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幻獣

「和茅っ!!」


 歩智の鋭い声に、はっと我に返る。と同時にどん、と強い力で突き飛ばされていた。

 勢いよく草むらの上を転がる。

 なにが起こったのかと顔を上げると、歩智の背中がすぐそこにあった。


「歩智?」

「出た。幻獣だ」

「えっ!?」


 和茅は驚いて身を起こす。

 歩智は前方を睨みつけるようにして立っているけれど、その先にはなんの姿も見えない。

 ぽたり、と歩智の指先からなにかが滴り落ちるのが見えた。次いで和茅の鼻に届いたにおいは……。


「立てるか?」

「歩智、血が……」

「平気だ。でも相手の姿が見えねえのは厄介だな。和茅、『木天蓼』を持ってるか?」

「うんっ!」


 和茅は立ち上がりながら、大急ぎで背負った荷を下ろしその中を探る。なにかあったときすぐに取り出せるようにと、上のほうに入れておいたはずだ。

 『木天蓼』は楕円形でつるっとした手触りをした尾宝で――。


「あった!」


 手につかんだ瞬間、ぐいとその腕を力いっぱい引かれた。その直後、耳元を鋭い風の音が通り過ぎる。姿はない。けれど今、確かになにかが通ったのを和茅も感じた。


「くそっ。和茅、悪い」

「え? なに……」


 しゃべろうとしたとき、頬に微かに違和感があった。

 『木天蓼』を持っていないほうの手でそっと触れると、ぬるりとしたものが指先に触れた。


「触るな、切れてる。もっと早く反応できれば……。和茅、『木天蓼』はあったか?」


 和茅はうなずいて、手に握っていた『木天蓼』を歩智に渡した。

 いつしか、和茅たちの周囲は静まりかえっていた。ついさっきまで、どこからか聞こえていた梟の声すら絶えている。


 ただ聞こえるのは、幻獣が草を踏むかさかさという音と、素早く動く際に聞こえる風を切る音だけだ。

 和茅はごくりと唾をのんだ。


 足音はじっとしておらず、常にふたりの周囲を移動している。いつ飛び掛ろうか、様子をうかがっているようだ。


 けれどどれだけ目をこらしても、その姿は見えない。

 歩智が『木天蓼』を握り、和茅をその背に守るようにして幻獣と対峙している。

 時間がすごく長く感じられる。


 ぽたり、ぽたりと血が滴り落ちる歩智の怪我が心配だった。

 けれど下手に声をかけることもできない。


 ぽたり。


 次の雫が落ちた、と和茅が思った瞬間、歩智が動いていた。

 びりっとなにかの裂ける音に続き、周囲に『木天蓼』のにおいが広がる。


「どうだ!?」


 命中したらしい。

 噂どおりなら『木天蓼』を喰らった幻獣はしばらくのあいだ動けなくなるはずだった。

 和茅は音の動きを耳で追う。

 和茅たちの脇を通り抜けた幻獣が、低く唸るのが聞こえる。


 だが――。


 その足音は一向に動きを止める気配が感じられない。その様子から、攻撃する気満々のようだとわかる。


「おい、効いてねえぞ」

「嘘!?」


 ちっ、と歩智が舌打ちをするのが聞こえた。


「他になにかないのか!?」


 他に――!?


 和茅は大急ぎで更に荷の中をまさぐる。

 他に幻獣に効くと聞いたのは、『銀杏』と『大蒜』だけだ。


「これと、これ――。歩智、怪我は大丈夫?」

「心配ない。今のは袖を食いちぎられただけだ」


 和茅が取り出した尾宝を、歩智が肩から先がむき出しになった右手で受け取る。確かに、そこに怪我はなさそうでほっとする。

 けれど反対の腕の怪我は、放っておくわけにはいかない。


「でも――」


 和茅は腰に佩いた太刀の柄に手を添えながら言う。姿も見えない相手と闘って勝てるとは思えないけれど、このままではやられてしまう。


「いいか、合図したら死ぬ気で走れ。おれもすぐに追いつく」


 和茅の言葉を歩智が遮った。その視線は幻獣の唸り声の聞こえるほうに向けられたままだ。 


「逃げろってこと? 歩智を残して? そんなのできないよ」

「大丈夫だ。おまえよりおれのほうが足が速いんだよ。この尾宝が効かなかったら、あとは闘うか逃げるしかねえ。正直、おれの戦闘レベルはそう高くない。だからおまえには先に逃げて、距離を稼いどいてもらわねえと困るんだよ」


 和茅がそれでも躊躇していると、歩智が『銀杏』を握った手の甲で、和茅の肩を軽く押した。


「頼むから先に行けって。すぐに追いつく。おれを信じろ」


 無理だよ、信じられない……。そう思ったが、歩智を傷つけそうで、口にはできなかった。


「絶対に?」


 口をついて出たのは、そんな問いだった。


「絶対だ」


 歩智がきっぱりと言い切った。

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