黒猫
「さっきから何度も言ってますけど、あたしはなにも知らないっていってるでしょう……!」
「本当に? ほんとう、にぃ?」
「知りませんよ! ここのところあんまり体調がすぐれないなって思ってたくらいですってば!」
「その割にはずいぶん元気に動きまわってたけど」
「だから、記憶にないんですって!」
麻縄で縛り、畳に転がしたスーツ姿の男に、すずめが詰問する。ひとしきり訊いてみたが、やはりこの男は依代――何者かに操られていただけで、素体は人間に違いないようだ。すずめが第六感を研ぎすませてみても、人外の力をまったく感じない。気取られないように力を押さえている可能性も否定はできないが、男の様子から行くとどうも危険はなさそうだ。
「ってことは、単に降りてただけってことね。なにが降りてたかはわかんないし、ひょっとしたら、誰かが降ろしたのかもわかんないけどっ」
アカリがちゃぶ台について、煮物を頬張りながら言った。
「いやーすずめはん、大変どしたなあ。あるんどすなあ、こういうことって」
イナリも煮物をはぐはぐとついばみながら、笑っている。
「黙れ色ボケ年増女子。キミが恋愛とやらにうつつを抜かさずにさっさと帰ってきてたら、ボクがこんなに疲れることはなかったんだよ。少しは貢献しろこの穀潰し」
「ウチ、十六歳やもん……年増やないもん……」
しょんぼりうなだれるイナリの横で、すずめの不安は大きい。
「明らかにボクを狙ってきてたんだよね、こいつ。しかも、リミッターを外さないと倒しきれなかったし。けしかけた誰かは、もっと強い能力を持ってるってことになる」
すずめの言葉に、アカリも箸を止める。
「なんですずめを狙うかはわからないけど、ピンチだね、これ。黒幕をなんとかするまでは、すずめとアタシでずっとセットになって行動したほうがいいかもね」
「そうなる……かな」
すずめひとりで対応しきれないわけではない。単にリミッターを外せばいいだけだからだ。リミッター外しは意のままにできる。
しかし、アカリひとりではそもそも神力は使えない。
そして、すずめ単体でリミッターを超えた力を出すと、生命力そのものを著しく消費する。
有り体に言えば、寿命が縮まる。
一方で、すずめとアカリが揃えば、すずめの能力は幾重にも膨れあがり、生命力の浪費がなくなる。スーツ男との対決にしても、アカリさえいればリミッター解除そのものが不要だった。赤子の手をひねるが如く、一吹き、の敵でしかなかったのだ。
アカリはいわゆる、すずめの触媒だ。介しさえすれば、すずめの神力は爆発的に加速する。
ここまで何百という悪霊やはぐれ神を押さえこんできたが、すずめとアカリのタッグは常勝。そもそも勝っていなければもはやこの世に実体を持つ存在ではなくなっているのだが、負けしらずだ。戦いに慣れない幼少期こそ幾多のピンチはあったが、死線をくぐり抜ける中で大きな余裕が生まれている。
「――ねえねえすずめちゃん、パパ、お腹すいたな~」
ずずっとふすまが開いて、赤ら顔の父親――高杯が身を乗りだしてきた。
「……ん?」
畳に転がされているスーツ男に高杯が気づく。
「嘉本荒神社の木佐さんじゃないの。こんなとこでどうしたの?」
「あなたの娘さんにこうやって縛りあげられてるんですよぉ」
高杯が混乱した顔をすずめに向けた。
「そいつに襲われたからふんじばっただけだよ……神主だったのか、間抜けだなぁ」
「なっ、なんだってー!」
酔っ払った顔をなおさらに赤くしながら、高杯は木佐の背中に蹴りを続けざまに叩きこんだ。
「痛い、痛いっ! 玉依さん、誤解ですって!」
「嫁入り前の娘に対してなんてことをっ! 見損ないましたよ木佐さんっ!」
「だから誤解ですって! あたしはそんなつもりはなかったんですって!」
「つもりがあろうがなかろうが、手を出した時点で試合終了ですよ木佐さんっ! すずめちゃん、大丈夫かっ? ケガはないかっ?」
ひとしきり蹴りおえた高杯が、すずめに擦りよった。
「気持ち悪いから離れろゴクツブシさん。ほとんど無傷だから問題ないよ」
「ほとん、ど……?」
高杯が木佐に再度向きなおる。
「貴様ぁっ! すずめちゃんになにをしたっ! そのだらしない下半身でなにをしたぁっ!」
すぱああああん、とすずめの裏拳が高杯の後頭部を撃ちぬいた。高杯は糸が切れたように畳に崩れおちる。
「うるさいクソ親父。イナリとアカリ、こいつ向こうに持っていって」
イナリとアカリはうなずいて、高杯の肩と足を分担して持ちあげると、ふすまの向こうに放りなげる。
すずめはため息をついて、木佐を縛りあげていた麻縄をほどいた。
「ああ、もう……勘弁して下さいよ? なんだかよくわからないけど、今日はあたしが迷惑をかけたみたいだからなにも言えないですけどねえ……ああ、早く帰って明日の仕事の準備しなきゃあ」
木佐は腕時計に目を落とすと、慌ててすずめの家から出ていった。
「もう一点気になることがある」
すずめがつぶやく。
イナリとアカリは箸を止め、すずめを見た。
「――木佐さんとやらを操ってたのは、和神の力じゃないね」
「……どういうこと?」
アカリが訊きかえす。
「ボクに攻撃を仕掛けるときに結んだ印が、五芒星だったんだよ。陰陽道ってことも考えられるけど、受けた感じがちょっとね、今までにない異質さだった」
「陰陽道じゃないとなると……定番は西洋の魔術とかっ?」
「そうだね。ボクの第六感としてはそんな印象。とにかく、今までの相手とは攻撃のバリエーションが違うから、慎重に戦わないといけないと思う。底力も謎だしね」
「ぐろーばる時代どすなあ……」
イナリはおにぎりを取って、頬張りはじめた。
「さっきからイナリは他人事みたいにしてるけどさ、ボクとアカリになにかあったら、縁結びどころじゃないよ」
「ぶほっ……え、ええっ、そうなんでっか?」
「そうなんでっかって……どれだけボクらを信用してるのかわからないけどね。もちろんボクらだって、誰にも負けるつもりはないよ? でも万が一ってこともあるんだから」
「それは困りますえ!」
イナリが口の端にご飯粒をつけたまま、すずめに向かって身を乗りだしてくる。
「だからなおさら、協力しろってことだよ。なにか情報持ってないの? ボクの予知にはない出来事だったわけだけど、イナリ側でつかんでることとかさ」
「うーん……」
イナリは瞳を右上に動かして、逡巡する。
「特にこれといって、聞いとりまへんなあ」
「ほんとキミって役に立たないよね……」
「ぐふぅ……その視線……」
イナリが腰をくねらせた。
「……まあいいや。もうキミはあてにしてない。明日以降も少しずつナオトの気持ちをキミに向けていくから、今日の調子で、難しいことは考えずに続けて」
「ぐふぅ、りょうかいでっせ」
イナリが敬礼する。
「アカリ」
すずめが、恍惚としたイナリを無視して声をかける。
通学に利用しているリュックから、万華鏡のキーホルダーを外して、アカリに手渡した。
「これ、アカリが持ってたほうがいい。ボクはひとりでも視ることはできるしね……まあ、その万華鏡がどこまで役立つかはわからないけど、ないよりはいいでしょ」
「わかった、用心するねっ」
アカリがうなずく。
「ところで、ナオトの予知が途中で切れることがあったじゃない?」
「あ、そうだねっ」
「あれってたぶんさ、今日の一件と関連があると思うんだよね」
アカリが怪訝な表情をする。
「誰かが、ボクたちの妨害をしてるってこと」
「えぇ……? すずめとアタシが狙われるだけならわからないでもないけど、ナオトの縁結びなんて、他人にはどうでもよくない?」
「それは同感。だから、ボクとアカリの能力にただ妨害をかけて、その結果、予知がうまくいかないだけかもしれない。でもさ」
「でも?」
「これも勘でしかないんだけど、強制力なんて、いくらでも阻止できるぞ、って主張してきている感じ」
すずめの推測に、アカリが首を傾げた。
「これってきっと、ナオトの運命に対して相手が執着してるわけじゃなくって、ボクに対する挑発行為。今日の攻撃も、命は狙ってなかったのは確かなんだよ。操られてる木佐さんの言葉も、明らかに黒幕がいることを物語ってたしね。黒幕自らの手で、ボクの命を断つことを画策している可能性はゼロじゃないよ? でもねえ、そうじゃないと思う。相手は、ボクの力量を測りつつ、挑発をしてる気がする」
――と。
居間の窓が、かちゃん、と音を立てた。
なにかの気配。
「……?」
すずめが急いで窓を開け、周囲を確認する。
視界に入ったのは、暗闇に向かって走りさる黒猫の後ろ姿だけだった。




