業と片翼
どうして私の周りの男たちは「やあ、ことさん」と空々しく言うのだろう。もう少しひねりを効かせた台詞はないものか。
特に秀一郎、お前はコトノハを処方する身だろうが。
その昔、私に苛められて大泣きしていた面影は現在の立ち姿のどこからも見受けられない。おたふく風邪で赤い風船みたいになって「死んじゃうよう」とぐしぐし言ってた面影も。
小面憎く、いや、立派にお成り遊ばしやがって。
「何のご用でしょうか」
「切り口上だな」
「お暑い中ご苦労様です。熱中症に気を付けてお帰りください」
「お茶を一杯、頂けますか」
この遣り取り、後半部ではそれぞれコトノハを処方している。
上っ面では笑みを湛えながら相手に一服盛っているのだ。
そして耐性のある者同士、なまなかなことでは効かない。
私は胸中で舌打ちし、ぼんやりと傍観していた俊介を振り向く。
「やま、俊介さん!」
「はえ?」
ものすごく間抜けな声だがこの際それはどうでも良い。
「貴方もどうぞ、上がってらしてくださいな」
「へ? ど、どうしたんですか、ことさん……」
無理もないが常にない私の豹変振りに、俊介は当惑して怯えていた。
良いからとっとと上がれやこら。
私は表情筋に過負荷を掛けて笑み続けていた。顔が引きつりそうだ。
冷え過ぎない程度に冷ましたお茶をインクブルーの切子硝子の茶器に入れて出す。
秀一郎は藺草の円座から降り、背筋を正して畳に両手を突いた。
まるでこの家の娘を嫁にくださいと言わんばかりの格好だ。
俊介などは目を見張りっぱなしである。
「御当主手ずからの御振舞、痛み入ります」
「良い。楽に致せ」
莫迦丁寧な秀一郎に対し、私も重々しく答える。
これらは形式上の作法である。
音ノ瀬家庶流は嫡流、なかんずく当主を尊ばねばならない。
音ノ瀬の家にはそれだけの重みがある。私の身には余るものと、以前までは思っていた。慣れるものだ。
「面を上げよ」
「は」
秀一郎と瞳がかち合う時、私は確かに氷の帝王のような眼差しであっただろう。
はるか眼下、地平を見はるかす。
視線を交錯させながら私は独りだった。
吹き曝しの宙にただ独り。
浅葱色の組紐をしゅるりと解くと、さらさらと髪を流しながら立ち上がる。
「汗を流して来ます」
「はい」
「山田さん」
「はい、」
「その間、お相手をお願いします」
「は、はあ……」
無茶振りをして私は客間を離れた。
釣忍の揺れるに従って髪が靡いた。髪が靡くと香の匂いが私の鼻にも届いた。
ことの去ったあと、俊介は間を持て余していた。
秀一郎と目が合うと、にこり、と微笑まれる。悪い人ではなさそうだが、一筋縄で行く人でもなさそうだ、と探偵業を営む観察眼を以て認識する。
いつも鷹揚に構えていることでさえ、秀一郎にはどこか警戒する素振りだった。
(まあそれは俺もなんだけど)
自分はことに対して思慕の念を持っているから自然、胡散臭がられるのも頷けるのだが、秀一郎に対してはどうなのだろう。彼に見せた女王のような態度や、秀一郎の下僕のような低姿勢も含め、疑問に感じることばかりだ。時代劇の一幕のようだった。
「私は音ノ瀬秀一郎と申します。ことさんとは従姉弟同士の間柄です」
「ああ、そうだったんですか。僕は山田俊介、私立探偵です。ことさんとは……」
どういった間柄でもない。自分が追い回している一方である。
しかしストーカーでございとも言えない。
「彼女の心奉者ですか」
「はあ、まあ、そんなとこです」
心奉者と書いてストーカーと読む。こりゃばれてるな~と思いながら頭を掻く。秀一郎は気に留めず続けた。含み笑い、上目遣いで。
「身分違い……。なんて言ったら怒ります?」
「――――怒るより。びっくりします」
秀一郎が大口を開けて晴れ晴れしく笑った。好感の持てる笑顔だ。
「正直な方だ。でもね。その言葉も満更的外れでもない。ことさんのお仕事についてはご存じですか?」
「心理カウンセラーのようなものだと聴いてます」
秀一郎が頷く。
「うん。嘘じゃないな。かく言う僕も同業なんだが、彼女の能力には到底、比肩出来るものじゃない。ことさんの力はね、歴代音ノ瀬家当主の中でも最高峰と称されている」
「音ノ瀬さんは代々、人の精神に関わるお仕事をされていたんですか」
秀一郎が出来の良い生徒にするように、優しい目を俊介に向けた。
「そう。――――解るかな。人の精神に関わるとは、人の心に関わること、世の趨勢にも関わり得ること。彼女が望めば、国の中枢どころか、頂に立つことさえ夢物語ではない」
話の飛躍に俊介は瞬きした。
「貴方には解らないだろう。音ノ瀬の力はね、それだけの業を負っている」
「ことさんが、一人で?」
「そうさせない為に、僕はこの家に足を運んでいる。分かち合いたいと思って」
「……どうやって」
「婿養子になって、当主の片翼を担います」
秀一郎はさらりと告げた。




