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契約外し

 すずめの自宅。寝室に敷かれた布団に横になるアカリ。


 高杯はアカリの自宅に連絡した。十五分もしないうちに、アカリの父、大汝(おおなんじ)灯明(とうみょう)と、母、カナタが玉依家の門戸を叩いた。


 壁掛け時計は、二十二時を少し回ったところだ。


 重い空気が横たわる。ちらちら、と不安定な灯りを散らす蛍光灯の下で、アカリの顔色は悪い。しかし、その腹部は規則正しく上下を繰りかえしている。


 担ぎこまれたアカリの様子に、いつもは呑気なイナリも言葉を失って、ただ同席している。八畳の部屋の真ん中に布団が敷かれていて、イナリは部屋の隅、結露で赤茶けた掛け軸がぶら下がる壁のそばで、正座している。


 アカリは外傷はほぼないが、精神的な干渉が強く、意識を失った状況だ。すずめは可能な限り、回復の処置は施したが、現状、目を覚ますまでは至っていない。


 命に別状はない。今のところは。


(ボクの油断のせいで、アカリをこんな目に遭わせてしまった)


 敵の狙いどおりなのでは、という思いがよぎることも確かだ。これも、すずめに対する挑発行為。そして、すずめの戦力の削ぎおとし。すずめにしてみれば、敵が、すずめとアカリを潰す気になればいつでもできるぞ、という意思表示をしているように思えて仕方なかった。


 ぎり、と歯噛みする。


 とにかく、すずめの触媒となる、契約者の能力(ちから)を封じられたことは確かだ。すずめがこれから闘うときは、命を削ってでもくらいつくしかない。


(上等じゃないか。アカリを踏みにじった代償、払ってもらうよ)


 正座して、うつむいたまま握りこぶしを震わせるすずめの一方で、アカリの父――灯明(とうみょう)は布団をはさんで、すずめと向かいあって座っている。神事を中断して駆けつけたらしく、装束のままだ。すずめの父である高杯と年齢は同じにもかかわらず、顔は骨ばっていて、頭髪にはわずかに白髪がまじっている。髪は後ろに流され、眉間の皺は深い。


 灯明の横にはアカリの母――カナタが正座している。表情は明るくはない。しかし、凛として、瞳に宿る強い光は、公卿(くぎょう)の正室を思わせた。カナタも神事を中断して駆けつけたのか、巫女装束のままだ。


 灯明は、横たわるアカリの青白い顔に眼を落としたまま、ゆっくりと口を開いた。




「――玉依にかかわると、このとおりだ。ろくなことにならない」




 その声色には、一切の感情がにじまない。


 少し距離を置いて、あぐらをかいている高杯は、表情一つ変えずに聴いている。顔は横を向いていて、目線は畳に落ちている。


「灯明さん。それ以上のことは言わないでください」


 落ちついた声を絞りだしたのは、カナタだった。


「来たるべきことが、起こるべきことが、現実になったな、と。そう思っただけだ」


 灯明がつぶやく。カナタは夫である灯明の顔を見る。変わらず、感情はうかがえない。


「最近、ずっとアカリはここに通っていただろう。察するさ、カナタがいくら取りつくろってもな」


 灯明の透明なつぶやきに、誰も口を開かない。


「おじさん」


 しばらくの時を置いて、怒りで拳を震わせていたすずめが、口を開いた。


 すずめはアカリにかけていた布団をはがし、制服の裾をたくし上げた。アカリのへそが露出し、同時に、その下に刻まれていた神紋が見えた。


 息を呑んだのは、カナタだった。


「色が……薄くなってる?」


 ずっとアカリを育ててきた母親にとっては、一目瞭然だった。


 神紋の色の濃さは、契約の強さに比例する。


 つまりは。


「ボクとアカリの契約が、弱まってるってことだよ。このままなんの打ち手もなければ、多分、契約は外れる」


「……そうか」


 灯明はただ、うなずいた。


「契約外し……? それはできないはず……」


 話に耳を傾けていただけの高杯が、驚きとともに声を上げた。


「ボクが今相手にしてるのは、北欧魔術を使う、神道の人間にとっては異能の者。おそらく、神道で把握できている方法とは異なる手段があるんだと思う」


 灯明の表情が、険しさを増した。


「そうか……なるほどな」


「トーミョー、おまえ、妙なこと考えてるんじゃねえだろうな?」


 高杯の語気が荒くなる。すずめがこれまで聴いたことのないような声だった。


「妙なこと? 玉依家がこれまでやってきたことがそもそもおかしいんだ。強制力(捻じまげる力)だと? 契約だと? 私たち神に仕える人間が、神を超える力を乱用することが正しいとでも言うのか」


「何度も言っただろ。正しさなんて求めてねえんだよ。求めてなかったんだよ。俺も、ちどりもな」


「私は認めない。たとえ、それで悲しみが私たちに訪れることになってもな」


 灯明が立ちあがり、寝室を出ようとする。


「今日のところは、アカリはここに預けさせてもらう。明日以降のことはまた連絡する。外れかけた契約をもとに戻そうとは、するな」


「トーミョーてめえ」


 高杯が灯明の胸ぐらを掴んだ。


「それが人の親の言うことか……なあ、それをカナタも、アカリちゃん本人も望むと思うのか……!」


「それが運命だ。それに、昼間から飲んだくれて、神事もろくに行わず、家計を年端もいかない子どもに放りなげている腑抜けに、私を糾弾する資格はない」


「ふざけんなよてめえっ!」


 振りあげた高杯の腕を、カナタが押さえた。


「高杯さん。時間をください。時間が必要です」


 カナタは、興奮する高杯を、静かに諭した。


「っ……カナタ……」


 高杯は大きく息を吐いて、灯明を押さえつけていた手を離した。灯明は淡々と、よれた胸元を正した。


「アカリのこと、よろしくお願いします」


 カナタが深々と頭を下げて、部屋から出ていった。


 振り向きざま、カナタはすずめに、微笑みを残していった。




 すずめとアカリの契約が外れることの意味は、その場の誰もが理解していた。

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