同郷
歩智の体力は決して無尽蔵ではない。
けれど、和茅ひとりを抱えて走るくらいならば、さして支障はないようだった。怪我の治りが早いというのは本当のようで、傷はもうすっかり治癒している。
休憩をしっかりととりつつ、西湖から幻北山を目指して三日後、ふたりは幻北山の麓の町まで戻ってきていた。
結局、その道程のほとんどを歩智が和茅を抱いた状態で走り抜けたのだが、一週間かかるところをその半分以下の日数で駆け抜けるとは、驚くべき速さだった。
「惚れてもいいぜ」
間近に幻北山を見上げながら、歩智が言った。
その声は、先ほどまでの青年姿のときよりも高くなっている。目的地に到着して和茅を下ろすなり、歩智はさっさと少年の姿に戻ってしまったのだ。
和茅は少し名残惜しいような、小さい歩智のほうが落ち着くような、不思議な気持ちで隣に立つ歩智を見下ろした。
「かっ、考えとくね」
和茅がそんな自分の気持ちを隠そうと強がって言うと、歩智が可笑しそうに笑った。
歩智に惚れているのかどうかは自分でもよくわからないけれど、一緒にいて安心するのは間違いなかった。青年姿の歩智は格好いいと思うし、少年姿の歩智は可愛いと思う。
それに口調は乱暴だけれど、なんだかんだ言って優しいことも知っている。
歩智に惚れてるのかな――。
そんな風に考えると、胸のどきどきが止まらなくなってしまう。
「とっ、とりあえず、情報収集しないとね」
「その前に宿を決めねえと。今晩くらいは宿でゆっくり寝てえし。それにしても、数日のあいだに、随分とハンターの姿が増えたみてえだな」
歩智の言うとおり、通りを歩く人の中にはひと目でハンターだとわかる者が多い。
旅装で、その腰に武器と使いきり用の道具を入れる巾着を下げている。何気ない素振りで歩いていても、常に耳はどんな情報でも聞き逃すまいと、周囲の会話へと注意を向けているのだ。
「そうだね。今夜くらいは、ゆっくり休みたいよね」
昨日、一昨日は野宿だった。途中でいくつか尾宝を発見したので、それを尾宝商に売れば、まとまった金になるはずだし、多少高めの宿に泊まってもいいかもしれない。
と、和茅がそんなことを考えながら歩き出したそのとき、視界の隅をある人影が横切ったことに気づいた。
「紺――?」
思わず口からその人影の主の名がぽろりとこぼれた。それに歩智が素早く反応し、和茅の視線の先を見やる。
「あいつ! よくもぬけぬけとこの辺をうろつけるもんだぜ」
言うなり、くるりと踵を返し、歩智はまっすぐに紺へ向かってゆく。
「待って、歩智」
和茅はとっさにその腕をつかみ、紺に詰め寄ろうとしている歩智を止めた。
「なんだよ?」
「いいの。別に」
「なにがいいんだよ。おまえ、どうせ二年前にも同じようにあいつに騙されたんだろうが。それなのに平然としていられるなんて、おれには信じらんねえぜ」
歩智の憤りが伝わり、和茅は思わず口ごもる。
和茅は、たとえ騙されたのだとしても別に構わないのだ。だから、真実をはっきりさせる必要はない。
「それでもいいの。わたしは構わない。歩智にまで迷惑をかけてしまったのは、悪かったと思ってる。でも――」
尾垂界で紺と会ったのは二年半前。
けれど実は、紺と和茅は同郷で、人間界では同じ山に棲んでいた。
お調子者で、愛想がよくて、人懐っこいので最初は誰からも好かれる。
ただ、本人に悪気はないのだけれど、何事につけても適当なところがあったし、なによりも目の前の誘惑にとても弱かった。
そのせいで問題が起こることはしょっちゅうで、困ったことがあると、いつも和茅たち兄妹に泣きついてきていた。
和茅が歩智と組んだのは、互いにひとりだから仲間がほしかったという理由だけでなく、紺が借金まみれで首が回らなくなっていることを知った和茅が見かねて手を差し伸べたという側面もあった。
その借金のうちいくらかは、和茅が立て替えたのだ。立て替えたとはいえ、返ってこないものと思って貸している。
人間界でも、同じようなことはよくあった。だから、全て承知の上だ。
和茅的には、それで構わないのだ。
紺が助かるのなら、お金が戻ってこなくてもいい。そもそも、和茅が生きてゆくのに最低限必要なお金は手元に残してあるので、渡したお金が戻らなくても困らないように前もって考えてある。
そしてそんな紺だから、今回もきっと深く考えずに行動してしまっただけなのだと、和茅は考えている。
例えば、紺が馴染みの女の人から、親の薬代に困っている、お金を貸してほしい、と頼まれたとする。
紺は優しいので、それを放っておけない。自分も金は持ってない。でも、彼女のためにどうにかしてやりたい、そう考えても不思議じゃない。
問題はそのあと――その金をどうやって調達するかだ。
後先考えない紺は、安直に金貸しを頼ったり、怪しい仕事に首を突っ込んだりしてしまう。
和茅たちが何度も注意しているのだけれど、そのときは紺も反省するものの、結局紺は同じことを繰り返す。
そして困っている紺を見かねた和茅たちが、結局手を差し伸べることになる。
「迷惑だとかは気にしなくていいっつーの。でも、このままじゃあ『柄杓』の行方がわからねえだろ。幻北山であいつが突然逃げた理由も訊いてねえし。本人とっつかまえて全部吐かせる
のが一番速え」
歩智が和茅の手をそっと振りほどいた。
「でもっ」
「『柄杓』を見つけたいんだろ? なに怖がってんのか知んねえけど、知らないからって、なかったことにはならねえよ。知った上でどうするかが大事なんだと思うぜ。もし、どうしても知るのが嫌だっつーんなら先に宿に行ってろよ。おれはあとで行く」
突きつけられた言葉に、和茅の心臓は止まりそうになった。
怖がっている――。
そう、和茅は確かに怖がっている。知ることが怖いと、そう思っている。でも。
知らないからって、なかったことにはならない――。
そうなんだろう、と思う。歩智は正しい。そして、和茅に逃げ道を用意してくれることも忘れない。
そうこうしているあいだにも、紺の姿は人の波にのまれ、遠ざかってゆく。もう、頭がときどき見える程度になってしまった。
「そうだね、そうだよね。うん、わたしも行く」
「そうか」
歩智はそれだけ言うと、紺を追って歩き始めた。
その少しあとを、和茅は黙ったままついてゆくのだった。




