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そうして神はオチる  作者: 十秋 一世
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4.迷路~5.神

四.迷路


 果たして扉を開ければ、そこはラヴィの部屋だった。

 ファウストは堪らず、急いでラヴィが眠る天蓋付きのベッドの脇に駆け寄る。

 そして見れば、ラヴィは穏やかな寝顔ですやすやと眠っている。

 それに、ファウストは安堵の息を吐き出し、膝を付いた。

「相棒~、どうかしたのか?」

「いや、何でもない……」

 ラウンの言葉に適当に返事をして、ファウストは考える。

(時間が戻ってるってことは、あの女神は本物ってことか……でも何故なんだ? 何故、俺に力を貸したのだろう)

 疑問が沸き起こるが、しかし、折角のこのチャンスを無駄にすることもない。

 ファウストはすぐさまラヴィを起こしにかかった。すると、ラヴィは先ほど同様、すぐさま目を覚ました。

「貴方は……」

「愛香、説明してる時間が無い」

「えっ! なんで、その名前を」

「俺の昔の名前は、神成はじめ」

「はじめ君!?」

「行こう」

 二度目の再会は素早く済ませた。





 二人は森の中を走る。

「まさか、はじめ君に会えるなんて思ってもみなかった!」

 ラヴィは嬉しそうにしていた。

 それにファウストは苦笑する。そして、険しい表情を作った。

「俺も、まさか会えるとは思ってなかった」

「嬉しい」

「俺もだ」

「それにしても、ねぇ、どうして逃げるの?」

 ファウストは今回ラヴィに詳しい説明していなかった。

 その時間も惜しかったのだ。

「あとで説明するよ」

「……そう」

 ラヴィは少し表情を曇らせる。

 ファウストはそれに胸が痛む。だが、構っていられないので、兎に角逃げた。逃げて逃げて、ラヴィが先ほど死んだ森の木も通り過ぎた。とりあえず、現段階ではラヴィの死は回避できた。ファウストはそれに安堵しながら駆ける。ラヴィはそれに苦しそうにしていた。だが、付いてきてくれた。

 そして、森の終わりが見える。視界が開け、目の前に草原が広がる。ファウストはそこでようやく足を止めた。ラヴィもそれに足を止める。ファウストはラヴィに笑いかけ、そして、後方を振り返る。

 とりあえず今のところ追っ手の気配はない。

 恐らく、まだ魔法は効いている時間のはずだった。

 ファウストはもう一度ラヴィを見て、そして抱きしめた。

「は、はじめ君っ!?」

「愛香、愛香……っ」

 華奢な体。抱きしめれば、ふわりと花の香りがした。頬に触れるは柔らかな金の髪。ラヴィの体を味わう為に、ファウストはラヴィを抱きしめる。

 そうすれば、ラヴィははじめ恥ずかしそうに、それから、嬉しそうに、そして、不安そうな表情をして、ファウストの背中を優しく撫でた。しばらく二人は抱き合い、そして、ファウストの気持ちが落ち着くと、体を離した。

「愛香……俺は、この世界では黒魔術師ワイズ家の跡取りなんだ。それで、この使い魔である悪魔」とそこでファウストはチラリとラウンの方に視線を送り、ラヴィに戻し、「の生贄として、君が選ばれてしまって、本当は君を殺しに来たんだ」と伝えた。

「そんな」

「だけどっ! そんなこと俺がさせない! 家を捨ててでも、君を守るから、前世で約束したように、ずっと一緒にいよう」

「はじめ君……」

「君は、俺についてきてくれるか?」

「…………うん。だって、私、はじめ君が好きだから」

 そうして彼女は微笑んだ。

 それに自分はようやく笑った。上手く笑えず、自分が余程緊張しているのだと分かった。

 その時だった。

「――何をしてるんだ?」

 頭上から声が降ってきたかと思うと、その直後、目の前のラヴィの首があり得ない方向に曲がった。

「えっ」

 それしかファウストは声を上げられない。

 ラヴィの体はファウストに向かって倒れてきた。

 それをファウストは慌てて支える。

「はっ、えっ、な、なん、で」

「一体、何を手間取ってるんだ?」

 戸惑うファウストの目の前に現れたのは祖父フィルリアの使い魔だった。

 彼はファウストの隣に降り立つとラヴィの体を軽々と持ち上げてみせた。

「やめろっ!! 愛香に手を出すなっ!」

「何故? こいつは今回の生贄だぞ? それにもう死んでる」

「はっ、あっ、へっ」

 ファウストは現実から目を逸らしていたが、確かにラヴィは息をしていなかった。

 愕然とするファウストにフィルリアの使い魔は眉を顰めた。

「おかしな坊ちゃまだ」

「まぁまぁ~、仕方がないんだよぉ」

 呆然としているファウストに代わりそう告げたのはラウンだった。

「相棒はこの娘を好きだったみたいだからなぁ」

「はっ? 初対面だろう?」

「それがどうやら違うらしいぜ? えーと、トウキョウトチヨダクってところで出会ったんだってさ」

「どこだ、そこは」

「さぁ? 知らねー」

 ラウンはそうしてファウストをにやにやと見つめた。

「残念だったな、相棒」

 それからラヴィの亡骸を見た。

「はぁぁ~ん! いいねぇ、この子! 今から儀式が楽しみだぁ」

「では、私は先にこの娘を持って、城に戻っているからな。馬車はこの先の岩陰に待機させてある。それで国境近くまで来たら、連絡を入れろ。国境を越える準備をする」

「あいよ~」

 そうしてフィルリアの使い魔はラヴィの体を抱えながら空を飛び立った。

 ファウストとラウンだけがその場に残る。

 ファウストは未だ理解が追い付いていなかった。

 ラヴィが死んだ。

 その事実を受け止めきれない。

 動きを止めているファウストの眼前にラウンは手を翳すが、ファウストはそれに反応を示さなかった。

 それに呆れたように息を吐き出した。

「おいおい~相棒? なにやってるんだよ~」

「愛香が……愛香が……」

「はぁ~。さっさと行かねーと、追っ手がやってくるぞ~」

「…………」

 ファウストはラウンの言葉に、何も返せなかった。

 それにラウンは呆れ、「先に行くからな」と声を掛け、草原の先へと飛んでいった。

 それでもファウストはその場で立ち尽くした。

(なんで、なんで、こんなことに……っ)

 折角やり直せる機会を得たというのに、またもラヴィのことを守れなかったことに、ファウストは何もする気が起きなかった。

 また救いの手は現れないかと、ファウストは空を見上げる。

 すると、ファウストは目を見開いた。

 頭上にあるは光だ。

 人間大の光に、ファウストは期待した。

 そして、頭上の女神は自分に向かって微笑んだ。

「彼女を救いたいですか?」

 緑色の長い髪を持った神秘的な女性に向かって、自分は縦に頷いた。

 そして、時間は戻る。





 三回目の逃走。失敗した。

 四回目の逃走。失敗した。

 五回目の逃走。失敗した。

 六回目、七回目、八回目……と回を重ねるも、すべて失敗に終わった。

 ファウストは疲弊していた。

 体力は時間が戻れば元の状態に戻るので疲れは感じないが、それ以上に、精神的疲労が彼を襲った。

 何度も愛する人の死を目の前にして、ファウストは気が狂いそうだった。

 彼女の笑顔が歪み、血に濡れた胸元を見る度に、何かが壊れていく気がした。

 もう数えるのも面倒なぐらい繰り返した逃走に、徐々にファウストは気力が無くなっていった。

 しかし、それでも義務感に捕らわれ、ファウストは繰り返す。

 バッドエンドをハッピーエンドに変えるため、ファウストは女神に願った。





 ファウストは扉の前にいる。

 何度も見た、ラヴィーアン姫の扉だった。

 隣にはラウンが楽しげに笑っていた。それに苛立ちを覚えながら、ファウストは扉を開錠した。

 そこからはいつもの流れだった。

 ラヴィに自分が前世で恋人だった、はじめだと伝える。そうすれば、ラヴィは素直に信じ、そして自分と一緒に城を抜け出す。

 森は何度も失敗したので、反対側の崖側から逃走を図る。通常であれば難しい脱走も、魔法を使えばそれほど難しくはなかった。ラヴィを抱き上げ、空を飛ぶ魔法を使い降りるようにする。それにラウンは黙って付いてきた。

 そして降り立って、二人で駆け出した。

「ねぇ、はじめ君、この人は誰なの?」

 ラヴィはラウンのことを尋ねた。

 それにファウストは簡潔に答える。

「こいつは俺の使い魔」

「悪魔なの?」

「そう」

「悪魔って……ちょっと怖いわ」

「安心して、こいつは今何もできないから」

「どうして?」

「基本的に悪魔ってのは憑代がないと存在できないんだ」

「でも、いま……」

「あー、蜃気楼みたいなものだよ。実体はここにない。試しに触ってみれば分かるけど、触れないんだ」

「そうなんだ」

「そう。だからこそ、さっきも説明した生贄が必要なんだ」

「……はじめ君の使い魔が使えるようになるために、私が必要っていうことなのね」

「なーんか、俺が役立たずみたいな言い方になってるけど、それってあんまりじゃない~」

 ラウンは二人の会話に不満そうな表情を見せた。

 それにファウストは返す。

「事実だろ」

「だが、間違いでもあるよ~ん」

「どういうこと?」

「お姫さん、気になる? じゃあ、答えてあげるね~。俺は悪魔の中でも結構上位レベルなのよ。この角がその証拠。だから、正直、憑代なくてもこっちに存在ができるわけ。だけどそれをするとすっごい魔力使うから、効率が悪いんだ~、これが。だから、生贄が必要。本当は今すぐにでも君を食べたい」

 そうしてペロリとラウンは舌なめずりする。

 それにファウストは「やめろよ」と声を上げた。

「愛香が怯えるだろ!」

「脅してるんだよ」

「ラウンっ!」

「おお、怖い怖い」

 ラウンは肩を竦める。

 ファウストはラウンを睨み、ラヴィに謝罪する。

「ごめんな、愛香」

「ううん。でも、なんだか意外……悪魔ってもっと怖いものだと思ってた。喋り方のせいで、そんなに怖くない。あとカッコいい」

「…………そう思うんだ」

「あっ、深い意味はないよっ! ただ、芸能人みたいだと思っただけ」

 その言葉にほんの少しファウストは傷つく。それが分かったのだろう。ラヴィは悪戯っ子のように笑ってみせた。

「世界で一番かっこいいのは、はじめ君だよ」

 それが世辞や嘘だとしても、好きな相手から言われれば嬉しい。

 簡単に気分が高揚したファウストは我ながら単純だと思った。

 二人は走った。

 ファウストは今度の逃走こそ、成功させようと緊張していた。

 ラヴィを気遣いながら二人は走る。

 途中、野生の狼に襲われるも、ファウストが魔法ですぐさま蹴散らした。

 今度こそ、成功する。

 そう思った時だった。

 手を引くラヴィが急に立ち止まった。と、思えば、視界の端で、ラヴィの体が倒れていった。

 嫌な予感がする。そちらをバッと見れば、ラヴィの背中に一本の矢が突き刺さっていた。

 もう死体には慣れたものだ。

 ファウストは大地に倒れ、血を流し、呼吸するのを止めたラヴィの側で膝を付く。

(何故だ……何故なんだ……)

 何度彼女の手を取っても、彼女は死んでしまう。

 もうむしろ、これが運命なのかと、定めなのかと、思わなければならないのだろうか。

 ファウストの胸に闇が膨らむ。

 その時だった。

「あーはっはっはっ!!」

 高笑いがすぐ近くで聞こえてきた。見なくても分かる。ラウンだ。

「あはははっ! バカだなー相棒!」

 宙を飛んでいたラウンは低い位置まで下りてきた。膝を付くファウストと視線を合わせるぐらい、低く。

 そして、鋭い犬歯を覗かせ、悪魔は笑った。

「騙されてることに気が付かないなんて、なんて愚かなんだ!」

「……騙されてる? 一体、誰に騙されてるって言うんだ? お前か、悪魔」

「まさかっ! 一応、契約は済ませてるんだ! 悪魔が契約者に逆らうことは出来ない」

「なら、俺は誰に騙されてるって言うんだ……? お前……愛香とか言う訳ないだろうな?」

「単純だなぁ~。もっと怪しい奴がいるじゃないか~」

 ラウンは笑って、そっとファウストに囁いた。

「――女神様だよ」



五.神


 女神が天から降ってきた。

 それにファウストは強張った表情で待っていた。

「また……失敗してしまったのですね……」

 ファウストの目の前に降り立った女神は悲しそうな表情をした。

 そして、ファウストに尋ねた。

「どうしますか? また、彼女を救いに行きますか? それとも、この運命を受け入れますか?」

「――その前に、聞きたいことがある」

 ファウストのその言葉に、女神は眉をひそめた。

「……何でしょう?」

「何故、俺に手を貸す」

「貴方が憐れだから」

「俺が憐れだと言うなら、何故、彼女の命を蘇らせない」

「死者を生き返らせるのは世界の理上、出来ないから」

「なら、何故あんたは、彼女を殺す」

「……? 何のことでしょう?」

 女神はファウストの問いに首を傾げた。長い綺麗な緑の髪はさらりと揺れた。

 ファウストはそれに不信感たっぷりの表情で見つめた。

「あんたが彼女を殺した。こいつが、全部見ていた」

「…………」

 女神はちらりとラウンを見る。ラウンはそれに手をひらひらと振った。女神はそれをつまらないものでも見るようにして、ファウストに視線を戻した。

「あなたは、女神であるこの私の言葉よりも、この悪魔の言葉を信じるのですか?」

「ああ、そうだ。こいつは俺の使い魔だ。世界中の人間に嘘はつけても、契約者の俺だけには嘘をつけない。なぁ、そうだろう?」

「ああ、もちろんだとも、相棒! 血の契約に誓い、俺はお前に嘘をつかない。俺の眼で見た物、耳で聞いた物、肌で感じたこと、すべて事実をそのまま伝える。だから、言うが、さっき矢を射ったのは、この女神だよ」

 ラウンはそう言って、女神をにやにやと見つめる。

 女神はそれを無視し、ただファウストだけを見ていた。

「……………」

「で、なんであんたは彼女を殺したんだ? 答えによっちゃあ、例え女神だろうが、容赦しないからな」

 そうファウストが威嚇する。

 女神は悲しそうな表情をしていた。

 俯き、睫毛を伏せた。

 だが、次の瞬間、「ふふっ」と笑った。肩を震わせ、腹を抱え、俯かせていた顔を天に向け、高らかに笑い声を上げた。

「あはははははははははははっ!! あはっ! なに? ようやく気が付いたの?? アホじゃないっ!! ふふふっ! ふはっ! あはははははははっ!!」

 女神はそう言ってファウストを笑った。

 ファウストは距離を取り、攻撃すべく杖を構え、そして炎の呪文を唱え、技を放った。

「フンっ」

 しかし、女神はそれを腕一振りするとあっさり防御した。

 そして、ファウストに向かって優しく笑った。

「……ねぇ、昔話をしましょうか」

 まるで歌うように、軽やかな声で女神は言った。

「貴方が神だったころの話。覚えてる?」

 クスクスと笑う女神。

 それにファウストは戸惑いを隠せない。

 女神はふわりと空に舞い上がる。

「私の名前はユーフェミリア。あなたの名前は、アガペ」

 ――それはむかしの物語。





 いつも暇だった。

 下界とは切り離されていた天界は、争いも無く、平和で、何をしても自由だった。

 神々は天使たちと日々を過ごしながら、永遠の時をただ流れていた。

 その中で天界では何が重要視されていたか。

 ただ一つ。

 恋愛だ。

 天界ではあちらこちらで愛を語り、男性の神と女性の神で恋人同士になっていた。

 ユーフェミリアはまだ一人身だった。

 というよりは片思いをしていたのだ。

 片思いをしていた頃のユーフェミリアはまだ少女のようだった。緑の髪は背中程しかない。

 その髪を揺らしながら、彼女は片思いの相手がいる天界の端へと向かう。

 そして、そこにいたのは、金色の髪を持った男性の神。アガペだった。

 アガペは目の端にホクロがある、憂いを帯びた色気のある男性だった。ユーフェミリアはいつもその姿を見る度に声を掛けるか、掛けないか迷った。そしてその日は勇気を出して、声を掛けた。

 そっと近づき、高い声を意識しながら彼に声を掛ける。

「こんにちは、アガペ」

「えっ? あっ、あぁ、ユーフェミリアか……こんにちは」

 彼は心ここに在らずといった感じで、ぼんやりとしていた。ユーフェミリアを見たかと思うと、すぐに視線を下界へと戻す。それがユーフェミリアには不思議だった。

「アガペ、何してるの?」

「下界を見てるんだ」

「楽しいの?」

「うん。すごく」

 ユーフェミリアは彼が面白がるので、隣に座って、同じように下界を見た。

 だが、別に何を思うわけではない。

 ユーフェミリアは下界が嫌いだった。

 争いがある。死がある。悲しみがある。見ているだけで酷く、胸が痛んだ。天界のように自由ではなく、不自由で、そこに住んでいる人間はどこまでも憐れだった。

「ねぇ、どこか面白いの?」

「ん? あの子が見てて、すごく楽しいんだ」

 そしてアガペは指で地上をさした。

 それにユーフェミリアはアガペが何を見ていたのかようやく分かった。

 それは一人の少女だった。

 その少女は笑顔を振りまいて、街中を駆けていた。そばかすがある、冴えない子だった。

 アガペが楽しいと言ったものの正体は分かったものの、やはりユーフェミリアは楽しいと思えなかった。

「面白いかしら? 私は全然面白くない」

「そう? あの子、見ていてすごく気持ちがいいんだ。人を助ける、優しい、いい子だよ……」

「ふーん」

「あの子と喋ってみたいな」

 アガペがそう言うのでユーフェミリアは笑ってしまった。

「何言ってるの? 人間となんて、私たち神とじゃ喋れないに決まってるじゃない。まぁ、聖人だったら別でしょうけど」

「きっと喋れるよ。彼女は聖人だよ。そうに違いない」

「はぁ? それじゃあ、何? 元は神だって言いたいの?」

 ユーフェミリアは声を上げる。

 聖人――それは、神がなんらかの理由により人間として生まれ変わった者を言う。基本的に神と人間では使う言語が違うので会話は出来ない。だが、聖人であれば、魂に刻み込まれた言語回路を使用し、人間の身であっても神との会話が可能である。

 その聖人が少女だとアガペは言っていたのだ。

 ユーフェミリアはそれに馬鹿馬鹿しくなった。

 聖人の存在は稀である。というのも、寿命がない神がわざわざ人間に生まれ変わることはないからだ。聖人になる神とは、人間に志願したということ。ユーフェミリアはそんな存在、眉唾物だと思っていた。

「そんな物好きいるかしら?」

「間違いない。彼女は聖人だよ」

 アガペはもう彼女に夢中なようだった。

 そしてある日のこと、アガペはユーフェミリアに言った。

「彼女は聖人だった」

 興奮した様子のアガペ。

 何故、彼がそう確信を得たのか。

 ユーフェミリアは彼が下界に降りて、彼女と喋ったのだと悟った。

 その日を境に、アガペは毎日下界に降りて、彼女の下へと向かった。それをユーフェミリアは面白くなかった。だが、止めたところで、アガペはユーフェミリアの言葉など聞かなかった。

 それから随分と月日が流れ、少女は女性、老婆と経て、人間界で寿命を迎えた。

 アガペは彼女の最期を看取り、それ以降は抜け殻のようにしていた。

 その頃にはユーフェミリアの髪は地に付くほどになっていた。

 ユーフェミリアはアガペを待っていた。

 ずっと一人で待っていた。

 だが、アガペはユーフェミリアを見てはいなかった。

「――俺、人間になる」

 そう宣言して、彼は天界の最高神に志願し、人間へと生まれ変わった。

 聖人となってしまったアガペ。

 ユーフェミリアは天界の端に座り、下界を見下ろした。

 そうすれば、聖人に生まれ変わったアガペが、いつかの少女と楽しげに日々を送っていた。

 その姿を見せつけられて、ユーフェミリアは許せない気持ちでいた。

 やがて、彼女の中に憎しみが生まれる。

 そして彼女は神の力を使う。

 アガペを取られた憎しみを、少女にぶつけるために。

 まずはじめに、道を歩く少女が車で引かれるように、腕を振るった。





 語り終えた女神ユーフェミリアは口元を吊り上げた。

「あの子を殺そうと思ったのに、そうしたら、間違ってあなたも巻き込んじゃった。だから、生まれ変わった瞬間を狙ったの。この世界でのあの子を殺す瞬間。それも貴方の目の前で」

 話を聞いた元アガペだったファウストは驚いた。

 途方もない話に、ファウストは困惑を隠せない。

 一方、ラウンは楽しそうにしていた。

「ヒュー! 女神さまも案外悪だねぇ~。自分の男を取り戻すために、恋敵を殺すなんて、神とは思えない!」

「変なこと言わないでくれないかしら? 私がまるで悪女みたいな言い方じゃない。私はただ、あの腹黒い女狐からアガペを助けるためにしたまでよ」

「いやぁ、その台詞からしてもう、こっち寄りでしょ。女神さま、悪魔になった方が性に合ってるんじゃない?」

「うるさい悪魔ね」

 ユーフェミリアはラウンの言葉に不満気にしていた。

 その間、ファウストは理解が徐々に追い付いていった。今得た情報が自分の心に消化される。そして、ファウストは怒りが沸き起こり、自分勝手なユーフェミリアを睨んだ。

「なんてことをしたんだっ!!」

「何を怒ってるの? 私は貴方をあの女から助けて、そして、また天界に戻れるように手助けしようとしたまでよ。あんな女がいるから貴方はいつまでも惑わされる。だったら、殺すのは普通でしょ?」

 女神はそう笑顔で言う。

「ねぇ、アガペ。神さまに戻りましょう? そして、私と一緒に一生を天界で過ごしましょう。天界は、争いがなくて、どこまでも平和で、幸福な場所……こんな汚い世界とは違う、素晴らしい世界なのよ?」

「うるさいっ! 黙れっ!!」

 ファウストは杖を構え、そして、魔力を注ぎ込み、火炎の魔法をユーフェミリアに向かって解き放つ。

 それにユーフェミリアは悲しげな顔をして、またも腕を振るいその魔法を消してしまった。

「愚かな人……まだ、駄目みたいね。この世界がクズだって、なんで分からないのかしら」

 ユーフェミリアはその手に光を浮かべた。

「あと何回、この女の死を繰り返せばいいのかしらね?」

 そう言って、光をファウストに向けた。

 ファウストは思わず目を覆った。

 そして、目を開ければ、扉の前だった。

 時間は戻った。

 ファウストは隣にいるラウンを見上げる。

「……お前、全部覚えてたのか……」

「まっ、悪魔だからねぇ~。女神の力に逆らうことも出来たけど、面白そうだからそのまま流れに身を任せてみたのさ~」

「なんで言わなかった」

「聞かれなかったからな。それにしても、面白かったぜ、お前らのやり取り」

 くくくっ、とラウンは笑う。

 それにファウストは眉を吊り上げる。

 ラウンはそんなファウストを宥めた。

「まぁまぁ。俺を怒ったって何にも解決しないぜ、相棒~。それよか、女神を出し抜く方法を考えなきゃな。このままじゃ、いつまで経っても堂々巡りだぜ?」

 ラウンの言葉にファウストは納得する。

 しかし、どうすればいいのかは自分でも分からない。

「神の弱点は悪魔の血だから、俺の血で殺せるだろうさ」

 何気なくさらりとラウンが言うので、ファウストはそれにラウンに期待の眼差しを向ける。

 だが、ラウンはパタパタと手を振った。

「いや、やだよ? もしどうしても協力してくれってんなら、あの子の魂をちゃんとくれないと、俺、動かないよ?」

「契約者の俺が命令してもか?」

「そうしたら動くさ。だけど、まだ契約は最後まで完了されてない。絶対命令だとすれば、契約は最後までやってもらうぜ? あの子の魂は絶対に貰う」

 ラウンはこれは譲れない、と頑なだった。

 それはそうだろう。

 相手は悪魔だ。

 ファウストはそれに歯噛みした。

 どうすればいいのかと考える。

 そして、ハッと思いついた。

 思いついたとなったらファウストはラウンに顔を向けた。

「なぁ。こういうのはどうだ?」

 そうして説明した言葉に、ラウンは驚き、戸惑い、そして、最後は了承するのだった。




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