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そうして神はオチる  作者: 十秋 一世
1/3

0.別れ~3.逃走

0.別れ


「好き」

「私も」

「付き合って」

「いいよ」

「結婚して」

「いいよ」

「一生一緒にいて」

「いいよ」

「いつか死んで、生まれ変わっても一緒にいて」

「いいよ、……はじめ君となら」

 そう言って、愛香は笑う。

 十四歳の春先。

 少年少女はこうして結ばれた。

 学校からの帰り道。

 夕日が満ちる中で、二人は永遠の愛を誓う。

 それからの四季は、極彩色の色がついた。

 春、夏、秋、冬。

 春夏秋冬の四季が廻る。

 泣いて笑って、怒って、許して、楽しんで。

 二人は青春を謳歌する。

 この時間は永遠だと思った。

 永遠に続くものだと思っていた。

 だが、それは、交通事故という名の悲劇が二人を襲い、突如として終わりを告げる。

 十五歳になった二人は揃って永眠する。


『生まれ変わっても一緒にいて』


 そんな約束を確認するように、死んだときの二人は手を繋いだままにしていた。







一.はじめ



 少年ファウストは黒魔術師の家系に生まれ、今年で十五歳となった。

 魔術師にとっての十五歳は一人前の大人として扱われた。

 身に着けていたローブはマントへと変わり、杖も腕の長さしかなかったものから、身の丈と同じぐらいの長い物に変わる。それからこれは黒魔術師特有の物だが、使い魔である悪魔が与えられる。

 召喚の儀により現世へと出現した悪魔は相手の魔力量によってレベルが変わった。

 そして、ファウストは歴代の当主と比べても絶大な魔力量を誇っていた。

 召喚された悪魔も、だからこそ、人間の形態を取っており、頭からは角が三本生えていた。蝙蝠の羽に似た大きな翼は四対であり、悪魔が高レベルであるのが分かる。

 ファウストは次期当主としての道を着々と歩んでいた。

 そんなある日のこと。ファウストが自室で魔術書を読んでいると、メイドから現当主である祖父が呼んでいると伝えにきた。

 ファウストは腰を上げた。

 ファウストの顔は整っている。清潔感があり、目元にあるホクロが色艶を生み出した。身長は百七十五センチを超えており、しかし体付きはほっそりとしている。暗い色の服を身に着けると余計にそう見えるのだろう。

 そのファウストはぼさぼさになってしまった自身の黒い髪を手で撫でつけながら部屋を出た。

 すると、どこからともなく隣に人影が降りたつ。

「やぁ、相棒。どこへ行くんだい?」

 悪魔だ。

 悪魔は優男風で、にやりと微笑んで見せた。口の中から覗く犬歯が吸血鬼を彷彿させる。長い髪を一つに束ね、ゆらりと揺らしながら、羽をばたつかせた。

「御爺様のところだよ。それより、室内では羽をしまえって言ってるだろう?」

「これは失礼」

 悪魔はファウストの言うことを素直に聞き入れ、その背中にある羽を空気に溶けるように消してしまった。

 そして文字通り地に足をつけた悪魔はファウストの隣を歩く。

 悪魔は笑う。

「それにしても現当主様は、ようやく生贄を選びなさったか」

「話もまだ聞いてないのに分かるはずがない」

「何言ってるんだ。呼び出す用なんて、それぐらいしかないだろ? なあ、相棒」

「…………ま、そうだな」

 悪魔の言うことは正しい。なので、ファウストは肩を竦めて同意した。

 生贄。

 穏やかでない言葉ではあるが、事実、穏やかな内容ではないので、ファウストは口にするのを憚れたのだ。

 しばらくして、一人と一匹の目の前に重厚な扉が見えてくる。

 身の丈の三倍はある巨大な扉は先代の見栄の象徴でもあろう。それから、黒魔術師特有の悪魔に対しての対応とも言える。悪魔によってはこの扉よりも大きなものもいる。

 扉を開ける。

 すると、中央には玉座にも似た立派な椅子があり、そこに現当主のフィルリア・ドゥ・ワイズがそこにいた。

 フィルリアは齢八十を超える老人ではあったが、その肉体は三十代のそれで、生命力に溢れていた。それもこれも契約している悪魔の力によるものだった。髪の毛は白銀ではあったが、その衰えることのない鋭い眼光がファウストの体を貫いた。

「久しぶりだな……ファウスト」

「はい、当主様」

「ああ、よい、そんなに硬くならずとも。大人になったとはいえ、ここは公式の場ではない。もっと気楽にしてくれ」

「では、お言葉に甘えて……お久しぶりです、御爺様。お元気そうで良かったです。長旅はいかがでしたか?」

「ああ、くたびれたが、中々にいい旅だった。次の時は是非、お前もついてくるがいい。世界は広い。何度行っても、新しい発見がある」

「そうでしたか。それは是非、一緒に行きたいです」

「そうかそうか。じゃあ、次のアコット大陸へ行く時には――」

「当主、雑談は後に。先に本題を」

「あ、ああ、そうだったな」

 ぬっと椅子の背後から現れ、フィルリアにそう進言したのはフィルリアの使い魔だった。

 ファウストの使い魔同様人型の形態を取っており、浅黒い肌をした屈強な青年の姿をしていた。角は短いが数は六本。背中に生えている羽は二対だった。

 フィルリアは咳払い一つして、「お前を呼んだ件だが」と前置きした。

「成人の儀の一つである生贄について決まった」

「ヒュー。ようやくか」

「おいっ、ラウン! 失礼だろ」

 フィルリアの言葉に口笛を吹くファウストの使い魔に、ファウストは窘めた。ちなみに使い魔の名前のラウンとはファウストが付けたものだ。使い魔は契約をする際に魔術師が名前を付ける。その名前を使っていいのは、付けられた使い魔と契約した魔術師だけだった。

 ラウンは呆れたように笑い、しかし、静かにした。

 そのやりとりを見て、フィルリアは微笑む。

「まあ、致し方ない。随分と待たせてしまったからな。気持ちが昂るのもしかたがなかろう」

「御爺様は、ラウンに甘すぎます! もう少しビシッとしないと」

「ファウスト、使い魔なんてものは所詮は悪魔だ。元々の考え方が我々とは違う。あまり縛りつけてしまっても、寝首をかかれるだけだぞ?」

 目の前にその悪魔たちがいるというのにそう言ってのけるフィルリアはさすがに大物だと感じられた。

 ファウストはフィルリアの言葉を素直に受け止めた。

 フィルリアは言葉を続ける。

「言うまでもないが、成人の儀については、悪魔を使役するためには必要な儀式だ。その中で生贄をささげるとなると、悪魔を一生縛りつける効力を発する。契約者の言葉を絶対とする為にも、これは重要な儀式だ。そして、生贄はなんでもいいわけではない。その悪魔が欲するものが必要となる。この度で見つけた生贄は、お前の使い魔が提示した条件にぴたりと当てはまる」

「――それは一体、誰でしょう?」

 ファウストは内心嫌悪感に溢れながらそう尋ねる。

 すると、フィルリアは答えた。

「隣国、ホーデン国のうら若き姫君、ラヴィーアン・ローザ―姫だ」





 部屋に戻ったファウストは一人、ベッドの上に横になりながら天井を見上げていた。

 正直な所気乗りしない。

 生贄なんていう薄暗いことにファウストは嫌気が差していた。

「なんていうか、世界が違うんだよな……俺、生粋の日本人だから、あんまりそういうことやりたくないっていうか……そういう血生臭いことなんてゲームや映画のなかだけで十分だよ……」

 そうして、ファウストは息を吐き出す。

 彼には前世の記憶があったのだ。

 生前は地球にある日本国の東京都に住んでいた。名前は神成はじめ。中学生だった。十五歳の時に交通事故に合って死んだ。そして、目が覚めたら、この世界だった。赤ん坊の時に前世の記憶が蘇り、ファウストは当初混乱した。だが、神経が発達していない体では混乱も何もなかった。ただされるがままで、この世界を学んでいった。そして繰り返し過ぎていく時の中で、この世界の常識を知り、こうして十五歳となった今では見事、黒魔術師の家系の嫡男として育った。

 また、前世での記憶が残っているというチート具合と生まれ持った魔力の高さと言う素質のせいで、幼い頃から天才だと持て囃された。だが、ファウストはそれに辟易していた。知識は確かにこの世界のものを持っていた。だが、身についている倫理観は日本のものだ。黒魔術師なんていうものは日本で例えるならヤクザみたいなもので、人から疎まれるような仕事ばかりをしていた。こんな生活を抜け出したいと思いつつ、流れに逆らうことも出来ず、ファウストは身を落ち着けるしかなかった。

 そして気持ちが定まらないまま、成人の儀を迎えてしまった。

 生贄は使い魔であるラウンが食べるのだ。聞いた話によれば、悪魔が人を食べるのは獣の食事に似ているという。だが、決定的に違うのは魂を喰らうというところだ。その時の人間の表情と言うのはこの世の物とは思えない形相になるという。頬はこけ、目と口は裂けてしまうのではないかというほど開くという。それから肉体を食べるというのだが、悪魔が好むのは内臓ということでその食べ終わった後の光景と言うものは筆舌に尽くしがたい。

 ファウストは鬱々とした気分でいた。

 気乗りしないが、だが、次期当主としてやらなければならない。

 実行日は三日後。

 その日、ターゲットのラヴィーアン・ローザ―姫の十五歳の誕生日パーティーが開かれるのだという。その会場に侵入し、そして計画を実行するという流れだった。

「――嫌になる世界だ」

 どうにもファウストはこの世界を好きになれそうになかった。





二.パーティー



 アーチ状城門潜り抜けると、城内はあちらこちらに明かりが灯っていた。道の両端には腰の低い植木が整然と並んでいる。月明かりを受けてキラキラと光るのは庶民にとっては高価なガラスだった。小さく砕かれ加工されたガラスは植木に綺麗に飾りつけされている。来場客はそれらを眺めては、その幻想的な光景に溜息をついた。

 各国の来賓が馬車に乗って噴水の右側を回って城の階段へと横付けする。

 そうすれば恭しく腰を折る兵士がドアを開け、馬車の中からタキシード姿のファウストが降り立った。

 ドアを閉めた馬車はそのままファウストを置いて走り去る。それを尻目にファウストは長い階段をゆっくりとした動作で登り始めた。

 そして上段まで上がると兵士が二人、槍を交差してゆく手を阻んだ。それに立ち止まると、横手から正装をした老人が近づいて来た。

「本日はお越しいただき誠にありがとうございます。招待状を拝見させていただきます」

 その言葉に、ファウストは予め用意しておいた偽造カードを胸ポケットから取り出した。それを渡せば、「確かに」と老人は頷いた。

「ようこそおいでいただきました、エース様。どうぞ、会場へお進みください」

 ちなみに、エースは偽名だ。偽造カードは使い魔であるラウンに用意してもらった。

「ありがとう、ムッシュ。この城は素晴らしいね」

「お褒めいただき光栄です」

 ファウストは適当に謝辞を述べ、頭を垂れる老人の横を通り過ぎた。兵士たちは交差していた槍を上へと向ける。ファウストはその間を通った。

 真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を静かに歩いた。ふわふわとした足元にファウストは複雑な心境を抱く。

 いよいよここまで来てしまった。

 これから行う仕事を考えると、憂鬱でしかたがなかった。

 だが、もう引き返せない。

 ファウストはこの赤い絨毯同様の血濡れた道を進むしかないのである。

 通路を過ぎれば、大広間へと出た。淡いオレンジ色のランプがあちこちに設置されている。上空にはシャンデリアに似た照明器具。ファウストは感慨に耽った。生前であれば縁も無かった場所である。リアルで城を体感でき、単純にファウストの気分は高まった。

 これからのことは気が重いが、まず先に、城を楽しむのが先決だ。そう決めると、周囲の客に視線を配らせた。男性は正装である黒のタキシードを身に着け、女性は赤、青、黄色、ピンクなど、様々な色合いのドレスを身に着けていた。会場は広いというのに、人の多さで歩くのでさえ一苦労だった。それはまず、幅広の女性のドレスが主な原因の一つだろう。年配のものたちは壁際で立ち話をし、年若いものたちは中央でぺちゃくちゃとお喋りをしている。きっと知り合い同士なのだろう。こちらの世界でも日本と同じような少女の空気に思わず微笑ましくなった。

 ファウストは映画のセットのような世界に惚れ惚れしながらその空気を味わっていた。

 そうしていると、何度か女性に声を掛けられた。

 ファウストの見た目はこの会場にいる男性の中でも目立つ方だった。体に線に合ったスーツを着こなし、その端正な顔立ちは目元のホクロのせいでどこか不思議な魅力を持たせていた。老若問わず、女性はファウストと知り合いになりたい一心で、声を掛けた。

 しかし、ファウストとしては仕事の邪魔になるだけである。

 話の相手を適当にして、いもしない探し人をでっちあげ、そそくさと何度も逃げなければならなかった。

 そうして女性から逃げ回っていれば、ファウストはいつの間にか道に迷ってしまった。

 中庭へと抜け出てしまい、ファウストは頭を掻いた。

「参ったな……誰かいないかな……」

 道を聞こうにも、見える範囲に人はいない。

 自分で探すしか方法が無い、と諦めていたところ、目の端に動くものが見えた。

「あっ、もし、そこの方! 大広間までの道を教えていただけませんか?」

 ファウストは慌ててそちらに向かって声を掛ける。

 そして、振り返った先のその人を見て、驚いた。

「えっ」

 少女だった。

 波打つ黄金色の髪を持った少女は小さな唇で音を発した。

 宝石のような青い瞳。身に着けているのは淡いピンクのドレス。首からは髪の色に負けぬほどのゴールドのネックレス。両の手には肘まである白い手袋を身に着けている。そんな少女が草むらの中に座り込んでいた。

 ファウストはその姿にドキリとする。

「――服が汚れてしまいますよ? 立てますか?」

 緊張しつつもファウストは少女に手を差し伸べる。

 それに少女ははじめ呆然としていた様子だったが、ハッとしてファウストの手を取った。

「あ、ありがとう。助かります」

「いえ。それより、大広間へはどうやって戻るかご存知ですか? 道に迷ってしまって」

「ええ、分かりますわ。途中まで一緒に参りましょう」

 そう言って少女は愛らしい顔で微笑んだ。

 自分の前を歩く少女に、ファウストは混乱する。

 そんな、まさか、という思いが強い。

 こんなところで出会うなんて、と思った。

 混乱したファウストはどんなことを話せばいいのか迷い、結局何も喋れなかった。

 中庭から通路へ、そして、迷うことのない少女は大広間の入口が見えるところまでファウストを連れてきた。

「あちらです」

「……ありがとうございます」

 ファウストはそれだけ言って頭を下げ、大広間の方へと向かった。

 その背中に少女が問いかけた。

「名前を、教えていただけませんか?」

 その声に、ファウストは振り返る。

「ファウスト」

「ファウスト様、今宵は私の誕生日パーティーに来ていただいてありがとう」

 少女はにっこりと笑う。

 ファウストはそれに笑い返せたかどうか自信は無かった。

 あぁ、そうか。

 ならば彼女がやはり、そうなのだ。

「ラヴィーアン姫、素敵な夜をお過ごしください」

「ええ、ありがとう。貴方も素敵な夜を」

 哀れな少女は何も知らずにファウストとは違う道へと進んだ。

 ファウストはその姿が見えなくなると、苦み走った表情で呻いた。

「まさか、お前だなんて……愛香」

 自分はとことん神に嫌われているらしい、とファウストはそう思った。





 生前、ファウストには付き合っていた彼女がいた。

 名前を人見愛華。同い年だった。そして、ファウストが死んだ日、同じく交通事故に巻き込まれ、二人で死んだ。自分の目の前で息絶えていく彼女の姿を思い出すだけで、今でも胸が張り裂けそうになる。

 ずっと一緒に。

 それだけを願い、まだぬくもりのある彼女の手を取った。

 そして自分の意識も無くなった。



――いつか死んで、生まれ変わっても一緒にいて


――いいよ、……はじめ君となら



 その約束を守るために、今自分の目の前に現れたのだろうか。

 だが、なんという廻り合わせだろうか。

 自分は彼女を殺さなければならない。

 勘違いであってほしいが、自分の魂が彼女のことを愛香だと訴えている。

 最愛の恋人をまた失わなければならないのかと思うと、ファウストは遣る瀬無い気持ちにさせた。そして、逃げ出したい気持ちにさせる。

 だが、パーティーの最中、悩みながらまた中庭に一人でいると、使い魔のラウンがどこからともなく現れた。そして、自分を責める。

「姫の部屋は割り出したよ」

 もう逃げられない。

 ここで自分が逃げたところで、ラウンは一人で勝手に事を済ませてしまうだろう。

 ならば、少しでも彼女が安らかに逝けるように、自分は努力をすべきだろう。

 そう、ファウストは思った。





 ファウストとラウンは誰にも気が付かれず、静まり返った城内を移動した。

 兵士たちには眠りの魔法を。

 鍵で閉まった扉には解除の魔法を。

 何も問題が無く、スムーズに事は進んだ。

 そして、先導していたラウンが扉の前で立ち止まる。

「ここだよ」

 その言葉に、ファウストは頷く。

 そしてファウストは解除の魔法を使い、そのドアを開いた。

 キーッ、と軋む音を立てながらドアは開く。

 部屋は天蓋付きのベッドが置かれ、これぞ姫の部屋という様相をしていた。レースのついた大きな窓からは月明かりが差し込み、淡い光が部屋の中に満ちる。

 その中をファウストとラウンは歩いた。

 そして、ファウストはベッドの横に立つ。

 そこには少女が眠っていた。

 長い髪を広げながら、静かに寝息を立てている。可愛らしいその姿に胸が痛む。

「何をしてるんだ?」

「あ、あぁ、ちょっと綺麗だったから」

「なんだ、惚れたか?」

 ラウンの茶化しに、ファウストは嘘でも否定できず、沈黙した。

 そして、少女の肩に手を置いて揺さぶった。

「姫。起きてください」

 余程深い眠りについているのか、一回の呼びかけだけでは起きなかった。

 仕方がないので、再度肩を揺すった。

 そうするとようやく目が覚めてきたのか、「ん……」と声を上げ、顔を左右に揺らした。

 そして長い睫毛が縁取る瞳をそろそろと開いた。

 寝ぼけているのか、視線が定まらず、あちらこちらを見ている。その瞳が、ファウストたちを捕え、そして、「ヒッ!」と驚いた声を上げ、慌てて体を起こした。

「な、何者です! 誰か! 誰か来て!!」

「無駄ですよ、ラヴィーアン姫。この城の者たちは貴女以外、すべて眠っている。私の魔法でね」

「――魔術師、ですか……? そんな方が、私になんの用……?」

「貴女の魂を奪いに参上しました」

 ファウストは包み隠さず言った。

 後ろではラウンがにやにやと笑う。

 姫はそれに急いで逃げようとベッドから飛び出した。

 しかし、ファウストが魔法で見えない鎖で姫の動きを止める。

「あっ!?」

 見えない鎖に足を捕られ、姫は体を床に打ち付けた。

 床に倒れた姫はキッと、ファウストたちを睨むと、そこでハッとしたような表情をした。

「あなた、パーティーの時の……たしか、ファウスト……?」

「名前を憶えていただけて光栄です」

 ファウストはそうしてわざとらしく芝居がかった動作で腰を曲げた。

 そして、上体を起こすと姫に近づき、その細い顎に指を掛けた。

「本当に、運が悪いとしか言い様がない。これは、儀式なんだ」

「一体、なんの儀式だというのです?」

「俺が一人前の黒魔術師になるための成人のための儀式。今から貴女をこの悪魔に生贄として捧げるんだ」

「っ……!」

 姫はその可愛らしい顔に驚愕の表情を浮かべる。

 それにファウストは堪らなくなる。

 前世での彼女の表情が重なる。

 ファウストはこれで最後だと思い、一つだけ質問することにした。

「『愛香』という名前を知っているか?」

 これで質問に答えられなければ、彼女は別人だったとそう思い込めばいい。

 ファウストはそう思い、口を開いた。

 ファウストの期待は、そして裏切られる。

「どうして、その名前を……?」

 戸惑うようにする姫に、ファウストは泣きたくなった。




三.逃走


「愛香っ!!」

 ファウストは堪らず姫の体を抱きしめた。

 対するラヴィは相変わらず戸惑うようにしていた。

 その様子を訳も分からず眺めているのはラウンだ。突然のファウストの行動に理解が追い付かない。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。

 ファウストは涙を流し始めた。部屋にはファウストの嗚咽の声が響く。ラヴィはどうしていいのか分からず、ただ抱きしめられるままでいた。

 そしてファウストの気持ちが落ち着いた頃、ようやく体を離した。

 ファウストは未だ目に涙を浮かべながら、そうして告げた。

「信じてもらえるか分からないけど……俺の前世での名前は、神成はじめって言うんだ」

「う、そ……うそ! はじめ君、あの、はじめ君なの!?」

「そうだよ、愛香!」

「うっ、ううぅ~……はじめ、くん、会いたかったっ!!」

「俺も、俺もだよっ!!」

 そうして二人して抱き合いながら泣きはじめた。

 それに使い魔のラウンはげんなりとした表情をさせた。

「おいおい、相棒~。一体なんなんだよ~。さっさと儀式やろうぜ~」

「黙れ! クズ悪魔! 空気読めよっ!! 今、感動の再会味わってる最中なんだよっ!!」

「はぁ~? っていうか、お前ら、知り合いだったの? どこで知り合ったのよ」

「東京都千代田区でだよっ!」

「はっ? トウキョウトチヨダク?」

 ファウストはもうラウンを無視することに決め、元愛香であるラヴィに視線を戻した。

 すると、ラヴィは怯えた表情をしていた。

「私……殺されちゃうの……?」

 その言葉にファウストは笑みを作る。

「安心して、俺が殺させない」

「えっ!? ちょっ、相棒?! 何言ってるんだよッ!!」

「ここから逃げよう。そして、今度こそ二人で生きて行こう」

「でも、お父様やお母様が……」

「俺と親、どっちが大切?」

「それはもちろん、はじめ君だけど……」

「なら、行こう。このままここにいても、俺たち二人は結ばれない。生きていても、地獄を味わうだけだ」

「……そうね。分かった。私、はじめ君と一緒に行くっ」

「今度こそ、俺、愛香を守るから」

 そう言って二人は熱い抱擁を交わす。

「おーい。二人の世界に入らないで~」

 ラウンのツッコミは二人には聞き流された。





「大丈夫か、愛香っ」

「うん、大丈夫だよ、はじめ君!」

 城を抜け出した二人は森の中に入った。

 ラウンも一応ついては来ていたが、その表情は不満の色が濃い。

 しかしファウストもラヴィもそんなことは気にせず、手を繋いで道なき道を進んだ。

 と、後方から馬の嘶きが聞こえてきた。

 それにファウストは舌打ちする。

「チッ! もう魔法が切れたか……ラウン! お前、なんとかしてくれっ!」

「やーだーねー。まだ契約は完璧じゃない。その子を生贄として捧げれば、助けるぜ? 相棒」

「ふざけんなっ! 死ねッ! カスっ!」

「ざーんねーん。悪魔は死にませーん」

 ラウンはそう言って笑い、ふわふわと二人の近くを漂った。

 それにファウストは苛つく。

 だが、到底ラヴィを生贄に、という考えにはなれなかった。

 ファウストは息を切らすラヴィを見る。

 前世ならまだしも、こちらの世界ではお姫様だ。体力的にもう限界なのだろう。

「愛香、少し休もう」

「でも」

「大丈夫。まだ追い付かれないよ。少し休んで、また頑張ろう」

「うん……」

 ファウストの言葉にラヴィは素直に頷いた。

 それからファウストは目立たないような木の影にラヴィを誘導し座らせた。ファウストもその隣に座る。そうすると、前世の頃を思い出した。握りしめた手をギュッと握り、二人で顔を見合わせ笑い合う。

「なんだか、鬼ごっこしてるみたい」

 そう言って笑うラヴィに「そうだな」とファウストは笑い返す。

「これが夢とかだったら、すごくスリルがあって楽しいのにな。夢なら醒めるって分かってるから、安心できるのに。……これ、現実なんだもんね」

「そうだな」

「でも、現実で良かった」

「えっ」

「だって、はじめ君にまた会えたから!」

「愛香……」

「ねぇ、はじめ君、これからどうするの? はじめ君のお家に行くの?」

「いや、駄目だ……」

「どうして?」

「さっきも言ったけど、愛香はこいつの生贄に選ばれた。もし、俺の家に連れて行ったら、絶対に俺以外の家族が君を殺そうとする。だから、この国も出て、遠い地で二人だけでひっそりと暮らそう」

「うん……でも、大丈夫かな……私、料理と針以外、何もできないよ?」

「いいよ、それで。仕事は俺がするよ。愛香には俺の側にいてくれるだけでいいから」

「はじめ君」

 ラヴィの頬に朱が差す。

 可愛らしい顔がさらに可愛らしく微笑んだ。

 それにファウストの胸はときめく。

 しみじみと再会できたことを喜んだ。

 しかし、そう長々と幸福を味わってはいられなかった。

 遠くから犬の遠吠えのような鳴き声が聞こえてくる。急がなくては、とファウストは思った。

「そろそろ行こう。立てる?」

「うん」

「っと、その前に」

 ファウストは呪文を唱え、自分とラヴィの周りに風の結界を張った。

「これで俺たちの匂いが外に漏れることはないから、犬も気が付かないだろう。あと、足音も軽減されるから気づかれにくくなる」

「そんな魔法まで使えるの? すごいねっ! はじめ君!」

 きらきらとした瞳で見つめてくるラヴィにファウストは誇らしくなる。

「さぁ、行こう」

 ファウストはラヴィの手を取って、そして、走り始めた。

 それからどれくらい走っただろうか。

 徐々にスピードは落ちていった。それはラヴィの疲れから来ている。ファウストはもどかしい思いを抱いたが、それでも焦らず、ラヴィを励ました。ラヴィはそれに応え、懸命に足を動かした。

 だがどうしたところで、追っ手との距離は縮まってしまう。

 犬の鳴き声が近くなる。

 馬の嘶く声も間近に迫った。

「きゃっ!」

「愛香っ?」

 その時、ラヴィが暗い足元に足を捕られ、転んでしまった。

 慌ててファウストは足を止め、ラヴィの状態を確認する為に跪いた。

「大丈夫かっ?!」

「うん……平気……」

「本当か? よく見せて? 足は?」

「大丈夫だよ、はじめ君。――痛っ」

「足首?」

「う、うん……」

「捻ったか……。ごめん、俺、回復魔法は使えないんだ」

「そんなに痛くないから大丈夫だよ。それより、先を急ぎましょう」

「駄目だ。少しここで休もう。もう限界だろう?」

「でも、追っ手が……」

「……悪いけど、俺の魔法で追っ払わせてもらうよ」

「はじめ君……」

「多分、殺しちゃうかもしれないけど……でも、愛香ともう離れたくない」

「……ごめんね」

 ラヴィはそう言って俯いた。

 その謝罪はどういう意味の謝罪なのか、誰に対しての謝罪なのか、ファウストには分からなかった。だが、ラヴィは拒否しなかった。それをいいことに、ファウストはラヴィを抱きかかえ、もう少しマシな場所へと移動する。大きな木の幹のところまで運ぶと、そこに寄りかからせる。それから適当な枝を拾い、ラヴィが痛がる足首に宛がって布で巻いた。

「痛い?」

「ううん。痛くないよ。ありがとう」

「愛香、何か話をしよう。そうだ! 今までのことをお互い話そう」

「そうだね」

 少しでも空気が明るくなるように。

 そんな配慮からだった。

 ラヴィは微笑み、そして、生まれてから今までのことを話してくれた。それはお伽噺のお姫様の暮らしそのままだった。自分同様生まれた時から前世の記憶を持って生まれたラヴィは、才女として可愛がられたらしい。

 ファウストも話した。それは決して明るい話ばかりではなかったが、それでもなるべく笑えるエピソードをチョイスした。それは成功し、ラヴィは笑った。

 二人の間には朗らかな空気が漂う。

 だが、それも束の間のことだった。

 ファウストは気配を感じ、立ちあがった。

「はじめ君?」

「動かないでね、愛香」

「……分かった」

 ラヴィはファウストの空気が変わったことに気が付き、表情を硬くした。

 そして、ファウストは木の陰から飛び出した。その瞬間、二匹の犬が飛びかかってきた。それをすかさず炎の魔法で焼き払う。一瞬にして炭となった犬を無視し、そしてその奥を見やる。

 そこには髭を蓄えた中年と思わしき男性が鎧を着て、剣を構えていた。

 その背後には数人の兵士が控えている。

「魔術師か……」

 先頭にいた男はそう吐き捨てるように言った。

 ファウストはそれに緊張した。

 何故ならこれがはじめての対人との戦闘だったからだ。

(はじめて人を殺すことになるだろうな……)

 これまで頑なに人を殺したくないと思っていたのだが、だが、ラヴィを思うとそんな考えも吹き飛んでいた。

「黒魔術師が姫と結ばれる話なんて、笑っちゃうよな」

 そう、独り言を口の中で言って、そして、ファウストはラヴィから離れるように駆け出し、呪文を唱えた。





 戦闘は一方的だった。

 元々、黒魔術は戦闘に特化している。

 剣など、ただの棒に過ぎなかった。

 ファウストは剣士たちを寄せ付けなかった。次々と骸へと帰し、死体の山を積み上げる。魔術師も現れたが、ファウストの敵ではなかった。すぐさま火だるまにして殺した。

 やがて力の差が歴然だと気が付いた城の連中は、応援を呼ぶためか、身を翻した。

 それを追うほど、ファウストも切羽詰っていなかった。

 辺りは焦げた臭いが充満し、ファウストの気持ちをささくれさせた。

「愛香……終わったよ」

 ファウストはそう声を掛ける。

 するとラヴィは緊張した顔で木の下で座っていた。

「はじめ君……」

 その声は不安の色が強い。

 それに向かってファウストは聞く。

「俺が怖い?」

「少し」

 素直なラヴィはそう答える。

 ファウストは重ねて聞いた。

「もし、こんな俺が嫌なら、今だったら戻るのも簡単だよ。お城に帰って、俺が言ったことを説明すれば、国一番の白魔術師に結界を張ってもらえる。そうすれば、こいつも俺も、もう愛香には手出しが出来ない」

「でもそうしたら、はじめ君はどうなるの?」

「俺は、次期当主の候補者から外され、殺される」

「そんなっ!」

「力の強い魔術師を放っておくほど、怖いものはないからね……当たり前のことだよ」

「……なら、もし、このまま逃げたら?」

「俺は全身全霊を掛けて、愛香を守る」

 そしてファウストはまるで騎士がするように跪き、ラヴィの手を恭しく取り、その手の甲にキスをした。

「この世に神さまがいるのか分からないけど、もしいるならその神に誓うよ。愛香を守るって」

「はじめ君……」

 その言葉を聞いたラヴィは酷く嬉しそうにした。

 それからファウストに真っ直ぐ視線を向けた。

「私、決めた。貴方に一生着いて行く」

「愛香……」

「どんなことがあっても、私は貴方を嫌いになんてなれない。だから、私を連れてって」

「……ありがとう」

 ラヴィの覚悟を受け取り、ファウストはそう返事をする。

 ファウストは立ち上がり、ラヴィの手を取って立ちあがらせた。

「もう少し、頑張ってくれ」

「うん」

 ラヴィは頷く。

 そして、驚愕の表情を浮かべた。

 それを疑問に思う前に、ファウストはラヴィに体を押されて尻餅を付いた。

 瞬間、ラヴィの胸に一本の矢が突き刺さった。

「はっ」

 ファウストは思考が真っ白になる。

 唖然としているファウストの目の前で、ラヴィはくずおれ、体を倒した。

 何だ。

 何が起こった。

 ファウストは信じたくない目の前の出来事に、目を背け、矢が射られたと思われる方向に視線を向けた。

 すると、弓を手に持った二人組の男が狼狽えたような態度を取っていた。

 それにカッとなる。

 全身の血が沸騰したような感覚が沸き起こり、相手を殺すために素早く呪文を唱え、魔法を解き放つ。相手は炭さえも残らず、一瞬にして塵となって風の中に消し飛んだ。

 ファウストはもうそちらを見ない。

 そしてラヴィに向き直った。

「あい、か……」

 名前を呼ぶ。

 だが、返事はない。

 ラヴィは四肢を大地に投げ、目を見開いた状態で天を見ていた。金の波打つ髪が黒い大地に広がる。その周囲にラヴィの胸から流れ出た赤黒い液体が忍び寄った。

 ファウストは服が汚れるのも構わずにラヴィを抱き上げる。

 しかし、何の反応も示さないラヴィにファウストは信じたくない気持ちでいっぱいだった。

「あいか、愛香、愛香ッ!!」

 体を揺さぶり、名前を呼ぶ。

 だが、彼女の腕はだらりと垂れ、体の体温は徐々に無くなり、どんどんと冷たくなっていった。

「愛香ッ! 愛香ッ!! 返事を、してくれっ!!」

 ラヴィの顔に雫が落ちた。

 それはファウストの眼から落ちた涙だった。

 ぼたぼたと涙が落ちてきて、ファウストは涙を止めることが出来そうになかった。

「こんな、こんな最期なんて……っ!!」

 それ以上は言葉が詰まり、ファウストは押し黙った。

 嗚咽が森の中に響く。

 虫の音の中、ファウストの嗚咽は大きく響いた。

 ――それからどのくらいの時間が経っただろうか。

 ラヴィの体からは血が流れつくし、大地に流れ落ちた血は固まっていた。

 そしてファウストの涙も流れつくしたようで、止まっていた。

 動かなくなってしまったラヴィを見つめ、ファウストは呆然とする。

 どうすればいいのか、考えもつかない。

 ファウストは途方に暮れていた。

 その時だった。

 頭上から光が落ちてきた。

 ふと、見上げる。

 それは光の塊だった。

 光の塊は人ぐらいの大きさだった。

 ファウストははじめて見るものだった。

 一体何なのか分からない。

 自然現象でこんなことは起こらない。

 魔法だって、こんな魔法は知らなかった。

 ファウストはなんの力も湧かず、ゆっくりと落ちてくる光の塊をただ見ていると、その光はファウストとラヴィの前に落ちてきた。

 そして、光の力が弱まり、中から人影が見えてきた。

 それにファウストは眉を顰めた。

 人影は、女だった。

 薄い緑色の膝程まである長い髪の女性。瞳は虹色。背中には白い翼が生えていた。真っ白な装束を身に着けた姿は、とても人間には見えなかった。

 その女は徐に口を開いた。

「私は女神です」

 嘘くさい言葉だとファウストは思った。

 この世に神なんてものいるわけがない。

 いるんだったら、こんな最期を用意してるわけがない。

 ファウストはそう思いながら、口を開く力も無く、自分を女神だと名乗る女を見つめていた。

 女はばさりと翼をはためかせながら言葉を続けた。

「彼女を助けたいですか?」

 無表情の女。その言葉に、ファウストは目を見開く。

「ああ」

 肯定の意味で声を上げれば、女は頷いた。

「では、チャンスを貴方に上げましょう。――彼女を救うチャンスを」

 そうして女はファウストたちに手をかざす。

 光が生まれた。

 ファウストはその眩しさに目を閉じた。

 そして、光が治まった時、目を開いた。

 すると目の前には扉が。

「えっ」

「何を驚いてるんだ? 相棒」

 隣にはラウンがいる。

 周囲を見回せば、ここは城の中に間違いなかった。

「なんだ、ここ」

「はぁ? なんだここって、ラヴィーアン姫の部屋の前じゃないか!」

「はっ」

 ファウストは驚く。

 そして、思う。

(まさか、時間が戻ってる?)

 ファウストはその考えを確かめるために、目の前にある扉の鍵の解除にかかった。





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