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第5話

 ダニールは窮屈な書斎に缶詰になりながら、事務的な手紙をしたためた。上質な羊皮紙には印がされていて、王家の人間だけが使うことを許されている。


 別荘に滞在するための約束として、母の側近であるロアルタスへの定期的な連絡が義務付けられていた。ここに来るまでも事務的なことでの才能はまるでなかったが、遠ざかっていた分、ますます苦手になっていた。


 ペンをいったん置き、誤字がないか手紙を見直していく。並べたひどくつまらない事務的な単語にため息がもれた。


 早く稽古をはじめたい。身体を動かしたい。墓参り後の約束からノアとは何度も稽古を重ねた。少しずつ剣の腕が上がっていくノアを見ていると、病に負けたくないと思う。そうでなければ、肉食のダニールが草や薬など口にするわけもない。そのかいあって、調子がいい。


 希望が見えてきたのはノアのおかげだった。きっと感謝の言葉を伝えれば、恥じらうだろう。赤らんだ顔は、同性のくせに可愛らしい。実が熟したように真っ赤になって……。想像が膨らんだ。


 ダニールはノアの真っ赤な頬に手を当てて、顎まで撫でる。顔を寄せていく。互いにまつ毛を下ろし、唇を重ねる。半開きの唇に舌を差し入れて、戸惑う舌をからませたい。深くおぼれるように、ノアの唇のやわらかさに没頭する。その先が欲しい。


 そこまで想像して、ダニールは自分の口に手を当てた。


 ――相手は男だぞ。金色の髪は手触りもいいだろうが、体格の良さはまさに男だ。脱いだらかなりの筋肉をたくわえているだろう。ノアは男。気の迷いのような不確かなものにとらわれてはいけない。まさかなと、浮かんだ予感をかき消した。


 空は、暗くよどんでいた。一雨来るのかもしれないとダニールは予感する。


 窓の下で一心不乱に剣を振るうのはノアだ。一点に集中する真剣な顔は、いつもの情けなく臆病な一面など感じさせない。掛け声も厳しく鋭っていて素人相手ならひるませられるだろう。


 ――ずいぶんと進歩したものだ。ダニールは声をかけるのを忘れ、ノアの姿に釘づけになった。


 汗が首筋を伝っていく。顎の辺りを手の甲で拭う仕草には、色気さえただよってきて、思わず喉が鳴る。あの湿りを帯びた肌に手を這わせたい。「ノア!」と呼んだのはこれ以上見ていられなかったためだ。案の定、ダニールの顔は赤い。


 ノアの剣を振る手が止まった。ダニールは部屋を飛び出していた。


「ダーナ様」ダニールを見つけたときのノアの表情は本当に無邪気で、笑みを誘う。


「ずいぶんと様になってきたな」


 頭をぽんぽん叩くのはわざと弟扱いだと思わせるためで、自分の気持ちを隠すための手段でもある。そんな下心さえ気付かないノアは、照れ臭そうに苦笑した。


「ダーナ様のおかげです」


「いや、俺が教えたことは方法にすぎない。日々の鍛練がお前を成長させたのだろう」


 謙遜するノアに、またしても笑いながら、ダニールはいたずら心がわいた。


「しかし、持ち手はもう少しこうだ」


 ダニールは背中に密着してノアの耳もとでささやいてやる。ささくれた指におのれの指を重ねると、真っ赤な耳が熟した。


「は、はい」


 なんて可愛らしいのだ。ダニールは腕で抱き締めたくなる気持ちを抑えて、ノアから離れた。


 やさしい笑みを貼りつけてはいるが、わいてくる気持ちを必死で堪えている。


 そして、今日は幸先がいい。いつものノアよりも警戒心を解いていて話しやすかった。


 ならばと、ダニールは自分の気持ちに応えてくれる可能性があるのか、かまをかけてみることにした。この先の態度によってはノアとの仲が変わる可能性がある。


「もう、俺も必要ないな。明日、医者が来るが。それで結果が良ければ……俺はここを離れる」


「え?」


「つまり、病が治って、さよならってわけだ」


「そ、そうですか」ノアはうつむいた。


「淋しく、なります」とだけ。


 答えはあっさりとしたものだった。涙を流し、足にすがりつくまでは予想していなかったが、ノアは平たく笑みを浮かべた。


「いいんだな……」


 ダニールは初めて胸に痛みを感じた。よく婦人が話していた。恋話のような痛みを感じる部分が自分にも存在するとは。痛みでノアの気持ちを思いやる余裕もなかった。うつむく金色の頭をにらみつけた。


「あの、噂では、その、不治の病だと聞いていて……治るご病気だったのですね、本当に、よかっ……」


 顔を上げたノアの瞳に涙の膜が浮かぶ。やがて、きれいな筋を描いて頬を伝っていった。


「それは俺の病が治ることがうれしいと?」


 ダニールは問い掛けながら、自分が望む答えを期待した。望むのはただ一つ。


「当たり前です。ずっと、心配してて……」


 ノアは自分の泣き顔を両手で覆い隠した。


「悪かったな、心配させて」


 自然と抱き寄せた。ノアの抵抗もなく、ダニールは腕のなかのぬくもりにしあわせな気分に酔い痴れる。鼻を突く汗臭ささえ、気持ちを高ぶらせる。ノアを抱きたいと。


 ここにきて、ダニールの心は疑いようがなかった。もう止まらない。――自分は下級兵士に、恋をしたのだ。

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