鍛冶屋街。
書籍版1巻が8月17日に発売です!
夜、エレンディルの屋敷に帰ったレンはレザードたちを驚かせた。
いきなりの特筆すべき戦果を見せられて、彼らが驚かないはずがなかった。
しかしリシアだけは違って、レンなら不思議ではない――――と彼の活躍に微笑んだ。
バーサークフィッシュの肉は美味なため、せっかくだからとレンが言い、この屋敷で振舞われることに決まる。分厚い鱗も、刃物と研ぐのに良いから売らなかった。
夕食を終えてから、湯上りのリシアがレンの部屋を訪ねた。
「そういえば、鍛冶屋街には行けなかったらしいですね」
「うん。ほんっっっとーに色々なことがあって、それどころじゃなかったの」
「随分と溜められましたが、何があったんです?」
「……まだ秘密。けどレンもすぐにわかるわ。素直に教えるのはちょっと悔しいから、今日だけは駄々っ子で居させて」
「駄々っ子……?」
リシアはそう言うと、ベッドに腰を下ろした。
部屋の主であるレンはその傍にある丸椅子に座っていた。なのにリシアはベッドの隣をぽんぽんと叩き、傍に来るようレンを促した。
これまでにない仕草にきょとんとしたレンが黙っていたら、リシアがまたベッドを叩いた。彼女の積極性を積極性と理解できなかったレンはどうしたものかと思いつつ、彼女の隣に座る。
すると、
「これ、エドガー殿からよ」
リシアは一通の封筒をレンに渡す。
心なしか、普段より物理的な距離が近い。
受け取ったレンは「何だろう?」と思いながら封を切り、中を確認する。出てきた羊皮紙を広げてみれば、来週、帝都で会おうというユリシスの言葉が記載されていた。
「来週、ユリシス様と帝都で会うことになりました」
「イグナート侯爵と? 食事でもしてくるの?」
「いえ。前にアスヴァルの角について相談していたと思うんですが、それについて、鍛冶師を紹介してくれるそうなんです」
鍛冶師を紹介するということは、レンの防具にかかわる話となるだろう。
それにはレンもワクワクしてくる。
彼の頬が緩んだのを見て、リシアは「レンもちゃんと男の子だものね」とお姉さんぶった表情を浮かべた。
「一緒に行きたいけど、さすがに我慢するわ。その代わり、今度一緒に鍛冶屋街へ行ってみましょう」
するとリシアが、思いだしたように手を叩いた。
彼女はポケットに手を入れて、例の小瓶を取り出して声を弾ませる。
「見て見て! 私にも剛剣技の才能があったみたい!」
努力家な性格は元来のものだ。
しかしリシアは、同じくらい天武の才に恵まれている。
剛剣技に至ってはレンの影響を受けて向き不向きの問題が生じていたが、それにしてもちゃんと、才覚を示して見せた。
剣筋の他にも纏いに通ずる魔力の扱いとして、やはりリシアは見事な器用さを誇っていた。真っ二つに割れていた水晶玉を見るに、エドガーの言葉を借りれば類まれな才能と表現できよう。
「ほんとですね。リシア様のことだから大丈夫だと思っていましたけど、俺も自分のことのように嬉しいです」
「ふふっ――――そうだわ! レンの方だってもう割れてるんじゃないかしら?」
「え、いえ……俺の方は……」
「見せて。お願い」
微かに甘えるようなリシアの声に対し、レンは立ち上がってこの部屋にある机に向かう。引き出しを開けて、そこにしまっていた小瓶を取り出した。
レンはその小瓶を、遠慮がちにリシアへ渡す。
「……」
すると、リシアは引き攣った笑みを浮かべる。
「傷どころか、粉々じゃない!」
「……実は今日の狩りを終えてすぐ、そうなりまして」
水晶玉が割れたことを喜んでいたリシアにとって、粉々に砕けた水晶玉は衝撃以外のなにものでもなかった。
しかし同時に、嬉しくもある。
レンとの差に悔しさを覚えなかったわけではないが、レンに圧倒されるのは慣れっこだし、実のところ嫌いじゃない自分も居た。
「……はぁ、もういいわ。レンだからしょうがないって思えちゃうもん」
「すみません。俺も実のところ驚きすぎて、逆に落ち着いちゃったくらいなんです」
「うん。だと思ってた。けど、魔力の量に限っては私も負けてないと思ってたのに……こうして見せつけられちゃうと、それも違うのかなって気がするわ」
「それは誤解ですよ。魔力の量で結果が大きく左右される訓練じゃなかったはずです」
影響がゼロとは言わないが、エドガーに貰った小瓶を用いた訓練の肝は、纏いに通ずる魔力の扱いだ。
練り上げた魔力を握りしめた小瓶を通じ、中の水晶玉に影響を与える。重視されるのはその魔力の扱いで、魔力の量が多いだけで戦果が出るわけではない。
実際レンは、こと身体に宿る魔力の量はリシアの方が多いのではないだろうか、と考えている。
今回の水晶玉は、レンの方が必要な魔力の扱いに長けていただけ、ということだ。
「そういうもの?」
「はい。なのでお気になさらず」
「……わかった。――――今度、頃合いを見計らって一緒に獅子聖庁に行ってみましょう。エドガー殿が、私もよければって誘ってくださったの」
リシアのための紹介状も、すぐにエレンディルの屋敷に届くそうだ。
「ってことは、なんだかんだ以前交わした言葉が叶いそうですね」
正騎士がクラウゼルを訪れた際、レンに聖剣技が向いていないと言われたときのことだ。二人はともに、自分たちに向いている剣技を探そうと言ったことがある。
(これでよかったのかな)
リシアに聖剣技が向いていることはレンも知っていたから、剛剣技に引き込んだことに思うことがないわけではない。
だけど、剛剣技の強さを考えれば間違いなくリシアのためになろう。
そう思うと、頑張って切磋琢磨しようと思えた。
「でもその前に勉強よね……後は魔物相手の戦闘訓練だけど。そういえばレン、冒険者ギルドには行ってみた?」
「朝のうちに顔を出してみました。やっぱり都会の冒険者ギルドは色々違いますね」
「そうね。クラウゼルと違って色々な物を売ってるし、依頼書も多いと思うわ」
この冒険者ギルドについて、リシアは気になっていることがあった。
「レンって、ギルドランクはいくつなの?」
魔物のランクと同じで、冒険者ギルドに登録した者たちもランク付けされる。
とはいえ、それがすべて実力に比例するわけではない。高位のランクになるためにはいくつか条件もあって、それらを達成しなければいくら強くともランクが上がらない。
レンの場合もその影響で、まだEランクだった。
「って感じです」
「ふぅん……でも、レンだったらすぐに上げられそうよね」
「どうでしょう。高ランクになれば良いこともあるので、上げておいても損はないかもしれませんが」
たとえばBやAなどの高ランクに到達すれば、冒険者ギルドでも依頼を優先して受けられるようになったり、帝都にもある宿などで料金が割り引かれることもある。
また貴族お抱えにでもなれば、それなりの発言力だって得られるかもしれない。
国外へ行く際に必要な書類が免除されることもあれば、逆に国賓になった例もあるそうだ。
(後半部分は、もう割と不要な気もするけど)
ユリシスとの縁は、それらの冒険者が得られる力以上のものだ。
かと言ってそれだけに頼る気はないし、万が一にも関係が破綻すれば逆効果だから、やはりランクを上げておいて損はないだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
エドガーが残していた手紙通り、レンは翌週、約束通り帝都に足を運んだ。
彼はわざわざエレンディルまで迎えに来たユリシスとエドガーの二人と共に、帝都における鍛冶屋街に足を運んでいる。
いたるところで蒸気が舞い上がるこの地域は、冒険者のみならず、騎士や騎士を目指す学生の他にも、料理人も切れ味のいいナイフを求めて足を運ぶ場所だ。
入り組んだ路地や多くの坂道によって、この辺りは馬車では進めない。
そのため三人は、徒歩で目的の工房を目指していた。
道中、レンが壊した水晶玉の件にも触れた。
「レン様ならすぐにと思っておりました。ですがまさか、粉々に砕いてしまわれるとは……」
「はははっ! もう笑うしかないじゃないか! クラウゼル嬢の資質にも驚いたと言うのに、君は更にその上をいってしまうのかい!」
アスヴァルを倒した少年なら、当然と言えば当然かもしれない。
ここにいる二人は聞いたことのない成果に対し、ある段階を超えてからは驚きが笑いに変わっていた。
「いずれにせよ、おめでとうございます。纏いを会得できる日もそう遠くなさそうですね」
「ああ。すぐにでも剣客級、いや、剣豪級になっても不思議ではないね」
「ありがとうございます。そうなれるよう俺も精進します」
剛剣技の話の次に話題となるのは、今日の本題だ。
「今日会う鍛冶師って、どういう方なんでしょう」
「それはもう腕がいい鍛冶師さ。問題は、偏屈で仕事嫌いなことだね」
人混みの中を歩きながらユリシスが肩をすくめた。
やや芝居じみた振る舞いが、彼の抜群の容貌と相まって絵になった。
「へぇー……職人気質って感じがします」
「いや、それはよく言い過ぎだ。確かにあのドワーフは仕事を選ぶ節はある。けどね、たまにそれを職人気質だとかなんとか言い張って、単純にサボるような男なのさ」
「……あの、本当にアスヴァルの角を加工してくれるんですか?」
「どうだろう。何度も手紙を送ったんだが、郵便受けを空けてないのか返事がなくてね。どうせなら私が直接行こうと思ったのさ。ははっ! 私の手紙を無視する相手なんて、彼くらいしかいないよ!」
面白い人物が好きなユリシスにとっては笑いごとだろう。
しかし、連れてこられたレンにとっては溜まったもんじゃない。別に徒労に終わろうが気にしないが、せっかくだから、今回の仕事は引き受けてほしいと思う。
ため息交じりにその希望を抱きながら、彼はおもむろに別の場所を見た。
(――――学園区画が見えるな)
坂の多いこの辺りからは、学園が立ち並ぶ区画を見下ろせた。
その区画で一際大きな存在感を放つ帝国士官学院も、先日同様そこにあった。




