契約
「ねえアカリちゃ~ん。お外、あそびに行こうよー。せっかくお父さんにないしょでここにきたのに。かんごしさんに見つからないようにするのも、たいへんだったんだよ?」
「うん。行きたいんだけど、しばらくはダメなんだって。おいしゃさんも、おかあさんも、ずーっと、いじわるなんだよね」
「えー、つまんないよぉ。ほら、はやくしないとおばさんもきちゃうよ~」
「ごめんねすずめちゃん」
真っ白な部屋で、真っ白なカーテンがたなびいている。
くりくりとした瞳のアカリが横になっているのも、白のベッドだ。
残暑とはいえ、午後四時の今ですら、窓から差しこむ日差しはじりじりと焼きついてくるし、穏やかに外の空気を運んでくる風も生ぬるい。
ベッドサイドのテーブルには、アカリの大好きな最中が箱で置いてあるが、包みが整然と並んでいるだけで、ひとつも手がつけられてはいなかった。活けられた花は、昼にアカリの母――カナタが取りかえたばかりだから、花と葉のすみずみまで活力が満ちている。花弁からは、甘い香りが漂っていた。病室は香りで満たされた、やさしい空間だ。
すずめはかがみ込んで、ベッドに手をかけ、枕に頭を預けるアカリをうらめしそうにのぞき込んでいる。
「いつもならさぁ? ぬけだして、公園行くのに。さいきんのアカリちゃんは、ちょっとつきあいがわるいんじゃない?」
「あはは、そうだねえ……ごめんねえ」
「も~、ボクひとりであそんでも、たのしくないよ~。みずでっぽうで、サバイバルごっこしようよ~。水ふうせんだってほら、こんなにかってあるんだよ?」
ごそごそ、とワンピースのポケットから、ビニールに包まれたたくさんの水ふうせんを取りだしてみせる。二袋も準備されていた。
「ねえすずめちゃん。カズネちゃんは、きょうはあそべないの?」
「ダメなんだって、カズネちゃん。きょうはお母さんとおかいものにいくんだって」
「そっか……なおったら、たくさんあそぼうねっ」
すずめは遅生まれ。アカリは早生まれ。
一年近くもすずめのほうが早く生まれているのに、アカリのほうがまるでお姉さんだ。
「え~……」
度重なる説得に失敗したすずめがうなだれる。
来年の春、小学校に入学する年齢のすずめとアカリ。
これまでにも何度か入退院を繰りかえしたが、そのたびに元気になって、遊びまわっている時間のほうが長かったら、自分の体のことで強く不安になることはなかった。
でも、今回は違う。どんどん元気がなくなってきている。子どもながらに、それは感じていた。一ヶ月前までだったら、今日みたいにすずめから誘惑されたら、窓枠を蹴って外に飛びだしていったのに、ここしばらくは体が重たいし、気持ちも沈みこんでいて、ベッドに横になってすずめとおしゃべりすることだけで精一杯だ。
母のカナタ、そして看護師や主治医。いつも、明るい。
ただ、父の灯明は滅多に病室に姿を現すことはない。仕事が忙しいから、と、カナタはいつも説明する。
――元気になるから、心配しないでいいんだよ。
大人は口を揃えて微笑みかける。
でも、アカリの心には、疑心が横たわりはじめた。
心配なんてしたくない。
それでも、ぐるぐるとうずまき始めている、恐怖にも似たその気持ちは、押さえつけられるものではなかった。
「じゃあさ、ネコモンしようよ? アカリちゃん、GSもってきてたよね」
「うん、あるんだけど……」
ゲーム機を持つのも、今はつらい。
すずめはそんなことには気づかずに、勝手にベッドサイドのテーブル、その引きだしをあさって、青の光沢を持ったGSを取りだした。
「すずめちゃん、その……それ、でんち、きれてるんだ」
「え、ホント?」
すずめは折りたたみのGSを開いて、電源スイッチをスライドした。
「あ……」
起動画面が表示される。
「ほら、でんち、のこってるよ? ネコモンもささってるし、いっしょにしようよ」
「――もう、すずめちゃん? またこっそり来ちゃったの?」
病室の戸がスライドして、困り顔のアカリの母――カナタが入ってきた。
「あっ、お、おばさん……」
どきりとしたすずめに対し、カナタは怒るでもなく、優しく微笑んだ。
「ごめんねえ、すずめちゃん、退屈してるよね」
「……う~」
「今日はアカリ、調子があんまりよくないから。もう少しよくなってから、また遊んであげてね」
「……うん」
すずめはうなだれて、アカリのGSを引きだしにしまった。
「おかあさん」
アカリがカナタに声をかける。
「おとうさんは?」
訊かれたカナタは、視線を落とした。
「まだ神社のお仕事がたくさん残ってるから、今日はお見舞い、これないかな」
そうか。
今日もおとうさんはこないのか。
アカリの心には、他の誰もが優しいとしても、そのことだけで孤独感が募った。
家族が来ない。親が来ない。
自分の存在意義を問うてしまう理由としては十分だった。
◇ ◇ ◇
アカリが息を引きとった、とすずめが高杯から聞かされたのは、それからちょうど一週間後のことだった。
――いきをひきとった、って、なに?
『亡くなった。死んじゃった、ってことだよ』
――しんじゃった? ……それって、もう目がさめないってこと……?
『そう。もう、アカリちゃんの目は覚めないんだ』
――じゃあ、もうボクはアカリちゃんとあそべないってこと?
『うん……もう遊べないんだ』
すずめは泣いた。
泣いた。
泣いた。
心の置き場がなかった。
死の意味がわからなかった。
かわいそうだ、とか、不憫だ、とか、そんな感情は心の辞書にはなかった。
おしゃべりができない。
サバイバルごっこができない。
ネコモンができない。
手が繋げない。
砂のお城が造れない。
虫採りができない。
ジャングルジムに登れない。
おにごっこができない。
かくれんぼができない。
笑顔が見れない。
転んで泣いても、抱きしめてくれない。
足をくじいても、おんぶしてくれない。
怒られて林に隠れていても、探してくれない。
おもちゃが壊れても、一緒に悲しんでくれない。
いたずらをしても、怒られるのは自分だけ。
死ぬことは、できなくなるということ。
死んでしまったら、なにもできなくなる。
目の前が真っ暗になって、同時に思った。
――ボクは、アカリちゃんといっしょにあそんでいたい。
それはもう本能だった。
アカリの家に駆けこんで、小さな体を包む布をはぎ取って、ぶつけたのは、寂しさの激流だった。
契約は成立した。
アカリの下腹には玉依家の神紋が浮かびあがり、すずめとアカリはふたりでひとりになった。




