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眉間のしわ

 幻北山は標高が高く、山頂に近づくにつれ幻覚を見る者が増える。

 けれど幻北山が幻北山と呼ばれる理由はそれだけではなかった。


 幻北山には幻獣が多く棲息しているのだ。

 山に安易に踏み込めないのにはその幻獣の存在も大きく影響していた。


 曰く、でいだらぼっちのように巨大な、熊によく似た毛むくじゃらの生き物で、山に踏み込んだ者をひと踏みしてぺちゃんこにしてしまう。

 曰く、長い爪と牙を持つ山猫だが目には映らず、まるでカマイタチのように人間を切り裂いて去ってゆく。

 曰く、ひとつ目の巨鳥で、仔鳥の餌にと山に入り込んだ者を巣まで連れ去ってしまう。


 などなど。

 どれが正しいのか、どれも正しくないのか、断言できる者はいない。


 もちろん、刀剣だけで幻獣と闘うのは厳しいだろう。

 というわけで、尾宝ハンターたちは幻北山のふもとの村でそれら幻獣に対抗する、もしくは幻獣から身を守るための道具を入手してから山に入るのだ。


 和茅たちももちろん充分に準備してきた。


 尾宝『銀杏(ぎんなん)』は巨大熊に投げつければ、熊はその臭いのショックに一刻は動けなくなるという代物だ。

 そして尾宝『木天蓼(またたび)』は透明な山猫を酔わせ、数刻のあいだ攻撃不能にしてしまう。

 更に尾宝『大蒜(にんにく)』、これを身につけていれば、巨鳥が寄ってこないと言われている。


 だから今、幻北山はそこここから大蒜の匂いがするという悲惨な状況に陥っていた。


 もちろん和茅たちもその臭いをより濃い物にするのに一役買っていることは間違いない。

 和茅はいい加減嗅覚が麻痺して慣れてきたけれど、歩智はいつまで経っても慣れないらしく、ただでさえ不機嫌な顔をしていたのに、今では眉間に深いしわが刻まれてしまっている。


 とても子どもがする表情じゃない。


「歩智、辛い?」

「あぁ?」


 心配して声をかけると、すこぶる機嫌の悪い返事が返ってきた。


「少し休む?」     

「休んでどうなるんだよ。休んでるあいだずっとこの強烈な臭いを嗅ぎ続けるはめになるんだろ? くせえ時間が延びるだけじゃねえか」


 確かに歩智の言う通りだったので、和茅は口ごもる。


 どうすればいいんだろう。


 一時的に別行動をとることにして、歩智だけふもとに残してくればよかったんだろうか。

 一応、本人の意向を訊いたのだけれど、その時は一緒に行くと、そう言っていたのだ。


 けれど、歩智は尾宝『大蒜』の恐るべき臭さを知らなかったのかもしれない。

 人間が普通の大蒜を臭いと思う、その十倍近い臭さを和茅は感じる。


 嗅覚と聴力は人間に化けていても本来の姿の時と変わらないので、かなり臭い。

 その上、尾宝『大蒜』は人間界でも見られる普通の大蒜の比ではない臭さなのだ。

 そう、自然界の物とは思えない。

 だからこそ幻獣避けになるし、尾宝でもあるのだ。


 しかしそれ故に、嗅覚の鋭い生き物にとって、尾宝『大蒜』の臭いは強烈だった。

 この臭いを嫌って幻北山に踏み込まない尾宝ハンターたちの多くは嗅覚の鋭い者たちだ。


 歩智の本来の姿がなんなのかを和茅は知らないけれど、この弱りようからすると、鼻のよい生き物なのに違いない。


「じゃあ、やっぱりふもとに戻ってる?」


 ぴくり、と歩智の髪の一部が動いたような気がして、和茅は目をみはる。

 耳?

 しかしそれはすぐに消え去り、そこには伸び放題の、見慣れた青灰色の髪があるだけだった。 


「歩……」

「一緒に行くって言ってんだろ? 何度も言わせんな」


 ぴしゃり、と歩智が言い放った。


「言い過ぎなんじゃないの? 和茅がおまえのことを心配してるのはわかってるんだろ? その上で女の子に対してそんな態度を取るってのは、おれとしては見過ごせないね」

「けっ、なんとでも言えばいいさ。この女たらし野郎が! 女と見ればすぐそのケツを追っかけまわしやがって」


 歩智が忌々しげな視線を紺に向け、毒づく。


「なに? もしかして劣等感? まあ別に同性になんて思われてもおれは別に構わないんだけどね。ひとつ言っておくなら、おれは別に女の子を追っかけてるわけじゃない。向こうから近寄ってきてくれるんだなぁ。まあ、君も成長したら外見的にはそこそこいい男になれそうだから、問題は性格のほうだね。その性格、直さないと、女の子に嫌われるよ」


 紺が爽やかに髪をかき上げながら、歩智に忠告する。

 紺の外見は二十代前半くらい。

 見た目がいいし、基本的に誰にでも優しい。

 通りを歩いていれば、呼び込みの女の子たちに声をかけられるのはしょっちゅうで、飲食店に踏み込めば店員や近くの席の女の子が話しかけてくるのはいつものことだった。


 そんな紺とつるんでいるということで、当時、和茅はよく嫉妬と羨望のまなざしで見られた。

 恋人同士に間違われたことだって何度もある。

 けれど、和茅と紺のあいだにそれっぽいことなど、もちろんひとつもなかった。


「ほっとけよ。うぜえな……」


 歩智が険悪な表情で吐き捨てる。

 けれどそれが聞こえているはずの紺は腹を立てるでもなく、肩をすくめてみせただけだった。

 紺は、あまり怒らない。

 少なくとも和茅は怒っている紺を見たことがなかった。


 こういう、おおらかなところも女の子に好かれる理由なんだろうなぁ、と和茅は対照的なふたりを見てぼんやりと考えるのだった。

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