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第6話

 ノアはただ、抱き締められながら、何もできずにいた。ダニールのあたたかい腕のなかで、どうしようもなく胸が高鳴っている。


 戦神と呼ばれた人の厚い胸板に頬を寄せている。その事実が信じられなかった。しかし、「ノア」の声と耳にかかる息で現実だとわかる。


 ダニールの手がノアの背を撫でる。それだけの行為なのに、いやらしさを感じるのは自分がおかしいせいなのか。耳元でささやかれるたびに腰の辺りがうずくのは、自分が変態だからなのか。説明がつかなかった。


 ダニールの手がノアの腰に到達したとき、ローナの声で抱擁は終わる。


「ダーナ様!」


 ぬくもりは離れていった。ダニールはローナの顔を見つめて、「何か?」と穏やかにたずねる。


「あの、いえ」ローナにしては歯切れが悪い。


「ああ、きみはそうか。わかった。夕飯か?」


「は、はい、そうですわ!」


 2人は、2人にしかわからない何かで、つながっているようだった。それを感じた瞬間、胸が痛み、思わず手で抑えるが、すぐに何ともなくなった。2人が会話しながら歩いていく姿を見つめながら、ノアははじめての気持ちに唇を噛んだ。


 翌日のことだ。朝のまだ空が白む中、1台の馬車が到着した。医者とその助手と思われる2人の男が馬車を降りる。ダニールの部屋までローナが案内すると、邸宅は異様な緊張感に包まれた。


 ノアは屋敷の庭でダニールの部屋の窓を見上げながら、ため息を吐いた。病が治るのはうれしいが、ダニールが戦場に戻るのは歓迎できなかった。戦神と崇められながらも腕や胸板はぬくもりがある人間だ。


 以前のようにダニールを知らなければ、また戦場で活躍してほしいと思うだろうか。


 しかし、肖像画よりも魅力的なダニールに触れてしまえば、そんな考えはすっかり消えた。戦場の厳しい顔よりも、笑顔やあたたかな手のほうがずっと好きだから、どうかいなくならないほしい。見上げる窓に向かって祈った。


 祈りは大方通じなかった。ダニールの病はほぼ完治していること。七日後に迎えが来るということ。


 ローナは喜んでいるようで、鼻歌を歌いながらほうきを振るう。普通は喜ぶべきだ。


 ノアは自分がなぜ喜べないのだろうと、草を刈りながら思いにふけった。剣の代わりに鎌を持ち、草の束を一房掴み、ざくっと引く。ほうきの手を止めたローナが近づいてきた。


「ノア、よかったわね」


「うん……」


「うれしくないの?」


「うれしいよ。でも、さ、病が治ったら、戦場に行ってしまうだろうし。もしダーナ様が傷ついたらと思うと心配で……」


 頭上でため息の音がした。


「あのね、ノア。言っておくけど、ダーナ様は王子さまなのよ。男だし、いずれこの国の王になる御方。男のあなたが好きになったところで思いも遂げられない。ノアが辛いだけよ」


「ローナ。僕がダーナ様を好きなんてそんなこと……」


 ダニールを恋愛対象になんて考えたこともなかった。あこがれてはいるが、おこがましく好きだとは想えなかった。


「じゃあ、好きでいてもいいのね」


「ローナ?」


「好きよ」ローナの潤んだ瞳に落ち着かなくなる。ローナは気の置ける友人だ。失礼な話だが女性だと感じて接したことはなかった。


「あなたのことが好き」


 涙をこらえるように眉根を寄せたローナの顔は女性だった。ノアの心は震えても、ローナのような気持ちを抱いてはいない。どこまでも正直なノアだ。告白をはぐらかすことも、嘘をつくことも難しかった。


「僕は……きみを友人だと思っている。だから、男女のそういうふうには考えられない。それに僕は……」


 ローナの顔が一瞬ゆがんだ。すぐに立ち上がってしまい、表情は確かめられなかった。


「そう、よね。わかってたわ! いいの! 大丈夫よ!」


 震えた肩を自分で抱きしめながら、ローナはノアから背中を向けた。その両肩に手をかけることも抱き締めてあげることもできない。


「ごめん、ローナ」


 遠ざかる小さな姿に届くことはないけれども、こぼさずにはいられなかった。


 7日間はあっという間に過ぎた。

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