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マリアという女  作者: 有羽妃
2/6

子供

跨ぐように腰かけた窓枠から、しろい紙箱を取り上げる。

馴れた手つきでふたを開ける俺をみて、花織さんの眉尻がさがった。


「たっちゃん。たばこなんか吸ってるの?」


一本くわえて、ライターに火を灯したところで、おもわず静止した。


「俺もう、二十歳だけど」

「そんなの吸ってると、肺が黒くなっちゃうわよ」

「肺が黒いと、腹黒いって、似てるな」


勝手にわらう俺を、ふしぎそうな顔が見つめる。

手のなかに戻した煙草に、火をつける気はなくなっていた。


半開きにしたまどから、西日を拝むことはできない。

ところどころ錆びた柵に肘をかけて座った俺の髪を、甘い潮風がなでていく。

茶系の屋根たちのむこうでは、海面が黄金色を散らしている。


「最近、波乗りに行ってんのかな」

「瞬?」


俺がうなずくと、花織さんはぷう、と頬をふくらませた。

何か、一言あるらしい。


「どうかした?」

「瞬ね、自分でパンツ買うようになったの」

「……は?」


手からこぼれた煙草が、格子のあいだに落ちて消えた。

行方をさぐった俺のあたまに、いつもより硬い声が落ちてくる。


「それって、彼女ができたってことよね?」

「……かな」

「それなのに、瞬ったらなんにも言わないし、紹介もしてくれないのよ。男の子って、そういうものなの?」


吹きだす一歩手前でこらえた。

真剣な目で訴えてくるすがたは、ただ微笑ましい。


「母親に紹介できる相手かどうか、見極めてるところなんだろ」

「そうかなぁ」


もしくは、直感的に、母親には紹介できない相手だとおもっているか。


「息子を取られたみたいで、寂しい?」

「うーん。たっちゃんと同い年だもんなぁ。いつまでも、子供じゃないわよねぇ」


しみじみつぶやいて。

花織さんは、ちらりと俺をみた。


「たっちゃん。あんまり急いで、大人にならないでね」

「……俺?」

「瞬は、おじさんになったってわたしの子だけど。たっちゃんのこと、ちゃん付けで呼んだりできなくなったら、寂しいじゃない」


夏が過ぎ、年が明けたらすぐに、俺たちは成人式をむかえる。

でも、いくら年をかさねても、このひとは俺を変わらずにこども扱いするんだろうな、とおもった。


「俺ってもう、ふつう、ちゃん付けでは呼ばれない年だとおもうけど」

「そう? 体格だけみれば、しっかり大人の男性ってかんじだけど」

「体格だけって……」


俺は、はだかのままの上半身をかえりみて笑ってしまう。


「たっちゃんと並んだら、瞬はちょっと貧弱よねぇ」

「ほんとうに貧弱なヤツなら、400ccには乗れないって。あいつはあれで、けっこう足腰つよいよ」

「サッカーやってて、鍛えられたのかしら」

「そうだろ、きっと」


うなずくと、満面の笑みがこぼれてきた。


俺の髪をかき回す指先には、あいかわらず絆創膏が目立っている。

グラスといっしょに階段をころげたり。

皿どころか、包丁までとり落としたり。

あれだけのそそっかしさで、これまで救急車沙汰にならずにすんでいる辺り、信心もばかにならないな、とおもう。


「乗りだすと危ないって、花織さん」


むこうの壁から柵までは、約六十センチ。

全体的にスリムなからだは、あっけなく呑み込まれそうで気が気じゃない。


「ありがとう、たっちゃん。わたし、むかしからたっちゃんのほめ言葉に弱いのよね」

「さっきの、褒めたうちに入るか?」

「ていうか。たっちゃんはひとの好き嫌い、はっきりしてるでしょう。だから、瞬のこと、一人でもほんとうに好きでいてくれる友達がいるんだって、安心できるの」


しあわせそうに微笑まれると、ちくりと胃の底が痛む。

ひとに罪の意識を植えつけるのは、母親という生きものに与えられた使命なのかもしれない。


「…………俺なんかに、好かれるのもな」

「えぇ? なにか言った?」


なんでもない、と首を振る。



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