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神道対北欧魔術

 夕食を採って、すずめは未だ眠りつづけているアカリの横に正座していた。消灯したまま、それでも、目が慣れてしまえば、障子の向こうから差しこんでくるほのかな灯りで、寝室の全貌は浮かんで見えた。


 時刻は二十一時。家の中は、珍しく静まりかえっている。静寂は、鼓膜を震わせることはない。感じるのは、自分の体の重さと、古い畳の匂いだけだ。


 すずめは巫女装束に身を包んだままだ。正装、という意味合いよりも、戦闘服、という表現のほうが正しい。




『――絶対に明日の試合をどうこうしようとすんなよ』




 昼間の、直兎の言葉が胸に突きささる。


 直兎が怒るのは、当たり前だ。


(ボクは、ただボクの力を示すことと、敵に対する復讐のためだけに冷静さを失ってた。これじゃ、敵の思考レベルと一緒じゃないか)


 同じ土俵に立ってはいけない。


 玉依家の矜持を示すのなら、どんな低俗な相手であれ、同じ低俗さで立ちむかってはならない。


 母、ちどりの顔を思いだす。


 ちどりはいつも笑っていた。


 涙を流したのは、たったの一度きりだ。怒りではない、悲しみを押さえきれなかった涙。すべての人に、命を捧げた母だった。


 アカリの丹田を確認する。契約の証、痣は薄くなってはいない。現状、契約の状態はまだ保たれている。とはいえ、本来は悠長に構えているべき状況でないことは確かだ。このままなんの行動も起こさなければ、おそらくはすずめとアカリの契約は切れ、本来すでに命を落としているアカリは、改めて死を迎える。


(さて――どうしようかな)


 母の笑顔を思い出したすずめの心には、多少の余裕が戻っていた。




 ――きぃん、と、聴覚ではない。第六感に、ノイズが割りいった。




 悟る。侵入者だ。小者ではない。


 張りぼての結界を越え、境内に足を踏みいれた何者かの存在。それを知らせる、心臓を射抜かれたような感覚。


 すずめの顔には、自然と笑みが浮かんでいた。


 狂喜した。理性のプライオリティはほぼゼロになってしまった。


 走る。


 三和土で草履を引っかけ、隣の敷地である杵築稲荷に足を踏みいれる。


「――ああ、すずめくん、こんばんは」


 拝殿を背にして、街で偶然会ったような素振りで、見慣れた制服姿のそいつは笑みを浮かべた。休日なのに制服。すずめにとって、巫女装束が戦闘服であることと一緒なのかもしれない。


「いろいろ言いたいことはあるけれど、まずは、ようこそ。お茶の一杯でも出すべきだろうけど、今や出がらしの茶葉ですら、先輩にはもったいないって思ってるよ」


「あはは、私の気持ちはしっかり伝わってたみたいだね」


 右腕で抱きかかえていた黒猫が、石畳に降りたった。腰を下げて、その猫はすずめを見据えてくる。


「たぶん伝わっちゃいないけど、不快感だけは確かにあるよ。やりかたが下品だったからね。十子(とおこ)先輩はボクの憧れだったけど、幻滅されても文句は言えないよ?」


 『いずもいずむ』のセンター――安倍十子は笑みを深めた。


「そっか。でも、私はね、すずめくんが手に入ればそれでいいの。やりかたにこだわりなんてないよ? ほら、現にすずめくん、私に関心を持ってくれているもの。頭をひねった甲斐があったよ」


 すずめの中で、煮えたぎる。怒りが煮えたぎる。喜怒哀楽の多様性が、怒りに包みこまれる。


「ボクのことを神奈ちゃんって呼ばないのは救いがあるね。砂粒ほどもない敬意が、それ以上削りとられなくて済んでるよ。願わくは、最後までその砂粒が残ってくれることだけだね」


「大丈夫だよ。すずめくんは、絶対私に共感してくれるもの。それがわかってなかったら、こうやって近づいてないよ?」


「ふうん? じゃあ、見立て違いなんじゃない?」


 十子が笑う。心底嬉しそうだ。


「言ったでしょ、私の勘は百発百中だって。現に、すずめくんは、彼のことを好きだったじゃない」


 十子が言っているのは、他ならぬ、直兎のことだ。


「そんなの、視ようと思えばいくらでも視れるからね」


「あはっ、今、ちょっと動揺したよね? 動揺したよね、すずめくん?」


「動揺、ね。今のボクには、動揺なんてしてる優しさはないよ」


 十子が首を傾げた。


「へえ? どうして? 力の差に気づいちゃった?」


 紛れもない、図星。


 ただ、目の前にしているだけなのに、思ってしまった。


 真っ向からぶつかったら、潰される。


 だが。


 それがなんだというのか。冷静な判断などいらない。


 自分は、ただこの、あこがれの先輩から、大切な人たちを救うだけだ。


「で? 先輩は、一体なにがしたいわけ? 訊きたいのは、とち狂った振るまいにつながる、目的だよ」


 十子は笑って、再び足元に座っていた黒猫を抱きあげた。


「この子の名前はグルヴェイグ。すずめくんは、知ってる?」


「一応聞きかじりでね。北欧の女神だよ。それがどうかしたの? さほど、能力(ちから)はなさそうだけど? ボクひとりでも、十分相手ができるよ? 十子先輩にだって、十二分にねじ伏せられると思うけど?」


「力のあるなしは関係ない。私の思う、神としての高潔さ、それがなによりも大切。文献で伝わる物語なんて、曲解されてとるに足らないものばかり。私がグルヴェイグの蔭に見えるのは、高潔なエピソード。この子こそ、迷える人間を救う神なのよ」


「……なに言ってるの? 迷える人間? 救う?」


「はびこるのは腐敗。不公平。不誠実。不条理。地獄に堕ちるべき人間が堕ちず、天国に召されるべき人が召されず。つまりは道理に合わない理不尽の一掃。それが私の願い」


 十子の瞳には色がない。目線はすずめを貫いてはいるが、意志の力を感じないのが、すずめにとっては不気味だった。


「はあ、危ない薬でもやってるんじゃないの。世を儚むのは勝手だけど、理不尽さ、とやらに加担していない人を巻き込むのはお門違いだね。こればっかりは、はっきり言わせてもらう。先輩のやっていることは、悪い意味での自己満足。勧善懲悪という言葉で言えば、懲悪、で、始末される方だよ」


 十子が笑みを深めた。余裕に満ちている。


「それでこそすずめくん。だから、私はすずめくんと、一緒にいたいの」


「砂上の楼閣を作るのは、先輩ひとりでやってよ」


 あはは、と十子はひときわ大きな笑い声を上げた。




『――彷徨(さまよ)えし(つら)みの御霊(みたま)よ、我、汝らの(おん)(かたき)と繋ぎし者なり。現世(うつしよ)幽世(かくりよ)に遺恨あらば、()く参り、御前(おんまえ)の憎悪を心向くまま喰らい尽くし給え』




 十子が瞳を閉じて、滑らかに言葉を紡ぎだす。


「思いっきり日本語じゃん……一応これ、北欧の魔術なんだよね?」


 十子が唱えおえると、その容貌に変化が現れた。


 着ていた制服は光の衣となり、抽象から具象へと変幻していく。ショートカットは腰の下まで伸び、色が栗色からピンクへと、じわりと変貌を遂げた。上下ともに、大きめのフリルがヒラヒラとしている。スカートは段を作り、腰周りには編み上げのコルセットが現れる。ニーハイソックスとショートブーツ。手には素材不明の、光沢のあるマジックワンド(魔法の杖)


「お、おお……魔法少女……?」


 すずめはそれらしい格好に、呆然とも感動とも取れないリアクションをした。


 変身を終え、十子を中心に、四体の人影が大地から湧きあがる。


 姿形(なり)は異形。薄ぼんやりと発光する髑髏(ドクロ)のそれは――おそらく、不死人(アンデッド)。ゆらゆらとした動作で、一歩一歩足を前に出してくる。これまでの闘いではお目にかかったことのない、出所不明の魔力とやらにより創造された存在。動きには機敏さのかけらもないが、それなりの圧力を感じる。


「――掛介麻久母畏伎(かけまくもかしこき) 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫乃日向乃(つくしのひむかの)――」


 すずめが奏上し、手のひらに満ちた神力を放つ。


 狙いすましたように、四体それぞれに神力の矢が突きささるが、ただその揺らめいた体を吹きとばしただけで、不死人(アンデッド)は思いだしたかのように体を起こし、また一歩一歩すずめに歩みよってくる。


(効かないのか、コイツら……)


 こめかみから、冷えた汗が一筋流れおちる。


 いくらでも跳ねのけることはできる。しかし、今は苦笑する十子がただそこに突ったっているからこそ成立する戦況であり、十子の機嫌一つで、自分の身はどうなるかは想像に難くない。


 やりづらい。戦ったことのない性質とのやりとりは、余裕が持てない。




「――そろそろ、ベテランのお出ましかなあ? すずめちゃん、そのやり方じゃ、コイツらは消せないよ」




 何度か不死人(アンデッド)と押しあいをした上で、疲労が溜まったすずめの前に、見知った影が三つ、現れる。響いたのは、聴きなれた、父の声。




 高杯。灯明。カナタ。




「さすがにねえ、娘よりは経験豊富なもんで。異業種でも、それなりに対処はわかってるんでね。小手先のお遊びはいいから、真剣に、すずめちゃんと勝負して?」


 高杯が祓詞を奏上し終えてから、十子に語りかける。


「お互い、正統な血を持って、正統な契約をした子には勝てんものだな。私たちの精一杯はこんなものか。ただ、それで時間を稼げるのならば、重畳(ちょうじょう)なことこの上ない。死にぞこないの悪霊はこちらで引きうけて、黒幕は、存分に、我らが子孫に託そう」


 十子の表情を見ながらも、すずめに背を向けたままの灯明が、無愛想な声で続ける。朝から吾郷大社に乗りこんできた高杯の痛切な説得に、頑なな灯明も動かざるを得なくなったのだった。


「ふふふ、高杯さん。灯明さん。昔みたいに、全力で行きましょう」


 カナタが最後に、後押しした。


「さあ、少しずつキャストが揃ってきたね」


 十子が笑い、さらに四体、不死人(アンデッド)を増やす。十子にとっては遊びでしかない。


 絶え間なく奏上される、肉親たちの言葉。


 命の叫びだ。


 すずめは目を閉じて、思いを馳せた。


 真の意味での能力者は、この中では、玉依家の純血を引きつぐ自分だけ。普段の願掛けのレベルを超える力を出せば、それは即ち、命を燃やしていることになる。


(わら)うなよ」


 すずめは、つぶやいた。


「あはは! そんなつもりはないよ? 私はただ、すずめくんが私の考えに共鳴してくれて、一緒にグルヴェイグを信じてもらえればいいんだもの」


「そんなつもりはない。悪いけど――ボク、怒ったよ。誰にも止められない。ボクの体が粉塵になろうとも、その粉で先輩の体を包んで、木っ端微塵にする。罪深い。分かれよその程度。憧れを返せ、ファッキンセンター」


 すずめの挑発に、十子の眉がピクリと動いた。そして、すずめのこれ以上ない純粋な殺意は、グルヴェイグを突きうごかした。


『――十子』


 グルヴェイグが十子の意識に語りかける。


『必然性なく相手の怒りをさそうのは君の悪い癖だ。取りこみたいのなら、遊ばずに、淡々とことを進めて。窮鼠猫を噛む。今一度、深慮しようか』


「そうだね。ちょっと悪ふざけが過ぎたかな。でも、まだまだ余裕があるよ、こっちには――いこっか、グルヴェイグ?」


『言われるまでもないね』


 余興を終えて、十子とグルヴェイグが一気にすずめに襲いかかる。


 敵の圧力は、想像を絶する。すずめは、はじめから全力だ。しかし、まったく通用しない。紙切れのように吹きとばされたすずめは、大木の如き鳥居に背中を強打し、臓物を吹きだしそうなほどのうめきを漏らした。


 圧倒的だ。勝ち目など、理屈で考えてしまえば、どこにも見当たらない。


(知ったことか……!)


「――掛介麻久母畏伎(かけまくもかしこき) 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ) 筑紫乃日向乃(つくしのひむかの)――!」


 口から吹きだすのは、胃液か。血潮か。


 どちらであろうと、今のすずめには取るにたらないことだ。


 眼球をくり抜いてでも、生皮を弾きとばしてでも、臓物を破裂させてでも、眼の前にいるクソ野郎どもの息の根を止めてやる。


 立ちあがる。


 直後。グルヴェイグの爪が、喉元に迫った。


 視えない。視えないが。


 すずめはその攻撃を、手のひらで凌いだ。爪が食い込んで、やがて、鮮血が吹きだす。


『気持ちだけで動いてるね、君。追いついてこれてないよ』


「なんでもいいんだよ、そんなの」


 すずめが笑う。


「キミたちの掌で踊るつもりなんてこれっぽっちもないってことさ――」


 後先など考えない。


 与えられた時間で。残っている力で。


 すべてを注いで、すずめは能力(ちから)を発動した。


 ほとばしったのは神力ではない。激情だ。


 十子とグルヴェイグがはじけ飛ぶ。古びた拝殿を紙細工のように突きやぶって、すずめの視界から姿を消した。


「はぁっ……はぁっ……」


 焼けつく肺。ナイフで切りさかれたかのように、喉には尖った痛みが走る。体は言うことを聞かない。立ちあがることもできない。


 負ける覚悟はない。しかし、悟るのだ。


 十子もグルヴェイグも、この程度では気を失うことすらないのだと。


 捨て身のつもりなどないし、とにかくすべてが全力だ。全力でたたき伏せにかかっているのは確かであり、しかし、息の根を止めた手応えがない。


「――そろそろ満足した? 限界はわかったでしょ?」


 瓦礫の中から聴こえた十子の声に、すずめは舌打ちした。


 そして、現れる。笑みを貼りつけた十子と、足どりを変えないグルヴェイグ。




「――さて、ウチらの出番でっせ」


「仕切るな素寒貧(すかんぴん)ババア」


「減らず口やなあ、ポンコツババア」




 お互いに憎まいれ口を叩きながら、現れたのは、二柱のイナリだ。


 そして――




「病み上がりっ! それがどうしたアカリちゃんっ! アタシは悪を退治する正義の味方! ただし、すずめ付きでっ!」




 巫女装束のシルエットが飛びだしてきた。


時が止まった。




「アカリ……?」


 解凍したのは、他ならぬ、すずめだ。


「さてさて、どんくらい寝てたかわかんないけど、体なまっちゃうのは嫌だから」


 パジャマから、いつの間にか巫女装束に着替えたアカリが、パキポキと拳を鳴らし、倒れたすずめの体を抱きかかえる。


 すずめはただ驚愕していた。自分が把握する限り、アカリがこのタイミングで目を覚ますはずなどなかったからだ。


 ありえない。絶対にありえないのに。


 思い当たるとすれば。


 絆。幼少からの心のつながり。


 頬を伝う汗に、涙袋から溢れる水滴が混じった。


「なに、あの魔法少女……?」


 アカリはすずめにウインクをすると、十子を見やり、唖然と声を漏らした。


「きれいな姿形(なり)してるでしょ。十子先輩なんだよ、あれで」


「えぇ……意外~っ、っていうか十子先輩が敵だったの……あの黒猫はペット?」


「……北欧の神だよ。それなりに歴史がある」


「ああ、そう。でもこっちに害を与えようとするなら、敵ってことだよねっ。アタシ、猫好きだから、心が痛むなあっ……」


 アカリは心底残念そうな顔をして、うつむいた。


「うーん、まさかここまでキャストが揃うとは思わなかったなあ。まあ、いいか。力の差は歴然だしね」


 十子が平坦な表情でひとりごちた。


「そうだね。ボクとしては、こんな、縁日みたいに人が集まるとは思ってなかったけど」


「じゃあ、正式にはじめよっか。グルヴェイグ――神の二柱(ふたり)をお願い」


『愚問だね』


 分担は、十子の相手がすずめとアカリ。グルヴェイグの相手は二柱(ふたり)のイナリ。


 十子が両手を広げる。現れるのは、五角形を描くように浮かび上がる、五つの五芒星。身長百六十センチ程度の十子は、五つの五芒星に埋もれるように、眼の痛くなるような光を前にして立っている。


「おっと、こっちにもプレゼントしなきゃ」


 十子が思いだしたように、高杯たち三人の前に、不死人(アンデッド)を十体ほど追加する。高杯は肩をすくめた。


 十子を包んだそれぞれの五芒星は、直径が身の丈ほど。込められた魔力は、想像するまでもない。大気も、大地も、割れんばかりに震える。


「……お、おおっ……反則じゃないあれっ? あの能力(ちから)の大きさは、強めのはぐれ神でも見たことないねえっ……北欧魔術って、みんなあんな感じなのかなっ」


 アカリが冷や汗を流して、拳を握りしめた。


「それは、今は想像したくないね」


 立ちあがったすずめは推測する。以前、十子に操られていたらしきスーツ姿の男――木佐は、五芒星一つで戦っていたから、単純計算が通用するかは謎にせよ、五倍の破壊力は覚悟しておいたほうが良さそうだ。感覚的、経験的に、すずめに触媒であるアカリの能力(ちから)が合わさると、おおよそ三倍程度にはなる。つまり、単純計算では、足りない。




「――ぬし、あやつの動きについていけそうか?」


「わかりまへん……ウチ、しばらくどんぱちしとりまへんから」


「この箱入りババアが……常日頃から牙くらい研いでおくもんじゃろうて」


「ウチにはウチの仕事があるんどす! スジモンババアは黙っとって」




 全身を魔力で包みこみ、特に足元に力をたぎらせているグルヴェイグを前にして、二柱(ふたり)の神の腰が引けている。グルヴェイグからは、十子ほどではないにせよ、禍々しい能力(ちから)が溢れでている。そして、それが全力である保証はない。




「――よそ見する余裕はあげないよ。三回くらいかな? それで終わると思うよ」


「先輩こそ、油断してるなら、足元すくってやるからね?」


 十子が笑って、右手を振りあげた。


「――〈グングニール〉」


 五つの五芒星から、ゆらり、と水面を揺らすようにして、五本の棒状のもの――先端が三叉に分かれた――槍が生みだされ、すずめたちに向かって放たれる。


「――〈天羽々斬(あまのはばきり)〉」


 すずめが唱えると、アカリの手に、頭頂を大きく超える長さ。鈍色の弧刀が出現する。


「刀っ? なんで刀っ! ここは〈百八十縫之白盾(モモアマリヤソヌイ)〉でしょっ!」


 アカリが悲鳴を上げる。喰らえばそこで戦闘の続行は不可になる威力がある攻撃だ。


「相手はオーディンの槍! その辺の盾じゃ貫かれるんだよ! バッティングセンターだと思って弾いて!」


「バッティングセンターは五球一気に飛んでこないよっ!」


 ぎゃああ、と叫びながらも、すずめによって神力の増幅(ブースト)をかけられたアカリは驚異的な動体視力と身体能力を発揮し、〈グングニール〉の二本を弾き、一本をなやし、一本を刀身で、そして最後の一本を柄で受けとめた。


 狙いを外れて後方に飛んだ〈グングニール〉は、鳥居をなぎ倒し、大地に大きなクレーターを残した。


「めっちゃ手~しびれるぅうっ!」


 役割を終えた〈天羽々斬(あまのはばきり)〉が霧となって姿を消し、アカリが両手をブンブンと振った。


「すごい、飛び道具にはすずめくんたちは強そうだね?」


 十子が感嘆する。


「優秀なアスリートがいるからね、こっちには。で、一回目終了。二回目は?」


「うーん、どうしようかなー。じゃあ――〈ベルセルクル〉」


 五芒星から光――魔力が中心に集まり、人型のなにかが猛烈な煙を吹きだしながら登場した。腰蓑のようなものを身に着けている以外は、ほぼ裸の躰をかがめ、上半身を地面に向けたまま、右の拳を石畳に突きたてている。筋骨隆々、年末の格闘技スペシャルに登場する、パワータイプの選手を凌駕する肉体美。


「ちょ、ちょ、ちょぉぉおおお、なにその『アイル・ビー・バック』的な存在はっ」


狂戦士(バーサーカー)だよ、アカリ。相当インパクト強いよ、それ」




「――あんさん、もうちょっと連携っちゅうものを考えてくれへん?」


「阿呆。これでも十二分に努力しとるわ。勝機、見えたじゃろ」




 すずめとアカリの奮戦の一方で、北欧と日本の神が火花を散らせる。


 グルヴェイグは、大地に(そら)にと駈けずりまわり、とにかく疾い。二柱(ふたり)はその動きを視野の中で捉えることはまったくできない。すでに装束はズタズタにされ、陶磁器のように白い肌があちらこちら露出している。


 ただ、二柱(ふたり)は甘んじてその状況を受けいれているわけではない。


 かわせないまでも、攻撃と同時に噴きだす魔力は十二分に感じとることができた。したがって、最初は真正直に受けつづけていた攻撃を、二柱(ふたり)のどちらかが阻むことで、次第に無効化できるようになってきている。


「さあ、もうひと押しいきまっせ――」




 イナリの善戦を視界の片隅で捉えながらも、すずめは〈ベルセルクル〉への対処に頭を悩ませていた。


「〈天鹿児弓(あまのかごゆみ)〉――〈天羽羽矢(あまのはばや)〉――!」


 すずめが叫び、アカリの手中に現れたのは、(にぎり)の部分が通常の弓よりも内側に向いた、身の丈ほどの弓。そして、放つための矢。


 言われるまでもなく、アカリが〈天羽羽矢(あまのはばや)〉を文字通り矢継ぎ早で放った。超速、超回転の光の矢は、しかし、子どもがよく遊ぶ細かなブロックが崩れおちるように、〈ベルセルクル〉の前でかたちを喪う。


「単なる力バカと見せかけて、神力が効かない力バカだね」


「すずめ、感心してる場合じゃないってっ!」


『グォオオオンッ――!』


 〈ベルセルクル〉がアカリに迫る。ぎゃあああ、と叫びながらも、アカリは両手でその巨躯を押さえこんだ。神力で強化しているのはもちろんだが、実は、アカリも超絶体育会系のパワータイプ。


 しかし、〈ベルセルクル〉との力の差は歴然。五秒もしないうちにアカリによる拘束が解かれようとする。


「アカリ、あと五秒耐えて」


「むりッ! 言葉が通じないやつはむりむりむりむりむりむりむりむりィッ――!」


 と、叫んでいる間に五秒が経過し、アカリの両手が紅く光り、〈ベルセルクル〉から、蒼白い光が吸われていく。


 〈ベルセルクル〉がうなる。苦悶の声。体の色が薄くなり、まもなく、消滅した。


「……異能の力を、吸いとる、だって? さすがは……すずめくん」


「余興じゃ、ボクとアカリは叩きつぶせないよ? 早く終わらせようよ」


 十子からは余裕が消えた。明らかに。


「……ふ、ふふふ。ますますすずめくんが欲しくなった」


「それはどうも。憧れの先輩に褒められるなんて、ファッキンクレイジー」


 十子が息をつく。うつむき、訪れるのは、長い沈黙。


「そこの眷属とは契約を外そうと思ったけど、相性よさそうだから、このままにしよっか」


「……今、なんて?」


 すずめの思考が止まる。下を向いて、眼には影が落ちた。


「ん? そこの眷属とは相性がよさそうだから、このままでもいいかなって、ね」


「……言った? アカリのことを? 眷属? 眷属だって言った?」


「それがなに? 契約したんでしょ。眷属にしたってことだよね」


 すずめは首の後で髪を束ねていた髪留めを、引きちぎるようにして石畳に転がした。


「アカリは親友で、マネージャーだ。全力で来いよ、クソビッチ。おあつらえ向きに、次が三回目の攻撃だ。(たお)してくれよ、ボクらを」


 この世に生を受けて以来。


 品行方正、容姿端麗、成績優秀。賛辞のみでしか、形容されなかった十子。


 なんのためらいもなく投げつけられた、品性の欠片もない、本日二度目のクソ汚い呼称に、さすがに理性のタガが外れた。


「じゃあ――望みどおり消えてもらうね――!」


 言いおわるなり、十子が地面を蹴る。魔力のこもった跳躍。大地は亀裂を作る。空に対するベクトルは、限りなくゼロ。地をえぐるような、ひたすら直線的な動きで、アカリとすずめに迫る。疾さはグルヴェイグを上回る。


 すずめもアカリも、神力を全開で感覚を研ぎすませるが、動きが視認できない。


 十子は拳と足に、絶大な魔力を込める。ひねりなどいらない。叩きふせるだけだ。


 通りみちの景色が歪んで、石畳が跳ねあがるまでのタイムラグが生じた。


 距離はたかだか二十メートル。疾走(はし)りぬけるだけで、その道を粉砕し、二人の目前に到達するまで瞬きすら不要だった。


 すずめから余分に神力を受けとったアカリは、防御に集中しながらも、頬に拳を喰らい、弾きとばされる。そのアカリを認識する前に、今度はすずめが横腹に回し蹴りを喰らった。神力で耐久力を上げているはずなのに、すべての臓器が破裂したかのような苦痛に襲われる。


 息ができない。手足は動かない。心臓は動いているのか。生命活動は続いているのか。


「別に余興を楽しんでいたつもりはないんだよ? ただ、実のところ、私は武闘派なんだよね。武闘派なんて、美しくないじゃない? アイドルのセンターなのに、そんな野蛮なことできないもの。魔法少女のアイドルは常にかわいくないと、ね?」


 すずめの、かすんだ眼が少しずつ景色をとらえはじめる。


 十子の顔には、笑みが戻っていた。


「武闘派なら武闘派って、最初から言えばいい。最初から全力を出せばいいんだよ」


 苦痛に支配されながらも、すずめは笑った。


「――だったら、先輩の勝ちだったのにね」


「……え?」


 すずめが言う。十子の背後にはジト目のイナリが立っていた。


「――なっ!」


 十子が振りかえったが、勝利を確信して油断していた隙。魔力を充填する暇はなかった。十子の顔を覆うイナリの手のひらから光が放たれ、全身を包みこむ。防御態勢がまったく整っていない不意を突かれ、魔力が無力化された瞬間だった。全身の力を失った十子は、その場に倒れた。


「すずめ、くんたちの……二柱(ふたり)の神は、グルヴェイグと、戦って……いた、はず……」


「決めつけは良くないね。十子先輩と一戦交えながらも、ボクが裏で集中してたのは御霊(みたま)分けだよ」


「御霊、分け――ま、まさか――」


「そう。つまり、今ここに立っているのは、三柱目のイナリ。御霊分けを完了する前にボクをやっつけちゃえば、こんな逆転劇はなかったんだけどね」


 仕掛けを聴きおえると、十子は気を失った。


「――緊急時とは言え、安易に御霊分けをするとはいただけないね。この罰当たりめ」


 ジト目のまま、茶髪の杵築イナリ(ツー)はぼやいた。


「そこは勘弁。ある意味神道の危機だったわけだから、見逃してほしいな。ちゃんと祀るから、許してよ」


「甘いものだ。とびきり甘いもの。それを頻繁に供えることが、ボクの溜飲を下げる唯一の手段だよ。ニューヨークチーズケーキならなお良し。覚えておけよファッキン(かんなぎ)


 すずめが御霊分けに携わったためか、イナリ(ツー)の口調やしぐさは、すずめに酷似している。




「――あぁ、もう一柱(ひとり)増えたんだねえ、すずめちゃん?」


「相変わらず玉依の血統は節操がないな」


「まあまあ、灯明さん。危機を脱したんですから。すずめちゃんを褒めてあげないと」




 術者の十子が気を失ったことで、不死者との消耗戦を終わらせた親たちが、すずめとアカリに駆けよって、体を抱きおこした。


(この後、治療が必要だなあ……)


 全身が激痛に見舞われている。内臓に損傷があるかどうかはわからないが、骨の数本はやられているかもしれない。それはアカリにしても同様だろう。




「――すずめはんすずめはん、コイツ、どないしましょ?」


「毛並みはあまりよくないが、見せしめに剥製にでもしておくかの? 今ならもう魔力も空っぽじゃし、やりたい放題じゃ」




 グルヴェイグに勝利し、その一見黒猫の体を麻縄でふんじばりながら、二柱(ふたり)のイナリが訊ねてきた。イナリたちは、装束がボロボロで、胸や尻が一部露出している。


「まあねえ……たぶん、十子先輩をけしかけたのもコイツだろうから、無罪放免ってわけにはいかないよねえ」


『ゴクリ……』


 すずめの黒いジト目にグルヴェイグが冷や汗を流して、心の擬音を轟かせた。


『ぼ、僕はグルヴェイグなんて知らないにゃー。なにそれ、美味しいの~?』


「普通の猫はこうやって頭のなかに直接語りかけない。察し」


 すずめのつぶやきに、グルヴェイグがジタバタする。


『ぼ、僕はなにも悪くないにゃっ! 僕をけしかけたヤツがいるにゃっ!』


「ふーん。誰?」


『……ぅ……ど……』


「……うど?」


『…………』


「…………」


『すみません僕がやりました。今は反省しているので量刑を望みます』 


「――二十一時二十二分、容疑者逮捕」




 グルヴェイグの処遇については、ここに自主規制する。




「――さてさて、すずめ~」


「……? アカリ? 頬、大丈夫なの?」


 アカリが十子に殴りつけられた頬をさすりながら、よろよろとすずめのもとにやってきた。体を起こすのが精一杯のすずめの横に屈んで、優しく微笑む。


「……え、なに……?」


 すずめがキョドってしまう。いつになく優しい笑み。しかも、他意を感じない。


「すずめ。眼、つむって」


「……は?」


「いいから、つむって」


 キョドりながらも、すずめは言われたとおりに目をつむった。


「――これ、久しぶりだね。すずめ、大好きだよ」


 温かい。柔らかい。感触があった。唇だ。


「なっ、なにしてるのアカリっ?」


「――契約更新完了!」


 頬を染めたアカリはとびきりの笑顔で、まばゆく光る自分の丹田――玉依家の神紋を見つめた。十子の魔力が途絶したことで契約外しはなくなったはずなので、すずめにははなはだ疑問だった。アカリなりの、なにかの儀式なのかもしれない。




 傍らで崩れおちる灯明の姿を、妻のカナタは確かに見届けた。

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