気がつけば
サラリーマンを定年まで毎年やっていくものだと思っていた。
入社してリーマンショックがあり、配置された部署から特任部署に配属された。
リーマンショック時に株取引で100万近くの大損をだしたので大型バイクを購入して気分転換をした。
この経験から株取引はレスポンスとお金の価値をある程度割り切るものだと感じている。
景気が安定し特任部署から通常部署に異動になった時、普通の業務ができると思ったのだがそこでも一癖をある業務を依頼された。
なれない業務でもあり、残業をするようになった時、帰宅時に10tトラックに撥ねられ入院、膝の手術を経験した。手術をしても膝の調子を良くならず、関節にヒアルロン酸注射などをして療養をしていたが、今度はメンタルに不調をきたすようになった。
誰かから監視されている。
寝むれない。
先の大戦時の人の感情が理解できる。
物の価値について。職人が作った商品と量産品について価値は違う。
0=0 0≒0。
第3次世界大戦はマネーウォーズである。
思考が拡散されていき自分では整理できなくなっていた。
ある金曜日に早退し恩師に第3次世界大戦の妄想話をした後は家で大人しく過ごしていたが、日曜日に家族と電話してから活動スイッチが入り、常人離れした経験をする。
たとえば競馬のパドックで馬のオーラが見え1位・2位がわかる。
人の動きが止まって見える。
3人以上と力比べしても動じない。
普通ではない超人的な力を得たと思っていた。
自宅に帰りおとなしくしていると鳴るはずのないチャイムがなった。
大阪から広島の私の家まで両親が心配して私に会いに来たのだ。
先ほど電話した相手に従妹の精神科医がいて言動を不審に思い両親に連絡を取っていたのだ。
その地点で私は錯乱した。
大阪にいるはずの両親がなぜ広島にいるのか?
部屋は散らかっているので誰も入れたくない。
そんなやり取りをしていると両親は119番通報をしても家からでない私を病院に連れて行く為に、警察にも来て貰った。
警察まできたらどうしようもないと大人しく警察と一緒に病院に同行した。
病院に行くまで警官に色の話や柔道帯の話をしていた。
その時に救急救命士が私の行動や言動に目を大きく見開いているのが印象的だった。
人の目をよく見るというか瞳は人の思っていること特に原始的な感情を良く表すと体験した。
彼は私に対してすごく驚きを感じているとマジマジと感じた。
病院の候補は2か所上がっていたが家から近い病院に向かうことになった。
病院の着いたとき気持ちは亀仙人のように心身ともに軽かった。
当直の男性医師が担当医になった。
入院生活非日常の毎日だった。
身体は拘束されたり、個性的な人達がたくさんいたり・・・
私はその時精神病院に入院していたのでした。
薬の影響か食べるものがおいしくなく体重が減少した。
悪性症候群も発生した。
点滴などの治療は無意識のうちに外すので拘束されて治療を受けていた。
統合失調症と診断され電気ショック療法を2度受けることになった。
医療保護入院と順調に治療が済んで3か月で退院できた。
広島からの実家に戻ってからは病気が落ち着いたと安心していた。
カラオケに行ったり、パチンコに行ったり普段の自分がやっていることをやっているつもりが今までの充足感が得られなくなっていた。
両親は異常を感じ、精神病院に行かせようとするが私は精一杯拒んだ。
病院も精神病院ではなく、交通事故での不調整形外科の病院へ行こうとしたのだが結局精神病院に連れて行かれ大暴れの末、入院することになった。
シャバには3泊4日しかいられなかった。
大阪の精神病院は作りが古く監獄のような隔離室があった。
広島の精神病院は隔離室があったが作りは新しく監獄のような雰囲気はなかった。
初診の時には女性の医師だったが、大阪での担当医は従妹が尊敬する男性医師になった。
大阪の精神病院は広島の精神病院と比べて気持ちが楽なような気がした。
広島の病院は薬物患者だけでなく反社会的勢力の関係者がいたりした。
背中に立派な紋々入っている人や指が何本もない人、歯がない人、急に怒鳴ったりする人が大阪にはいなくて精神的に楽だった。