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葛藤

 久々の日差しが、あちこちに穴の空いた障子を突きぬけて、すずめのまぶたを透過した。遠くに雀の声。現実に引きもどす、畳の匂い。


「ぅ……ん……」


 目が覚める。朝だ。ここのところ、ずっと曇りと雨だったから、秋とはいえ、日光は眼に痛い。


 首をひねると、横には、寝息を立てているアカリがいる。


 寝ずの番をするつもりだったが、どうやらすずめは、不覚にも眠ってしまったらしい。


(久々だな……あのときのことが夢に出てくるなんて)


 体を起こす。気づかないうちに、タオルケットがかけられていた。いつも高杯が使っているものだ。三十後半の親父臭が鼻腔に容赦ないマウント攻撃を叩きこんでくる。


 きわめて頼りないものの、父親なりの愛情を感じて、すずめはつい頬を緩ませた。


 これだから、普段はまったく父親らしくないのに、憎んでも憎みきれない。


 立ちあがると、掛け軸のそばで横になっているイナリがいた。イナリにもタオルケットがかけられている。近寄ってみると、枕元にはなにかの本がある。


 のぞき込むと、タイトルは、『一日でわかるサッカールール!』だ。


「……はぁ、そっか。やっぱ、認めないとなあ」


 すずめはため息をついた。


 生まれながらの神で、どうにも箱入り娘だったらしきイナリの努力。すずめにとっては大したことのない努力であっても、アンポンタンのイナリにしてみれば、散々に考えぬいた上での、直兎に寄りそうための努力なのだ。


 すずめにはそれがわかるからこそ、胸は痛むし、しかし、微笑ましくもあるし、応援しなければいけないのかな、という気持ちも湧いてくる。


(どうしたもんかね……)


 悩ましいことなのに、なんだか、楽しい。ライバルと、カーチェイスに興じている感覚なのかもしれない。


 布団に横になっているアカリの様子を、改めて確認する。


 顔色は良くなっている。表情も穏やかで、ただ、削られた心の力を回復させるためだけに休んでいるだけのようだ。


 そのキメの細かい頬に、自然と、手のひらが触れていた。


 アカリの頬が緩んだ気がした。


 ほっとする反面、ふつふつと湧いてくるのは、悔しさであり、怒りだ。


(目にもの見せてやる。ボクとアカリをコケにした代償は、きっちり返してもらうよ)


 敵の強大さはわかる。そして、底力もまだわかっていない。


 それでも、たとえ自分の身が引きさかれようとも、叩きのめしてやる、という意気込みは、体の内側からはじけ飛びそうなほどに充満している。


 自信ではない。


 決意でもない。


 衝動だ。


 渦巻くのは、自身のテリトリーを侵されることに抵抗を感じる肉食獣のそれでしかない。


 守るべきものはシンプルだ。


 家族、そして友人。


 何者が向かってこようと、一センチも引きさがるつもりはない。




『外れかけた契約をもとに戻そうとは、するな』




 灯明の言葉が思考を突きぬけた。


 知ったこっちゃない。


 契約を外す。それはすなわち、アカリが死ぬことを意味している。


 契約したからこそ、アカリは死の淵から黄泉(よみ)帰ったのだ。


 アカリが契約外しを強く望むのならば仕方ない。しかし、今のアカリはそんな気持ちは吐露できないし、目がさめたからと言って、それを望むとは到底思えない。すずめにはそれがわかる。だからこその親友なのだ。


 すずめは障子を勢い良く開けて、朝の空気を肺に取りこんだ。




◇ ◇ ◇




「大丈夫なんかよ? なあ?」


「もう……大丈夫だから、早く学校戻れタコスケ」


 大声で詰めよる直兎をうんざりした声で押しかえしながら、すずめが言った。


(MINEの質問に答えなきゃよかった……)


 ちゃぶ台の上、一応出したお茶には手をつけず、直兎が熱を吹いている。


「なんで昨日のうちに声掛けねえんだよ? めちゃくちゃ心配したんだぞ? すずめもアカリも二人で学校休んでるって聞いたから、嫌な予感がしてたらこれだぜ? イナリも……いなかったしよ」


 二限が終わったあとで、すずめとアカリが学校に来ていないことを知った直兎は、MINEですずめを問いただし、アカリが倒れていることを嗅ぎつけた上で、すずめの家に奇襲をかけていた。入ってくるなり激しい剣幕で、アカリの様子を根掘り葉掘りと訊ねてきていた。


「悪かったって便所虫。とにかく寝てるだけだから、そんな大事でもないし。だからナオトには特に伝えなかったんだ。日曜は決勝でしょ? ナオトの気持ちもわかるけど、ちゃんと学校と部活に行って、練習に向きあわないとダメだよクソ野郎」


 説明するが、それでも直兎は納得しない。アカリが眠っている寝室の様子も見せたが、ほっとした雰囲気はあったものの、納得するまではいかなかったようだ。


「いいか、すずめ。他ならぬアカリだぜ? これだけ付きあいの長い友だちの一大事だ。倒れたなんて、真っ先に伝えなきゃおかしいだろうよ?」


「あーもう、悪かったよ。次からはちゃんと伝えるよ」


 イナリはなにやら、頬を膨らませて直兎の真剣な表情を見ている。


「次? 次なんてあったらマズいだろうが? なんでそんな淡々としてんだよすずめ?」


「……ごめん、って」


 声を荒らげながらも、すずめは内心、アカリに嫉妬していた。


 もし、自分が倒れたのなら、直兎はこれだけ心配してくれるのだろうか。


 そんな思いが頭をもたげる。


 告白はされた。それでも、今はイナリの存在が確かに直兎の中にある。


「で、なんでアカリはああなったわけ? その重要な部分を訊いてなかったけどよ。風邪とかそういうレベルじゃねーよな?」


「風邪だよ、風邪」


「おまえさ……真面目に聴いてんの?」


「真面目だよ。他意はない」


 すずめは直兎をまっすぐに見返す。


 直兎はすずめの瞳を視線でさらに貫いたが、やがてため息をついた。


「……わかったよ。すずめがそう言うならそうなんだろ」


 直兎が黒のリュックを片手に引っさげて、立ちあがった。


「ナ、ナオト……ウチも……その、一緒に」


 イナリが頬を染めて立ちあがる。直兎の袖をぎゅっと掴んだ。


「……大丈夫なのか?」


「そ、その……アカリはんにはすずめはんがきっちりついてはりますし、ナオトは、日曜に大切な試合控えとるし。ウチ、ちゃんと応援したくて……」


 直兎が目を閉じて、下を向いた。


 しばし逡巡して、すずめを見やる。


「――大丈夫なのか、すずめ」


 すずめは、どきり、とした。視線をちゃぶ台に落としてしまう。


 その大丈夫、はどういう意味の大丈夫、なのか。


 正直、大丈夫なはずはない。一分一秒でも長く、直兎と一緒にいたいのは自分だからだ。


 それでも、察してしまった。


 直兎は、すずめの直兎に対する気持ちを試す意味で質問をしたのだ、と。


 今、直兎についていくことは、直兎の告白に対してイエスの意味を表す。


 そして、ついていかないことは、ノーの意味を表す。


 すずめも直兎も子どもではない。感情の機微には鋭い。


 でも、すずめは思う。


 自分はアカリを護らなけれればならないというこの場面で、その二択を迫るのか。


 整理しきれていない選択をさせるのか。


「……っ」


 顔を上げる。


 目に入ったのは、二つの表情だ。


 狙いすました、キラーパスを蹴りだすような鋭い顔。


 その生涯を、ただこの瞬間に託したような切ない顔。


「……はは」


 すずめの口元は、自分でも気づかないうちに歪んでいた。


「学校早く行け、だよ。部活もしっかりね」


「……よっしゃ、行くか!」


 すずめが言うと、直兎は腹から声を絞りだして、居間から出ていった。


 イナリは、すぐに直兎の後を追わず、すずめをじっと見ている。


「――すずめはん。ウチ、これって、勝負や思ってます。手加減したら許しまへんで」


「……え?」


 時間がかかった。


 イナリの言葉を理解するのに、時間がかかった。


 勝負。というのは、すずめが直兎に対して恋心を抱いていて、縁結びに向かう気持ちに矛盾が生まれていることを理解している、という意味としか受けとれなかった。

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