16 何か問題があるのか?
エンドリケリ商店の門を二度目にくぐったとき、初めてくぐった時とは反対の方向に太陽があった。
昇り始めた陽が目に染みる。ロクドーが眉のあたりに手をかざすと、隣に立っていたチョーカもまた同様にした。
そして、門柱の隣に立つ守衛小屋の窓を叩いた。
「おい、棘の団ぶっ潰し隊のお帰りだぜ」
チョーカの声に中から男が出てきた。
あのブルドッグ顔のトリマではない。トリマより少しほっそりとした、とはいえ筋肉の詰まった男である。
男は二人をその鋭い目で見た後で扉を開けた。
そこには待っていたとばかりににこやかに笑うスーツの男、ドレッツが立っていた。
「おかえりなさいませ。他の皆様は?」
ロクドーは、右腕を握りしめる。いまだに痛みがあるが、我慢できず近場の木に拳を叩きつけた。
どお、と木が揺れる。砕けた木片がドレッツの服の裾を汚した。
「ばばあはどこだ」
ロクドーの低い声。
しかし、ドレッツはたゆたう木の葉のようだ。笑顔を崩さず身体を反転させると歩き出す。
ロクドー達はそれについて屋敷の中に入っていく。
「本当でしたら、マダムはお休みの最中です。しかし、皆様のお帰りが心配であると、まだ起きておいでです。そのようなお優しいマダムに、その何と言いますか……」
ドレッツは、毛長のじゅうたんの上で立ち止まると後ろを振り向いた。そして、顔をしかめる。
二人は泥だらけ、煤だらけであった。
「一度湯あみでもしていただきたい。そして、お召し物もそのような……」
ロクドーは舌打つ。それと同時に苛立ちが身体を勝手に動かしていた。
気が付くとドレッツの胸倉を掴むと息がかかるほど顔を近づけていた。
「黙れ。こっちは腸煮えくり返ってんだ。てめぇの内臓を手土産にしてもいいんだぞ」
チョーカが隣でクカカと笑う。
ドレッツもまた気にした様子もなく顔をしかめたままだ。
「やはり、一度お二人にはお帰り願いたいのですが、マダムがお戻りになった方にはすぐに会うとおっしゃいますので。まったく、何をお考えなのか、私のようなものにはあの方の考えはわかりません」
◇◇◇
「お連れ致しました。お戻りになったのはお二人です」
「通せ」
ドレッツは、扉を開けるとすぐさま直角お辞儀の体勢になった。そして、きっかり三秒後に頭を上げる。
「下がれ」
ドレッツはもう一度直角お辞儀を三秒だけして部屋を辞した。
残ったのは、汚れた二人の男と、きれいなままのばばあであった。
「よく戻ったな。印章はあったか?」
マダムは興味なさげに口を開く。ロクドーは腰袋に手を伸ばしながらマダムの前に進み出た。
「これか?」
そういうと、机の上に印章を叩き付ける。机を支える脚がわずかに悲鳴を上げ、マダムは眉をしかめた。
「ふむ、それだ」
そういいその印章を受け取ろうとしたが、掴む寸前にロクドーはそれをひっつかむと口角をひん上げる。
「おい、ばばあ、黙ってることがあるだろ。あの棘の団について」
「黙ってること?」
「ああ、あれ、手前んところの私兵だろ」
マダムの表情は変わらない。
「どこで印章が盗まれたのか考えてたんだがよ、屋敷に賊が入ったとなりゃ大ごとだ。警備を増強する必要がある。ところがこの屋敷は守衛が門に一人。あとは、いるんだろうが、見えない程度にしかいない。つまりこの屋敷で盗まれたわけじゃない」
チョーカがほおっとうなる。
「なら、何かの荷運び中に外で取られた? それなら、裏切り者が出る可能性についての考えが甘すぎる。ほとんど裏切りものってどういうことだよ。つまり、あのハンコ取り戻し隊自体がお粗末すぎる」
そこで初めてマダムの眉が動いた。
「あれは、元々裏切り者がいることが織り込み済みの部隊だったんだろ? つまり、今回の任務の目標は印象を持ち逃げした私兵部隊と内部の裏切り者をあぶりだすためのものだったんだろ? そして、場が荒れた時点で本物の精鋭が突撃してくるはずだったとか」
ロクドーは勝ち誇ったように指を突きつける。しかし、マダムはその指を右手で軽く払った。
「だからどうした? 確かにあれはうちの元私兵だ。それが何か? 騎士団に言いつけるか? 官憲に報告するか? してもかまわんぞ。私が行商のために私兵を持っていることはきちんと認められていることだ。私兵が裏切ることなどよくあることだ」
マダムの言葉にロクドーは歯をむいた。
確かに火がかかった時点で精鋭兵を伏せていたのであれば来ていたであろうが、来なかったのは事実だ。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
ロクドーは吐き出しそうなほどの怒りを胃の痛みと引き換えに耐える。
「おい、お前俺たちを囮に使ったんだぞ? こっちは死にかけてんだ!」
「もう一度言う。だからどうした? 傭兵を、ギルド員を、金で雇った肉切り包丁を、囮に使おうがケツ拭く紙に使おうが何か問題があるのか?」
ロクドーの喉元にまで怒りの声が上ってきた瞬間後ろから肩を叩かれた。
「ん~、三十点くらいかな」
「三十点?」
「よく見とけ、チョーカ様が交渉のお手本とやらを見せてやろう」
そういうとチョーカは腰袋から何かを取り出しマダムの机に放り投げる。
それは厚さが四ミリほどあり、一辺が三センチ四方の正方形をした布片であった。
「今回の問題は、印章を盗んだ奴らでもなければ、お前さんや妹が殺されかけたことでもない。印章をあいつらが持ってたことだ」
チョーカはマダムの机の前に立つとその額をペシリと叩く。
「さて、最近ペルートとかいう薬が出回ってるのを知ってるか? マダム。効果は、陶酔感やら、多幸感やら…… 要は麻薬だよな」
そういうと、ロクドーから印章を受け取る。
そして、腰袋からもう一枚布切れを取り出し、それを鼻に近づけ匂いを嗅いで見せた。
「使用方法は、それを溶かした液体の点鼻、もしくは蒸気の吸引。で、それに便利なように布にしみこませるんだよ。こうやって」
マダムはいまだに涼しい顔だ。
「それは、私の”元”私兵が――」
「そうだな。でもよ、あんたんところの印章があった。麻薬があった。そいで、やったのがあんたの部下だ。知らぬ存ぜぬが通る道理があるのかい?」
マダムはそこで初めて眉をひそめた。そして、大きくため息をつく。
「何が欲しいんだい?」
「わかったか? 交渉ってのはこうやるんだぜ」
チョーカはロクドーに向かってウィンクをした。
ロクドーは口を開けていた。チョーカはどこから怪しんでいたのだろうか。
「で、ロクドーお前の目的は何だったんだ?」
「あ?」
突然声をかけられ変な声が出る。
「いや、家賃の値下げを」
「おいおい、家賃の値下げで命を懸けたってのか? アホだな」
チョーカは笑い飛ばす。
「んじゃ、ロクドーの家賃の値下げでいいや。いくらまで下がるんだ?」
マダムは書類を机の上に置いた。チョーカはそれをのぞき込む。
「三万五千」
「結構下がってんな。あと5千下げろ。三万でいいな」
マダムは舌打ちをすると、金額を訂正した。
「さて、ロクドー。俺は恩を売ったぜ? 今度何かあれば手伝えよ。じゃあな、異常体質者」
チョーカはそれだけ言うと部屋を後にした。それを見送るとマダムはフンと鼻をならす。
「屋敷はすぐに準備する。とりあえず、二日後にここに行け。今日は、適当に過ごしてくれればいい」
そういうと、数字の書いた紙きれをロクドーに差し出す。
「今回の報酬だ」
「あ? 報酬くれんのか?」
ロクドーは首をかしげる。そして、それが口止め料だということに気が付いた。
「ドレッツに渡せ。女の方には渡すなよ。あいつらは何もわからんから」
それを手にするとロクドーは踵を返すべく扉に身体を向けた。
そして、歩き出そうとしてハタリと足を止めると、振り向かずに口を開いた。
「聞いていいか? あそこにあんたの兵は伏せていたか?」
背後から嘆息と、そして、良いとは言ってない、という前置きが聞こえた。
「全体の状況がわからん。戻ってきた伝令曰く、謎の一団と衝突したらしい。突入タイミングを逃したばかりか、その一団に蹴散らされたそうだ」
もう一度、今度は先ほどより大きい嘆息をついている。そして、それに次いで言葉を継いだ。
「私も聞いていいか? よくわからんが、両腕の袖がないのはどこかの流行りなのか?」
ロクドーは、良いとは言ってない、と言いながら自身の右腕を確認するように握って開く。それに、合わせ前腕部の筋肉が動く。
両腕共に切り落とされた際にその部分の布はなくなってしまったのだ。右腕は七分丈、左腕は五分丈といったところである。
眉根にしわを寄せた後でロクドーはもう一度マダムに顔を向けた。その表情から悪意は見えない。
むしろ、商売人としての興味が浮かんでいた。
「夏には流行りますぜ」




