立ち回り
火打ち石を打つ音すらしないうちに、火がおこった。
三人の中にそういう能力を持つ者がいるらしい。
和茅は歩智と並んでその炎へと歩を進める。歩きながら、腰に佩いた太刀の柄にそっと手を添えた。
「あっちにある湖は、西湖なんですか?」
和茅は先ほどまでと変わらない口調で尋ねた。
西湖都には、西湖という湖がある。
大きさも深さもいたって普通で、特に目を引くものではない。ただ、普通でないことがひとつだけある。
西湖は、西湖都内を自分で移動してしまうのだ。
出没箇所はおおよそ十箇所。
どのくらいの間隔でどこに出没するかは全くの不明。法則はなく、予測不可能だという。
わかっているのは、西湖が移動するのは夜明けごろということだけ。
「ああ、そうだぜ」
男の中のひとりが、ひげに覆われた頬をかすかに上げてにやりと笑いながら言った。
和茅と歩智は、その西湖の真上に出てしまったということらしい。問題は、今、西湖が西湖都のどの位置にあるのか、だった。
さきほど訊いたとき、男は西湖都の西だと言った。
尾垂界の最西に位置する西湖都。その西に位置しているとなると、中央都までは歩いて二ヶ月近くかかる。
直接幻北山を目指しても、やはりそれと同じかそれ以上の時間がかかるだろう。
「ちなみに、ここは西湖都のどの辺りですか?」
「西って言っただろ。西湖の対岸、あっちに向かって歩けば、すぐに尾垂界地図の外に出られる。ここは尾垂界の最西。地図上の座標で言うなら、一の十三。西湖は一週間前からこの場所にある。幻北山を目指すのはやめたほうがいいと思うぜ。――まあ、残念ながらおまえらが幻北山に行けることは、もうないだろうけどな」
先ほどまでの口調とまったく異なっていることには、とっくに気づいていた。
けれどやはり、と思っただけだ。
和茅たちと同じように、なんらかの事情があって迷い込んだ旅人という可能性もなくはなかった。
もともと夜行性の生物であれば夜間に行動するのも不思議じゃない。
近隣の町や村の住民だという可能性だって――少しはあったはずだ。
結局のところ、一番可能性の高かったものに該当してしまったけれど。
柄を握る和茅と男たちのあいだに、歩智がすっと体を割り込ませた。
「貴重な情報をどうも。だが、あんたたちにやれるもんはない。悪ぃな」
「てめえらからなにかもらおうなんて思っちゃいねえ。てめえら自身を頂戴すりゃあいい話だからな」
下卑た笑いを浮かべる男たちを前に、和茅の腕が粟立つ。
けれど、ひるんでいる場合じゃない。相手はまだ油断している。
「できるもんならしてみやがれ」
歩智が挑発しながらも、後ろ手に和茅をぐいと押しやる。逃げろということらしい。
相手が男三人だということもあって、和茅ひとりに相手をさせるのは無理だと判断したのだろう。
けれど和茅は逃げなかった。
動かない和茅のほうを訝しげに振り向いた歩智の背後に、男のひとりが迫る。
和茅は歩智の横をすり抜けた。
鞘に入ったままの太刀で、男のみぞおちを力いっぱい突く。
ぐぉっという苦しそうな声を上げて、その男が地面に崩れ落ちる。
「和茅っ!?」
驚きにかすれた歩智の声が耳に届いたけれど、ここで動きを止めるわけにはいかなかった。
虚を衝かれて動けずにいる残りの男たちに向かって、和茅は駆けた。
小太りの男のわき腹を打ちつけ、残りひとりの首のうしろに手刀を見舞うと、男のうち立っている者はひとりもいなくなった。
一瞬の出来事だった。
「ごめんなさい。いろいろと教えてくれてありがとう。でも、あまり悪いことは企まないほうがいいと思うよ」
地面の上でうめいている男たちに、一応、忠告をする。
「おまえ……」
「大丈夫だった?」
「それはこっちの台詞だぜ」
歩智が呆れたようにため息を吐きながら言う。
「わたしは大丈夫だよ。さすがに見えない幻獣が相手じゃあどうにもならないけど、油断してる相手くらいなら、なんとか」
「男三人を相手にして一瞬かよ。そんな素振り、ちっとも見せなかったじゃねえか。太刀を腰に下げてるとはいえ、そんなもんただの飾りだとばかり思ってたぜ。そういうことは早く言えよ」
懐古政策が取られているため、街並みや服装などに対する規制は多い。
けれど武器の携帯に関しては、銃器を持ち込むべからず、という程度の法しかないのだ。
人間界の法にみられるように、許可を得た者しか所持できない、というような決まりはないので、誰でも自由に持てる。
歩智は、一切持っていないようだけれど。
「だって、歩智と一緒にいるあいだ、誰かと戦わないといけないような状況にならなかったんだもの」
歩智と出会ったとき以来、特に治安の悪い場所に近寄ることはなかったし、運のよいことに山賊や盗賊に遭遇したりもしなかった。
よほどのことがなければ、夜間は宿に泊まるようにしていたし、歓楽街を出歩かなかったおかげでもあっただろう。
でも、和茅だって一応、ひとりで何年も尾宝ハンターをやってきているのだ。
最低限の護身術程度は身につけていないと、さすがに尾宝ハンターなどできない。
太刀が飾りであればそれに越したことはないのだけれど、これまでに立ち回りをやったことは、数度ではない。
幸い、女ひとりだと相手が油断してくれるので、ここまで無事切り抜けてこられた。
「まあいいか。とりあえず西湖に戻ろうぜ。こんな場所に残されるよりは、西湖と一緒にどこか別の場所に移動したほうがいい。少なくともここよりは中央都に近い場所に移動するはずだからな」
「最西だもんね」
西湖は、その湖ごとそっくり移動する。湖の中を泳いでいる魚、虫、湖面に浮いた葉や舟など、全てが西湖の移動に巻き込まれるのだ。
たとえば湖岸のどの辺りまでがその移動に含まれるのかはわからないが、移動する瞬間に湖の中に入っていればおそらく一緒に移動できる。
どこに移動するかはわからない。
あとは少しでも中央都、もしくは幻北山に近い場所に移動してくれるよう祈るしかない。
「せっかく衣が乾いたのにね」
和茅が乾いて軽くなった水干の袖を軽く振りながら言った。
「てくてく歩いて戻るよりは時間が短縮できていいじゃねえか」
歩智はそう言うと、さっと踵を返した。
和茅は未だ地面に転がり痛がっている男たちに視線を向け、ホントごめんなさい、と小さく頭を下げてから歩智を追って駆け出した。




