数寄屋橋
「俺に用事がある子って……この子?」
翌日の昼食後、アカリが直兎を屋上に呼びだした。松葉杖の直兎に階段を上らせるのには抵抗があったが、衆目があるところで色恋の進展は難しいだろうという判断だった。現れた直兎は汗一つかいていなかった。
すずめ、アカリ、イナリの三人で迎えうつ。さすがにイナリの格好はそのままだと目立つだろうということで、祝部高校の制服に変化している。
直兎がほのかに訝しげな視線をイナリに向けているが、一方のイナリは頬を染め、うつむいている。二千年以上も生きているのに、恋愛に免疫のない乙女そのものだ。
「見かけねえ顔のような……まあ、俺も他のやつらをジロジロ見ちゃいねーから、わからんけど。ははは」
「今日から一―Cに転入した子なんだ」
すすめが補足した。色々と経緯を作りこむのも骨が折れたので、三人での話しあいの結果、転校生、ということで直兎と接触させることに決めたのだった。
「へー、半端なタイミングだな。ふーん、そっか……名前なんて言うの?」
話を振られて、イナリは飛びあがった。
「いっイナリ言いますっ!」
「イッイナリ?」
「ちゃ、ちゃいますっ! イナリ、どす!」
「ああ、イナリ、ね。それ、苗字? 名前? フルネームは?」
「……? ふるねーむ? い、イナリどす」
「えぇ……ああ。ハーフっぽいところを見ると、フルネームがイナリなんだな。イ・ナリとか、イナ・リか? オーケーオーケー。俺は因幡直兎。よろしく!」
どうにもぎくしゃくした様子に、横で見ているすずめとアカリの方が気が気でない。
「ナオトとイナリって、実は初対面じゃないんだよ?」
いつの間にかイナリに対して敬語をやめたアカリが、助け船を出す。
「えっ、まじで? わりぃ、どこで会ったんだっけ? 俺、忘れっぽいんだよな! ははは!」
直兎が豪快に笑う横で、すずめがイナリを肘でつついて、後をうながした。
「あっ、あのっ……ナオトさまが中学生の時の、修学旅行どすっ!」
「へえ? 修学旅行の、どこでだっけ?」
「こ……高矢稲荷の鳥居で雨に濡れてるとこ、ナオトさまにやさしく声を掛けていただいたんどす」
「高矢稲荷……高矢稲荷……わりい、そもそもんなとこ俺ら行ったっけ?」
「行ったわよこの鶏頭! 真っ赤な鳥居がトンネルみたいにズラーッと並んでるあの大きな神社、さすがにアンタでも覚えてるでしょっ!」
アカリが突っこみを入れると、宙に目を泳がせていた直兎が、こくこくとうなずいた。
「あー、あの鳥居んとこか! 思いだしたわ!」
「まったく、自分がどこに行ったかくらい覚えといてよねっ」
「わりぃわりぃ!」
直兎は笑いおえると、あごに手を当ててイナリの顔をのぞき込んだ。鼻先に顔を近づけて、むーん、とうなっている。
「でも、こんな可愛い子、俺、会ったかなあ……?」
「え、えぇえっ?」
顔の近さと、可愛い、という言葉の不意打ちに、イナリの頭から湯気が立ちのぼる。
(相変わらずナチュラルにたらしこむ男だな……)
傍観していたすずめが思った。
「あぁ……」
見つめられ続けたイナリが、貧血を起こしたように背後に倒れこんだ。
「ちょっ、イナリ!」
アカリがその体を支える。
「お、おい、大丈夫か?」
「ナオト、ストップ。悪化する」
直兎がさらに顔を近づけようとしたのを、すずめが制した。
「それでさぁ……悪いんだけど、やっぱ思いだせないわ。すまん!」
直兎が両手を合わせて、頭を下げた。
「……こ、これでも思いだしまへんかっ?」
イナリが体勢を立てなおし、胸元から三種の神器をズルズルと引っぱりだした。
「この傘、タオル、それとうまし棒……あの日ウチがナオトさまから受けとったものどす……」
「――あぁあっ!」
直兎が叫んだ。
「そうか! うまし棒の子だ!」
謎はすべて解けた! と言わんばかりのドヤ顔で、直兎がガッツポーズを作る。
「えぇ……それで思いだすの?」
すずめがぼやいた。
「そうどす! うまし棒の女どす!」
「うまし棒の子か! 元気にしてたか! あの後風邪引かなかったか?」
「ナオトさまのおかげでこの通り元気どす!」
直兎もイナリも達成感にあふれている。
「うーん、なんかこの二人、どうでもよくなってきた」
すずめが肩を落とした。
「……一応、高矢稲荷で二人が会ってたっていうのは、嘘じゃないみたいね」
アカリはしらけ、異臭が漂う前に三種の神器をしまわせた。
「それで、イナリの用事って、なに?」
「それは……ほら、イナリ。とりあえずは自分の力でチャレンジするんだよね」
すずめがイナリのわき腹を肘でつついた。イナリが飛びあがる。
「そ、それはっ! あの……」
イナリが下を向いて、胸のあたりで両手の人差し指をツンツンしている。
「あ、あのっ……その……」
「どうした? なにか悩みごとでもあんのか? 俺でよければ相談乗るぜ?」
ほぼ初対面の人間の台詞ではないが、直兎の笑顔には他意がない。それを向けられたイナリの頬はさらに赤くなる。
「あのっ!」
イナリは意を決したように、タレ目を見開いた。
「ウチ、ナオトさまのことが……す、すっ」
「……す?」
「すっ……すぅううー!」
「……え?」
「すっ――数寄屋橋?」
疑問形で叫んで、イナリはダッシュ。屋上から姿を消した。
残された三人は、後ろ姿を見守るしかなかった。
「あのさ、結局用事ってなんだったわけ?」
「えっと……高矢稲荷の件のお礼を……したかった、ものと」
アカリがかろうじてフォローした。
「じゃあ用事は済んだわけだ。俺、次の授業の準備もあるし、教室戻るわ」
直兎は涼しげな顔のまま、松葉杖をついて屋上の出入り口に歩いていく。
戸の向こうに消える前に、ふと、直兎は振りかえった。その視線が、すずめを貫いていた。笑みを浮かべると、改めて校舎に入っていく。
「あの自称ゴッド……まずはどうしても自分の力だけで頑張ってみたいって殊勝なこと言ってたけど、あの様子じゃ無理だね……あと正味八日しかないし。介入するしかないか」
すずめがぼやく。アカリも同調して続けた。
「さて、作戦練りなおしねっ」
「そのために、ちょっと予知、しておこうか」
「オッケー!」
アカリがうなずき、手のひらを差しだす。
「――掛介麻久母畏伎 伊邪那岐大神 筑紫乃日向乃――」
すずめが唱えると、アカリの全身に淡い光がにじみ出て、手のひらから映像が浮かび上がった。
直兎の横顔が映しだされる。カメラが引くと、直兎の視線の方向に、晴れのグラウンドが見えた。祝部高校の赤いユニフォームと、見慣れない黄色のユニフォームが対峙している。知らないグラウンド。そこは祝部高校ではない。
「試合、か……もしかして今週末の決勝かな?」
すずめがつぶやく。
直兎は松葉杖で体を支え、なにやら必死に叫んでいる。
「試合に出られず応援してる、てことみたいねっ?」
映ったスコアボードを見るかぎり、後半戦、一―〇で祝部高校が負けている。
「うーん、これが今のところの運命か。周囲にイナリの気配はカケラもないね」
ふと、ノイズが混じり、弾けるように映像が消えた。
「また……? まるで、なにかに邪魔されてるみたいなんだよね、これ」
すずめが眉をひそめる。
「なにかって……なに? 人?」
「見当はつかないけど、今までこんな感覚なかったもん。流れる水を急にせき止められるような」
「うーん……確かに、アタシの中の神力も、これまでになく暴れてるような感じはあるなあ」
二人でうなるが、原因は見当たらない。
「まあ……これをベースに、今後の方針を立てなきゃね。今日はレッスンがあるから……夜遅くになっちゃうけど、そう日にちもないし。今日中に話しあった方がいいか」
すずめがつぶやき、アカリがうなずいた。