時計兎は雪に語る
人生は続く。
花屋敷にいた不穏分子を捕えてそれで終わり、とはいかない。
組織の長である私としては、却って事後処理に追われる羽目になった。
点在する隠れ山を改めて踏破・調査し把握する。
花屋敷内の実況検分。隼人・大海父子を中心として営まれた生活の記録を辿る。
隼人とその妻、そして磨理の亡骸が葬られた場所はどこか。
屋敷の管理運営を一族の誰に委ねるか等、考えるべき事柄は多岐に及ぶ。
中でも先代当主夫妻の最期に関わる音ノ瀬隼太の尋問は最重要事項だ。
当主の立場上、それらの指揮を私は進んで執った。
悲しむ暇が無い現実を、密かに歓迎していた。
聖も秀一郎も平生の面持ちと態度で私を補佐してくれた。
恩を返すと豪語したが、俊介と顔を合わせる機会は明らかに減った。
「ここが本家か。意外にありがちな民家だな」
師走半ば。
音ノ瀬一族らの集う客間にも、隼太は気後れせず、そう感想を言ってのけた。
「御当主の御前だ。姿勢を正すよう」
「構わぬ」
いつもの紫陽花色コートを着て、胡坐に片膝立てた隼太は聖の催促に白々しい一瞥のみを返し、私はそれを許容した。
許容の言葉を聴いた隼太が、皮肉に口元を緩める。コトノハを封じられ、大した胆である。
隼太がうちに連行される前、先に到着した一族の重鎮らは、少年から青年に変貌を遂げた聖の姿に戸惑っていたが、〝副つ家の不思議〟の一環として納得することにしたらしい。経緯を知る私も特に説明しようと思わなかった。隠れ山の調査報告まとめや、音ノ瀬隼人の行動の裏を取るべく、官僚に喰い込んでいる一族の人間に過去に遡り確認させるなど、現場に赴き忙殺されている秀一郎は不在だ。
花屋敷の一件から、私は多少、怠惰になっていた。
惰性で働きはするが、億劫と感じる。
生気が抜けていると自分でも解る。
柱時計が午前九時を知らせ、私は口火を切った。
「どうやって音ノ瀬隼人のコトノハを嘘と知った?」
「ガキも育てば大人を凌駕する。コトノハの歪みとて判別するようになる」
「根拠はそれだけか?」
「大海が恐らくあれは虚言だ、と俺に言った。俺がじいさんの法螺で朦朧となってぶっ壊れそうになっていた頃。〝だから信じるな。お前が振り回される必要は無い〟と。長じて後、当時軍部の中枢にいた奴らに探りを入れて、法螺であることが実証された」
「音ノ瀬隼人は死んだのか」
「……ある年の終戦記念日、いや、〝敗戦〟記念日だな。花畑ん中で腹を切った。三島由紀夫にでも影響されたか」
「御当主!僭越ながら私にも尋問をお許しください」
軽い語調で答える隼太に業を煮やしたのか、一族の男が声を上げた。
聖の白い眉が微動する。
私は良い、と言うように聖に首を振って見せた。
「許す」
「ありがとう存じます。音ノ瀬隼太。先代の御当主たちの遭われた危難をなぜ伏せていた!?」
彼は私の両親と親交が深かった。
五年前から、一族とは別に単独で、必死に行方を捜索し続けていたのだ。
「知らせる義理が無い」
呼吸をするように自然に答えた隼太に、男の顔が怒気で赤らんだ。
「そもそもっ、他組織による犯行だと断言出来るのか! 素知らぬ顔で、お前こそが先代を殺めたのではないのか!! 御当主をたばかっているのではないのか!!」
「おい。音ノ瀬の重鎮共はこんな阿呆揃いか? 俺が殺したんならとっくにそう言ってる」
ここで隼太は口の両端を綺麗に吊り上げた。
整い、艶めいた笑顔で彼は言った。
「〝戦果〟を隠す必要など無いからな」
「口を慎め」
客間に満ちた殺気が膨れ上がり、すかさず聖がコトノハを処方した。
隼太には沈黙を強い、一族らには鎮静を施す。
私の無表情はずっと崩れない。
顔の崩し方が、いつからか解らなくなってしまっている。
休憩を挟み、尋問は夕刻まで続いた。
夕刻になると隼太を呼ぶかのように、玄関のほうから烏の鳴き声が聴こえた。
尋問を終え、隼太と一族を帰して寝室に戻ると、ビー玉や蝉の抜け殻などを並べた違い棚を見上げていた楓が、私を見た。
この子もまた、聖たち同様、私を見守っているようだ。
自分が受けた痛手もあるだろうに。
私は複雑な気持ちで楓に微笑みかける。
と、私の横を通り過ぎて部屋を出て行ってしまった。
ととと、と縁側を駆けて来た楓を、聖が危うく抱き留めた。
「どうしたんだい?」
「ひーくん。ことさんは、コトノハで、雨を降らせることも出来る?」
抱き留めた楓の身体は冷えていたが、声は熱くて真剣だった。
聖は誤魔化さずに答えた。
「うん。出来るよ」
「自分のお顔には?」
「え?」
意味を捉え損ねた聖が訊き返す。
「自分のお顔に、雨を降らせることは出来ないの?」
「…………」
「だってね、ひーくん。ことさん、あのお屋敷から戻ってずっと、変なの。優しいのは変わらないけど、笑ってても泣いてるみたいなの。心が、凍っちゃったみたいなの。あんなことさん、見るの苦しいよ……」
聖の両腕に縋り、楓は自分がぽろぽろと涙をこぼした。
日が落ち、寒気が強まってきたが、私は紅の道行を羽織り、庭に降りた。
痩せた桜の幹を撫でると、応じるように釣忍が風に鳴いた。
寒気が強いぶん空気が澄んで、月明かりも澄明である。
私の頬を辛うじて掠る。
この桜は、母が健在の頃、毎朝、コトノハを掛けてやっていた。
母がいなくなってから私が代わりに掛けるようになったが、幹は往時より少し痩せた。
深海に。
母が沈んだからには、痩せたままなのだろうか。
私では、爛漫の春を呼んでやれないのだろうか。
まだ皆が生きていた時のような。
「風邪をひきますよ、聖さん」
私は後ろに立つ聖に声を掛けた。息が白く流れる。また釣忍が鳴る。
「御当主……」
「ほら、降ってきました」
空から白い雪がちらほらと。
「以前、刑事さんから聴いたことがあります」
「……何をですか?」
私は雪片を眺めながら答える。
景色に似合わず、およそ美しくない内容を。
「数ある遺体の中でも、溺死体は最も惨い有り様だそうです。皮膚は膨張し、魚に突かれ、女性ともなると長い髪が水中に――――――――」
「おやめください」
「……すみません」
「自傷行為のようなコトノハを仰せになってはいけません」
私は聖を振り向いた。
シャツに藍色のセーターを着て、今までより大人びた彼を。
月、雪、兎。
昔、聖の目は泣き過ぎて赤くなったのだと教え込まれ、長い間信じていた。
頑是ない頃。
戻れないあの頃。
「雪はいずれ融けます」
振り絞るように、聖が言う。
「春が来ます。雪も氷も融けます。否応なく季節は巡る――――否応なく巡るものが命だと、僕は隼太に言いました。貴方とて、例外ではありません。生きておられるのですから」
「手厳しいですね。聖さん」
「融けるまで、僕は貴方の御名を呼びません」
「願掛けですか?」
「はい。お笑いください。それで笑ってくださるものなら」
「聖さん」
「お笑いください。僕は時が進んだこの姿になって、御当主と今までより胸を張り、並び歩けると喜びました。愚かな男です。最適解を手放す積りもありません」
やめて。
追い詰めないで。
私を愚かな女にしないでくれ。
『想夫恋』はもう蓮の花になった――――――――――――。
融けたら痛みが溢れるのだ。
春は来なくても良い。
私は春を望まない。
傷口まで蠢くから。
掴まれそうになった道行の袖を振り解き、私は屋内に逃げた。
兎から、脱兎のように。
雪が降り続ける。




