春の夜
いつ、と定められたものではないのだろう。
桜降る夜、楓を寝かしつけた私は、美装のランプが下がる部屋にいた。
聖に招かれたのだ。
手を取り、私を恭しく部屋まで導いた聖。
その心に、その先に何があるのか、私は知っていて大人しく従った。
「今宵はこちらに」
それだけを言った聖に、頷いて見せる。
端坐した聖の前、私も同じく端坐する。
そして玉虫色の光沢を持つ聖の浴衣が、桔梗柄の私の浴衣と重なる。
浅い口づけを何度か交わしたあと、聖は小さな小箱を差し出した。
視線に促されて開けてみると、金に空の青、湖の青のような石を留めた指輪だった。
それを私の左手の薬指に嵌めると、また何やら懐から取り出す。
出てきたのは黒い革ベルト、ホワイトゴールドトーンの正方形に近いフェイスライン、アール・デコ調の細かな装飾が施された美しい腕時計だった。
「手巻きのアンティークです。共に時を、重ねられるように。オーバーホール(部品単位での掃除や調整。作業や点検)済みです。懐中時計もお持ちなのは知っていますが……」
「ありがとうございます。……大切にします」
私は腕時計を凝視してしばらくその美を堪能したあと、敷かれた布団の枕元に置いた。
それにしても。
「時計兎みたいですね」
くすくすと私が笑うと再び、私は聖の腕の中。
眠った楓の睫が天を向いていた様子をなぜか思い出す。
出窓の硝子越しに降る花びらが見える。
「お慕い申し上げておりました」
「うん……私もずっと好きだった。離れていた五年間も、貴方を想っていた」
交わされるコトノハは、花びらの降る音さえ聴こえそうな夜に響く。
釣忍も鳴っている。
チリーン、リーンと。
まるで春の夜の夢だ。
指輪の下、指の付け根に口づけされる。
「傍にいてくれたね」
「それが望みでした」
「聖」
「はい、こと様」
「貴方が好き」
聖の赤い双眸が揺らめいている。
帯を解こうとすると、その手をそっと押さえられた。
「僕が」
それからはコトノハ不要。
桜降る。
命と命が交わる。魂の逢瀬。
私たちは時折り、互いの名を呼び合った。
意味は無い。無いところに意味がある。
初めての経験なのに、郷愁を感じた。
こんな聖を見るのも初めてだ。
幾重にも包む紗を慎重に剥いでゆくような。
その紗が包むのは現身ではなく魂だ。
私たちは宇宙の只中に在る。
凍えぬよう、熱を分け合うのだ。
太古から連綿と続いてきた、男女の理。
――――聖と同じ夢を見た春の夜――――。




