子供
跨ぐように腰かけた窓枠から、しろい紙箱を取り上げる。
馴れた手つきでふたを開ける俺をみて、花織さんの眉尻がさがった。
「たっちゃん。たばこなんか吸ってるの?」
一本くわえて、ライターに火を灯したところで、おもわず静止した。
「俺もう、二十歳だけど」
「そんなの吸ってると、肺が黒くなっちゃうわよ」
「肺が黒いと、腹黒いって、似てるな」
勝手にわらう俺を、ふしぎそうな顔が見つめる。
手のなかに戻した煙草に、火をつける気はなくなっていた。
半開きにしたまどから、西日を拝むことはできない。
ところどころ錆びた柵に肘をかけて座った俺の髪を、甘い潮風がなでていく。
茶系の屋根たちのむこうでは、海面が黄金色を散らしている。
「最近、波乗りに行ってんのかな」
「瞬?」
俺がうなずくと、花織さんはぷう、と頬をふくらませた。
何か、一言あるらしい。
「どうかした?」
「瞬ね、自分でパンツ買うようになったの」
「……は?」
手からこぼれた煙草が、格子のあいだに落ちて消えた。
行方をさぐった俺のあたまに、いつもより硬い声が落ちてくる。
「それって、彼女ができたってことよね?」
「……かな」
「それなのに、瞬ったらなんにも言わないし、紹介もしてくれないのよ。男の子って、そういうものなの?」
吹きだす一歩手前でこらえた。
真剣な目で訴えてくるすがたは、ただ微笑ましい。
「母親に紹介できる相手かどうか、見極めてるところなんだろ」
「そうかなぁ」
もしくは、直感的に、母親には紹介できない相手だとおもっているか。
「息子を取られたみたいで、寂しい?」
「うーん。たっちゃんと同い年だもんなぁ。いつまでも、子供じゃないわよねぇ」
しみじみつぶやいて。
花織さんは、ちらりと俺をみた。
「たっちゃん。あんまり急いで、大人にならないでね」
「……俺?」
「瞬は、おじさんになったってわたしの子だけど。たっちゃんのこと、ちゃん付けで呼んだりできなくなったら、寂しいじゃない」
夏が過ぎ、年が明けたらすぐに、俺たちは成人式をむかえる。
でも、いくら年をかさねても、このひとは俺を変わらずにこども扱いするんだろうな、とおもった。
「俺ってもう、ふつう、ちゃん付けでは呼ばれない年だとおもうけど」
「そう? 体格だけみれば、しっかり大人の男性ってかんじだけど」
「体格だけって……」
俺は、はだかのままの上半身をかえりみて笑ってしまう。
「たっちゃんと並んだら、瞬はちょっと貧弱よねぇ」
「ほんとうに貧弱なヤツなら、400ccには乗れないって。あいつはあれで、けっこう足腰つよいよ」
「サッカーやってて、鍛えられたのかしら」
「そうだろ、きっと」
うなずくと、満面の笑みがこぼれてきた。
俺の髪をかき回す指先には、あいかわらず絆創膏が目立っている。
グラスといっしょに階段をころげたり。
皿どころか、包丁までとり落としたり。
あれだけのそそっかしさで、これまで救急車沙汰にならずにすんでいる辺り、信心もばかにならないな、とおもう。
「乗りだすと危ないって、花織さん」
むこうの壁から柵までは、約六十センチ。
全体的にスリムなからだは、あっけなく呑み込まれそうで気が気じゃない。
「ありがとう、たっちゃん。わたし、むかしからたっちゃんのほめ言葉に弱いのよね」
「さっきの、褒めたうちに入るか?」
「ていうか。たっちゃんはひとの好き嫌い、はっきりしてるでしょう。だから、瞬のこと、一人でもほんとうに好きでいてくれる友達がいるんだって、安心できるの」
しあわせそうに微笑まれると、ちくりと胃の底が痛む。
ひとに罪の意識を植えつけるのは、母親という生きものに与えられた使命なのかもしれない。
「…………俺なんかに、好かれるのもな」
「えぇ? なにか言った?」
なんでもない、と首を振る。




