母親
この夏、街には、ロザリオ・ネックレスがあふれていた。
メッキ、オニキス、クリスタル。
ぶら下げているのは、大抵が男だ。
十字架には、あきらめ顔のおとこが居たり、居なかったり。
「あれはねぇ、首からかけるためのものじゃないんだけどなぁ」
やわらかな巻き毛をため息のぶんだけ揺らして、花織さんがつぶやく。
彼女は、小学校以外はすべてミッション系というクリスチャンで、俺もなんどか、日曜のミサに連れて行ってもらったことがあった。
「知ってる。マリアへのお祈りをかぞえる、道具なんだろ」
「たっちゃん。マリア様、よ」
「あー、ごめんなさい」
ふわり、と微笑みが咲いた。
「たっちゃん、素直。うちの瞬とは、大違いだわぁ」
育て方がわるかったのかしら、と冗談めかして、小首をかしげる。
俺は、笑い返した。
「母親に素直な息子なんか、いねーよ。花織さん」
実の母親なら、そうそう嫌われも見捨てられもしないと、甘えてられるだろう。
だけど、俺はこのひとを怒らせてしまうのが怖い。
むかし、この窓にまだ柵がなかったころは、こうして、窓ごしに瞬と語るのが日課だった。
危険だと、はんぶんの高さまで銀色の柵がつけられると。
逆に、そこをよじ登って、隣家にダイブしては、叱られていたおぼえがある。
くり返されたお小言は、もう忘れたけれど。
最後通告のことばは、十年経っても鮮明なままだ。
窓から入ってくるひとは、例えたっちゃんでも歓迎しないわよ。
いまおもえば、ずいぶんと甘いそんな一言が、子供心に、親父の拳骨よりもこわかった。
「無意識な、マリア信仰かもな」
え、とさっきよりも深めにかしげた首が、聞きかえした。
そのたびに、カフェブラウンの髪は上品にゆれる。
「あの、ネックレス。男は、みんな根っこはマザコンらしいから」
「……たっちゃんも、お母さんが恋しい?」
深刻なかおをされて、俺のほうが驚いた。
知らず、笑いは皮肉をおびる。
「俺に、母親はいないよ、花織さん」
まだ小学生のこどもを残して、男と家をでるような女は、母親とは呼ばない。
夏休みまえの、短縮授業のときだっただろうか。
よく、花織さんは瞬といっしょに下校してきた俺を、家に入る手前で呼びとめた。
今日の焼きそばは自信作だから、とか。
そうめんを茹ですぎたから、とか。
いろんな理由をつけてくれていたけど、そういうときは、うちの中に男がいたことを知っている。
なにも言わずに微笑んでくれる花織さんがいたから、俺は、なにも知らないふりをして、瞬のとなりで笑っていられた。




