実した時間だった。感謝する」
「こちらこそ。じゃあ俺ももう行くよ」
レンがこれまで背を預けていた壁からその背を放し、曲がり角の先に背を向けた。同じくラディウスも背を向けて、二人は同時に歩きはじめる。
「約束してた報酬はどう支払えばいい?」
「この町の領主様に寄付しておいて。俺はいいから、この町のために使うためにさ」
それっきりだった。
もう交わされる言葉はなく、二人は離れていく。
やがて、ラディウスの元にミレイが姿を見せた。
彼女はどこからともなく現れて、主の隣を歩いた。
「ミレイ、面白い男を見つけたぞ」
「ニャ? 愉快な詩でも読む詩人ですかニャ?」
「馬鹿を言うな。お前も様子を見ていただろうに」
何処で見ていたのかというと、平原にいた頃からだ。
人前に姿を見せなくとも、諸々をその目で確認していた。
「殿下、そんなにあの少年のことが気に入ったんですかニャ?」
「惚れたと言ってもいい。語るだけでわかる知性と機転。それらを凌駕する苛烈な剣戟――――何よりも勇気が、私の心に経験したことのない熱を抱かせた」
「ニャニャニャッ!? 殿下!? 何を言ってるんですかニャ!?」
「安心しろ。恋慕ではなく、あの男の人柄に対してだ。――――それに、はじめてなのだ。あれほど砕けた態度で私に接する者など、いままで一人もいなかったからな」
路地裏の静けさに溶け入った声は、確かな喜色を孕んでいた。
「そうは言いますけどニャ、殿下が砕けた態度でいいって言ったんじゃないですニャ」
「だが、頼んでも聞き入れてくれるものはこれまでいなかったぞ」
「それは、相手が殿下を殿下だと知らなかったからでしょうニャ。しっかし、そこまで熱い思いがあるのニャら、どうして顔もみずに話をしてたんですかニャ?」
「あれはあれでいい。どうせすぐに顔を見て話せるのだから、今日の出会いを最後まで貫き通しただけのことだ」
「……やれやれ、男心はよくわかりませんニャ」
「私は女心がよくわからんから、同じことだ」
そういえば……と、ラディウスが思いだした様子で言う。
「あの男、見事な剛剣使いだったな」
「確かにそうでしたニャ。若くしてあれだけの実力者となれば、名前が売れていて不思議じゃないんですけどニャ~……」
「レン・アシュトンと言ったか。アシュトンという貴族に覚えはないが……」
「私も――――いえ、そういえばイグナート侯爵が最近懇意だと噂のクラウゼル家に、そうした家名の騎士が居た気がしますニャ」
「ほう、よく知っているな」
「前にイグナート侯爵の動きが気になったので、色々調べたんですニャ」
多くのことが理解できた。
レン・アシュトンがこの町に住む理由も、あの平原に足を運んできた理由もそう。先日、アーネヴェルデ商会の特殊依頼を受けた理由だって理解できる。
「クラウゼル家と言えば、先の英雄派との騒動もあったな」
「確たる証拠があるわけではありませんが、そこにエドガー殿が助力した――――という噂ですニャ」
「それはどこで聞いた噂だ」
「私が調べた情報を基に、私の脳内で繰り広げられた噂ですニャ」
「……そうか」
それを噂と言っていいのか疑問はあるが気にしない。
いま、ラディウスにとって重要なのはレン・アシュトンのことだけだった。