ズキュゥゥゥン
「早くいけファック。ケツ穴に釘バットぶち込むぞ」
「そうよっ、この期におよんで怖気づいたとかはなしだからねっ?」
「うぐぅ……で、でも心の準備がぁ……」
サッカー部の部室の前で、三人が押し問答を繰りひろげる。部室のドアに向かって押しきりをかまそうとするすずめとアカリ。そして押しきられそうになっているイナリ。
五時限目。すずめもアカリも授業をサボタージュして、イナリと直兎の恋仲を成就させるべくお膳立てをしている最中だ。
窓の外では、午前中までパラパラと降っていた雨は上がり、苔むしたような匂いを残して、曇天が広がっている。
「心の準備はできるもんじゃない。するものだからね。というわけで――掛介麻久母畏伎 伊邪那岐大神、以下略――行ってこぉおおい!」
「てーいっ」
神力を発動したすずめとアカリによって吹きとばされたイナリは、部室のドアをぶち破って吶喊した。ずばたん、と、引き戸の片割れが倒れる音が部室に響き、イナリはぴぎぃと部室の床に鼻をぶつけた。
すずめもアカリもさっさと姿を消した――かと思いきや、神力により存在を希薄化して、直兎に悟られないように同席する。
「い、イナリか。大丈夫か、おまえ……? ケガしてねえか?」
同じく五時限目をサボタージュし、部室内のベンチに腰掛けた直兎は唖然としながらも、持ち前の男子力を発揮した。
部室内は文字通り、汚い。男が一人暮らししたら、あるあるの風景を地で行っている。飲みかけのペットボトルで、カビが浮いたものがロッカーの上に載っていたり、ユニフォームは洗濯されずに臭気を放っていたり、なぜかトランプや花札が転がっていたり。あきらかに部員の私物と思われるものが散乱していて、ゴミのようなそれらを踏みしめさえすれば歩くことができるレベルだ。まさしく、獣道。
「ふぐぅ……痛いどすぅ……」
イナリは涙目をこすって、かろうじて体を起こすと、散乱したグラビア雑誌の上に座りこんだ。
「ボロ屋だから、立てつけ悪いもんなあ、ここ。はじめて来るやつにはちょっと、不親切だったか。あらかじめ伝えておかなくて、悪かったわ。すまん」
「ぅ、うええん……ナオトさまには落ち度なんてこれっぽっちもないんどすぅ……」
「ああ……まあ、そうか。ケガがなくてよかったわ」
直兎が笑う。イナリの胸はズキュウウウンと締めつけられた。
(ああ、やっぱりこの御方はウチの運命の人や……)
涙を拭いながらイナリは思いを新たにする。
「それにしても、イナリさ。俺らと同じ高校生なのに、世界的に有名なトレーナーって、まじですげーな」
と、いう触れこみで、すずめとアカリは直兎をここに呼びだしたのだった。授業をサボるなど、実は真面目な直兎は本来するはずもないのだが、そこは藁にもすがる思い。
自分の足が少しでもよくなり、来る決勝の前半か後半、たった数分でも出場することができるのなら、という切実な願いがあって、誰もいない部室に来ている。
「えっ、あっ……そ、そうなん、どすぅ……」
「今まで、有名なアスリートとか、もしかして担当したことあったり?」
当然あってしかるべき質問に、イナリは言葉を詰まらせる。
「い、いやあウチはただのしがない神さ――」
すぱああああん、という音が響いて、イナリの頭が前にスライドした。
「なんだ、今のクラッカーみてーな音は……」
駅で餌をついばむ鳩のように頭を動かしたイナリをよそに、直兎が不審そうに部室内を見渡した。信心のカケラもなく、イナリの後頭部をひっぱたいたのはアカリだ。
『アタシもサッカー選手はよくわかんないけど……そ、そうね……ロナウ○ーニョとか、メッ○とか言っときなさい』
アカリが耳打ちする。神力が見えない直兎の耳にはもちろん届かない。
「いやー、ろなぁうひんにょーとか、めっしーのとれいなぁもやったことはありますえ」
「ま、まじかよ! それすげーよイナリ! 日本にも海外のビッグネームのトレーナーができる人がいるとかすごすぎだぜ!」
『ナオト……それ不眠に悩むおじいちゃんと、UMAの語感だから』
存在希薄化で姿を消しているすずめが、イナリの背後からジト目のままうなずいた。
「そうか、そりゃすげーわ。もしかしたら、俺も決勝に出られるチャンス、あるかもな」
「あ、ありますえ! ウチがんばりまっせ!」
直兎の眼差しが、真剣味を帯びる。視線は床に落ち、なにか、思いを巡らせている様子になる。
「正直さ……これは、他のサッカー部員には絶対に言うなよ。決勝の相手――宍道大淞南の強さはハンパねえんだ。俺ら、祝部もつえーけどよ。先輩たちは血反吐を吐くくらいの練習をずっとしてきてて、絶対勝ってやるって気持ちだけど……でも、どうしてもその実力差を考えて、後ろ向きになっちまう俺もいて……でも、勝たなきゃならねーんだ。勝って全国いくんだよ。キャプテンにも約束したしな。だからこそ、俺、絶対に決勝は出なきゃダメなんだ」
直兎は下を向いたまま、それでも、悔しさと、計りしれない決意をにじませた言葉をはっきりと声に出した。
イナリは、目をさらに潤ませて、直兎が座っているベンチに腰掛ける。二人の距離感は、人、一人分だ。
「ウチ、ナオトさまの思いがどこまでも届くように応援します。ウチにできることはなんでもします。絶対に、ナオトさまが、精一杯を出しきれるように応援します。そやから、ここにもひとり、ナオトさまの……ふぁんがいること、知っておいておくれやす」
「……イナリ」
ナオトがイナリの顔を見た。イナリは頬を染めながらも、表情は真剣だ。
「ウチ、ナオトさまのふぁんどすから。苦しいときでも一蓮托生でっせ」
「こんな、どこにでもいるサッカー馬鹿に、ファンなんて珍しいよな。イナリはいつから、俺の事見てくれてたんだ?」
「えっ……! そ、それはもう……修学旅行で、お会いしたときからでっせ」
直兎は驚いた。
「でも、そんときは俺がサッカーやってるなんてわからなかったわけだろ? そっからファンでいてくれるって?」
イナリがあたふたと手を動かす。
「い、いやあっ、ウチもいつからかは忘れてしもたわー。と、とにかく気づいたら、だったんでっせ」
「……そっか」
直兎はイナリを見ていたが、視線を前に戻した。
「イナリはさ、なんであの時泣いてたんだ?」
「え?」
「最初に、高矢稲荷、だっけ。あそこで会ったときにさ」
「……その、お父さまと喧嘩してしもて」
「親父さん? 普段から厳しいのか?」
「めったに会うことなんてないんどすけど、たまに顔合わせるとそうなんどす」
直兎はイナリの顔を見てから、ゆっくりとうなずいた。
「そうか。イナリも大変だな」
「そんなんは別に……ナオトさまは父子家庭で――」
すぱああああん。今度はすずめの上靴がヒットした。
『おい肥溜野郎。やる気あるのか?』
地の底から響くすずめの声に、後頭部を押さえるイナリ。不審そうに見回す直兎。
「イナリが引っこしてきたのって、親の都合か?」
「いや、ウチの都ご――」
すぱああああん。
「あの、そろそろ施術しましょか」
「あ、ああ……」
直兎は怪訝な表情でうなずいた。
「俺、ここに横になればいいのか?」
直兎が座っているベンチを指差す。
「そ、そうどすな」
言って、イナリは立ち上がった。直兎が不自由そうに体を動かして、ベンチにうつ伏せになる。
「う……」
イナリはうめいた。直兎の体格がいいため、体の半分近くがベンチからはみ出しているからだ。どうにも施術、という感じではない。
しかし直兎がやる気になった以上、続けないわけにはいかない。
「じゃ、イナリ、よろしく」
イナリが両手に目を落とす。ほのかな光がにじみ出ていて、温かい。すずめに託された治癒力が宿っているからだ。
「し、失礼しますぅ……」
ベンチの横にひざまずいて、直兎の脚に向かいあう。ジャージの裾を上げると、足首を中心に包帯がグルグル巻きになっていた。
痛々しい。見ているイナリの心にも、痛みがはしった。
恥ずかしさから震えながらも、優しくその両手を触れる。
「……ぉ、なんか、温かいな」
直兎がつぶやいた。
『……ぅう』
イナリの手が直兎に触れた瞬間、すずめの胸に、ずきん、となにかの違和感が起こる。
(なんだ……この感覚……)
かつて経験したことのない違和感。
(……疲れのせいかな)
イナリの両手に宿った光が、直兎の脚に移りはじめた。
イナリの手からは、光と温かさが少しずつ抜けていく。
「……これで?」
三十秒ほどで手から光が消え、イナリは、横で希薄化したまま見守っていたすずめに小声で確認する。
『……うん。治った』
すずめがうなずいた。イナリが直兎から両手を離すと、胸を襲っていた違和感は和らいだ。
「ナオトさま。終わりましたえ」
直兎からの返答はない。
「ナオトさま……?」
イナリが見ると、直兎の寝顔がそこにあった。
「……疲れてはるんどすな」
想いびとは高校一年生。いつもは凛々しい顔立ちの君も、眠ってしまえばただの少年。
「風邪引くんもよぉないから、起こさなあかんなあ……かけるもんもないしなぁ」
イナリが微笑む。
「ナオトさま、ナオトさま……?」
イナリはベンチ横に屈んだまま、のぞき込むようにして、直兎の肩を叩く。
「……ん……んん……」
ズルリ、とその巨躯がベンチから滑りおちた。
イナリを包みこみながら。
「は、はわわわわ」
直兎がイナリに覆いかぶさる形になる。
『ちょっ、なっ……! イナリ、離れろっ』
すずめが頬を染める。
『ぉおおおっ』
アカリの眼がらんらんと輝いた。
直兎の目は未だ覚めない。
「な、ナオト……さま……」
目の前に直兎の顔が迫って、イナリは、恍惚とした様子で、はじめは支えていた腕の力を弱めた。
ズキュゥゥゥン、と、直兎とイナリの唇が接触する。
『――ふぎゃあぁああああああ!』
すずめはジト目を刮目して叫ぶと、直兎の脇腹を蹴り上げた。
「ぐぼあ」
直兎はうめいて、ベンチの上に体を強制的に戻される。
「……ぐほっ……いてえ……なんだ……?」
さすがの激痛に、疲労困憊の直兎も目を覚ました。
(ボクはなににこんな動揺してるんだ――?)
すずめの胸に、なにかとてつもなく重たいものが転がっている。
「ぐあ……め、めちゃくちゃ腹痛ぇ……」
直兎が顔をしかめながらも体を起こした。
目に入るのは、床にニヤけ顔でよだれを垂らしながら横になるイナリの姿だ。
「イナリ、おまえなにしてんの」
「ぐふ……ぐふ、ふふ……」
意識が飛びかけているイナリは反応しない。
「……なんなんだ、これ。施術は終わったんか?」
気を取りなおして、左脚を動かしてみる。
「痛みが……ねえ? まじか……?」
少し角度を変えただけで走った激痛が、鳴りを潜めていることに気づく。
おそるおそる立ちあがって、左脚に少しずつ体重をかけてみても、痛みは感じない。
「ぅぉお……す、すげえ……」
直兎の感動は計りしれない。
――これで決勝戦に出られる。
――キャプテンとの約束を果たせる。
「イナリ! おまえ、すげーって!」
「……ふぁ?」
直兎の叫びに、イナリがようやく正気を取りもどし、体を起こした。
「もっと動かしてみねーとわかんねーけど、痛みなくなってるぜ?」
「ほ、ほんまどすか?」
「ああ、これ、完全に治ったんじゃね?」
直兎のはじけるような笑顔に、イナリも喜んだ。
「サンキュー、イナリ。おまえマジですげートレーナーだよ。日曜の決勝が終わったら、なんかお礼するわ!」
「お礼……?」
「ああ。俺にできることならなんでもするぜ?」
「……なん、でも……?」
呆気にとられていたイナリだったが、やがてその口の端が釣りあがり、だらしなくよだれが垂れた。
「それやったらウチと……子づくりを――」
『――いい加減にしないと口から腸引きずりだすよ?』
すずめの怨嗟の声に、イナリは我にかえった。
そろそろバトルパート入ります。




