憧れのセンター
『神迎える 夕陽の海は さみしくて』
壁一面の鏡に向かって、五人の少女が、Tシャツにショートパンツという格好で、ゆらゆらと左右の手を交互に上から下へと動かす。天井にまんべんなく取りつけられた蛍光灯が、ほのかな影を四方八方に散らしている。
和風のBGMに合わせ、少女たちが額に汗して舞いおどる。
『届かぬ想い 胸しめつける』
すずめは右から二番目にいて、メンバーの中でもひときわ小さな手足をオーバーアクションで動かしている。他のメンバーも、笑顔ながらも眼には力強さがあり、アイドルとしての矜持を誇示した。
『オレンジ空に 伸ばした手はいつも ただ冷たくなって』
空に向かう手を胸元に寄せ、一気に力をこめる。
『やがて来る夜の はじまりだけに 想いはふれた』
「――ストップ! もう十分だ、今日はこれで終わりにしよう!」
メンバーがぱっと顔を上げたとき、手をパンパンと叩く音と、男性の声が響いた。
低い声。ひしひしと伝わる憤りに、メンバーの心臓が跳ねあがった。
すずめが振りかえると、眉間にしわを寄せたプロデューサーが立っている。プロデューサーというには、風貌は若い。
「どうしたみんな? バイトとか学校とかあるのはわかるけど、キミたちはプロだからね? ほとんどのお客さんは夢のために、仕事をして得たお金を払う。さて、キミたちがそれに応えないようでどうする?」
五人のメンバーの表情が曇る。しかし、決して下を向く者はいなかった。
「動きはなんとなくソレらしいが、迫るものがない。集中してるかい? キミたちには今のレベルで満足してもらうつもりはないよ。各自、あさってのレッスンまで自主トレをしっかりすること。技術以前に、まず、プロとはどんな存在か、自分なりの答えをしっかり出してからね」
はい、と、五人の声がダンススタジオに響く。
「……ふぅ」
すずめがスタジオの後ろで汗をぬぐっていると、リュックにぶら下げた万華鏡が光っていることに気づいた。
(また……朱? やめてよほんと……)
自然と肩が落ちる。屈んで、万華鏡をのぞいてみたが、特別な画は浮かびあがっていなかった。
(相変わらず精度低いなあこれ……予知能力がない巫用のやっつけ神器だから仕方ないか)
「――お疲れさま、神奈ちゃん。その筒……万華鏡とかいうやつだっけ。変わったキーホルダーだね。可愛い!」
見上げると、センターを務める安倍十子の笑顔があった。
ショートの髪に、意志の強そうな瞳。
「それで、神奈ちゃん、ちょっといいかな?」
「……? うん」
すずめは、中二のクリスマスに十子のステージを観て、憧れた。その背中を追うために、アイドルを目指した。今や高校三年の十子は、すずめの憧れであり目標だ。
十子に促され、すずめは外に出た。
薄暗い街灯に道路が浮かびあがっている。十一月の風が、ほてった体をすり抜け、ほのかな冬の香りを運んだ。スタジオの裏にある高架橋を、列車がけたたましい音を立てながら通りすぎていく。
「はい、お疲れさま」
言って、すずめの顔にペットボトルを押しつけてくる。
「冷たっ……!」
反射的に声を漏らしたすずめに、十子はやさしく笑った。
「なにかあったの? 今日の神奈ちゃん、いつもと違ったよ。誰よりも熱が入ってるのが神奈ちゃんなんだけどね」
すずめはピンと来なかった。
「特になにもないけど」
かぶりを振ったすずめは、もらったスポーツドリンクのキャップをひねって、口をつける。その水分は、乾いた砂に注がれたように、染みいってくる。
十子の質問に対して思いあたるのは、厄病神が転がりこんできたことくらいだ。
すずめが見ると、相変わらず十子は笑っている。
「恋してるんだね」
「ぅぶはっ」
突拍子もない言葉に、すずめはドリンクを噴霧した。
「げほっ……ボクが? 恋?」
「うん、恋」
浴びたドリンクをタオルで拭いながら、笑顔のままで十子が答える。
「なにそれ。ボク、神社とアイドルで、恋愛どころじゃないから。気になる人も、いないし?」
十子が笑みを深めた。すずめとは二歳しか違わないのに、妖艶さがまとわりつく。薄い唇にはグロスが塗られていて、室内から漏れでる光を弾いた。
「それってたぶん、神奈ちゃんが自覚してないだけだよ? なんとなくだけど、わかるもん。悩むことってたくさんあるけど、神奈ちゃんの顔を見てたら、これは絶対恋だなって、ピンとくるよ?」
「だから、そんなはずないって。ボク、アイドル一筋だから。神社の仕事も仕方なくやってるだけだし」
すずめは思考を整理して、うなずいた。
「そうかなあ……? 私のこの勘って、これまで百発百中だよ。もし違うんなら、神奈ちゃんが初めて私の予想を裏切る女の子ってことになるなあ」
「じゃあ、きっとそれだよ」
十子からは、笑みが消えている。
「ふーん、そっか。わかった。とにかく、イベントまで調子が戻ればそれでいいと思うんだ。成功するように一緒に頑張ろうね!」
十子がガッツポーズを作る。
「――すずめくんは、私のもの」
背を向けた十子のつぶやきは、すずめの耳には届かなかった。十子はそのまま、スタジオの中に戻っていく。
すずめが腕時計を見る。午後八時四十五分。あと十五分でスタジオの利用時間が過ぎる。
飲みかけのペットボトルを持って、すずめは室内に戻った。