カノジョ
そのとき、キーッとブレーキ音がひびいた。
家のまえで自転車を飛び降りる瞬のすがたが、目に入る。
「あ。噂をすれば」
「あら、いけない。たっちゃん、わたしが部屋に居たの、内緒ね」
ほそく白いひとさし指を立てて、すばやく花織さんは半透明のガラスのむこうに消えた。
玄関に向かう途中でこちらに気づいた瞬に、手を振り返してから。
今度こそ、取りだした煙草に火をつける。
買い物がえりの花織さんとも同じように目が合って、ずいぶんと一服にたどりつくのが遅くなってしまった。
じっとしてるだけで滲む汗に、ゆるい風が心地いい。
どこかで、海猫と茅蜩がなきごえを闘わせている。
除湿をかけた部屋のなかは、澄んで静かだ。
ベッドとオーディオデッキだけの六畳には、地元の波用にシェイプされた傷だらけのサーフボードが、ここ二週間ほど横たわったままになっている。
去年は、お互いの大学がなつやすみになったとたん、それを担いで日の出の海岸に通ったけれど。
花織さんの察しどおり、近ごろ恋人のできた瞬には、俺とあそんでる暇なんかないらしい。
瞬のカノジョのなまえは、マリアという。
音でしか聞いたことがないから、どんな表記なのか、本名かどうかも俺は知らない。
ちょうど、一週間ほどまえのよく晴れた日。
そう呼ばれるおんなと、瞬が海辺を歩いているのを見かけた。
あかるい色の髪と、俺に負けないくらいに焼けた肌の、ローライズが似合う華やかな子で。
折れそうな腕を絡められた男が、放っておけない気持ちになるのも無理はない。
「た、つ、や」
ガラリと、大開きになった窓のむこうから、花織さんによく似た、やわらかな笑顔があらわれる。
「よお。ひさしぶり」
「そんなとこで、何してんの?」
「海見ながら」
ご覧のとおり、と煙草をかかげると、瞬はムッと眉をしかめた。
「そんなもん吸ってると、肺が真っ黒になるんだからな」
「だれかと同じこと言ってるし」
吹きだした俺をふしぎそうに見たのは一瞬で。
すぐに、アッと叫んだ。
「また、母さんここに居ただろ?」
「ノーコメント」
「たく。世間話は近所のおばさんらとしろってェの。つき合わせてごめんな、竜哉」
なにも迷惑は被っちゃいないと、俺は笑ったまま首をふった。
「おまえが、じぶんでパンツ買うようになったって、嘆いてたぜ」
「え?」
ぽっ、と染めた頬は、まるで初な中学生だ。
「……竜哉は、いつから買ってた?」
「さあ。中学くらいじゃねーの」
「ほら、六年、七年遅れ? 嘆くなら、むしろじぶんの息子の成長のノロさだよなァ」
ちょっと照れくさそうに笑う。
こんな瞬に恋人ができたと聞いて、相手はかなり積極的な子だろうとは、おもっていた。
「花織さんには、カノジョができたって内緒なのか」
「そんなの、あらためて母親に話すもん?」
「俺にきくなよ」
苦笑でかえすと、瞬はとたんに情けない顔になる。
こういうところは、さすが親子だ。




