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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第五章
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下弦プラシーボ

 ふるさとの古寺には、仏像は安置されていないが梵鐘はある。

 但し突かれるのは不定期で、守り人である聖の気が向いた時だ。

 この梵鐘の音には邪気払いの効果があり、誰でもその鐘を鳴らせる訳ではない。


 そういう次第で、聖は久々にふるさとに戻っていた。


 軽装が多い彼も、雪の季節ともなると、外に出る折りは濃紺のジャケットを着てチョコレート色の大判ストールをぐるぐる巻いたりする。

 鐘を突き終えたあとは、浅く積もった雪を踏み分けながら家屋に向かい歩いた。

 この寒さでも竜の髭は生い茂り、青々としている。

 永久(とこしえ)の象徴である松の緑も鮮やかに濃い。

 もうすぐ、新しい年になる。

 色々と節目になった一年が終わる。


 春が来る。



「旦那。鬼兎の旦那」


 仄かな微笑を浮かべていた聖を誰かが呼んだ。

 庭の隅から響く声に目を遣ると、(すい)(がい)(竹で作られた垣)の内にいつの間にやら小男が入り込んでいた。曖昧な夜闇漂わす小男は、背を卑屈に丸めている。

 その卑屈はしかし、事態を己の良いように進める演技の一つだと聖は承知していた。

 別段に軽蔑もしない。

 始終、煙管(キセル)を吹かす小男が、聖と会話する時や、こうしてふるさと――――つまり、聖の領域内にいる時にはそれをしない心底に、遠慮と畏敬があると知るからだ。


「不足分を頂戴しに参りやした」

「うん。そろそろだろうと思った」

「夜市の買い物でつけが効く御仁なんざそうそうおりやせんぜ」

「感謝しているよ。青紫の(かい)れん(せき)(タンザナイト)と桃色の灰れん石((とう)れん(せき))がある。どちらも赤ん坊の握り拳くらいだ。どちらが良い?」


 くふふ、と小男が含み笑う。


「それは当然、どちらもですよ」

「やれやれ。金の斧、銀の斧の童話を知らないのかい?」

 聖も笑いながら肩を竦める。

「ギリシアの話なんざあここで聴きたくありやせんやぁ」

「君が国粋主義だとは知らなかったよ。取ってくるから待っていてくれ」

「へい」


 聖が縁側から屋内に入る。

 小男は相変わらず背を丸めて、天を仰いだ。

「お~さむさむ。そろそろ冬眠せにゃ」


 があん、と突如乱暴に打ち鳴らされた鐘の音に驚いたのは無理もなかった。

 聖はたった今、鐘を突き終えて家屋の内に在るのだ。

 梵鐘をまじまじと小男が見れば、そこには紫陽花色のコートを着た男が立ち、こちらを睥睨している。――――梵鐘の横の石段を降り、こちらに来る。

 危険な男だと、言わずと知られる空気と面立ち。眼光。

「ひ、ひぃぃっ!」


 小男は透垣を助走も無しにぴょいと跳び越えて逃げ去った。

 鐘の音を聴きつけ縁側に再び出た聖は、そこに隼太がいるのを見ても驚かなかった。


「彼には支払いが残ってるんだが……」

「あいつは何だ」

「商人だよ。蛙の精だったかな」

「……俺が来ると知っていたか?」

「さっき、風が知らせた」

 そう言う聖の右手には三十センチ物差し。

 隼太がそれを見てせせら笑う。

「お前は存外、戦闘的だな。鬼兎。今日は戦り合う為に来たんじゃない」

「君が話し合いを好むとは思えないが」

 聖が言い終わらない内に、隼太が何かを投げて遣した。

 反射的に左手で受け止めた物を見ると、こよりで束ねられた二房の髪だった。

「――……これは?」

「隼人と母親の遺髪だ。境内に撒いてやれ。結局じいさんの本家憎悪は、憧憬とコンプレックスの裏返しだったんだろうからな」


 聖が赤い瞳を大きくした。

 隼太自らそれを認め、このような行為に出るとは予期していなかったのだ。


「……ここふるさとの守り人として、また、副つ家の者として請け合おう」

 

 真摯な言葉に対して軽く顎を引き、そのまま去ろうとする隼太に聖が声を掛ける。


「殺人を犯していないというのは事実か?」


 隼太が立ち止まった。


「……コトノハ処方を封じられても、嘘を吐く手立てはある。僕たちコトノハ使いは皆、相手のコトノハの振幅を無意識に読み取ろうとする。それが余りに幽かであれば、嘘か真かさえ判別しにくくなる。…………音ノ瀬隼太。君は、コトノハが封じられたのを逆手に取り、こと様に無味無臭の嘘という毒を盛ったんじゃないか? 即ち君は、本当は、人を」



 ゆっくりと、隼太が振り返る。

 唇には笑みが刷かれている。

 形容し難い昏い笑みが。


 光と闇のあわいより、闇に傾いているような。


「〝人を〟――――信じる心は大事だと、あの女なら言いそうだが?」

「信じたいという、こと様の心につけ込んだのか」

「…………」


 隼太の唇は下弦の月のまま。

 水平に戻らぬまま踵を返し、今度こそ立ち止まろうとしなかった。

 庭の雪原には幾つもの足跡が、何かの証のように刻印された。





挿絵(By みてみん)





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