コトノハを返した日
雨が降っていた。旅に出る前の話だ。しとしとと、静かな雨だった。隼太がうちに来た。私は、あえてかささぎを同席させた。ここで確実に、憎しみの根を断ち切っておかなくてはならない。私は、二人にコトノハを返す積もりでいた。かささぎは、降る雨に似て、静かな表情だった。隼太もまた然り。客間に並んで座す二人の間には、確執などないかのようだ。私は上等の茶葉で緑茶を淹れて二人に出した。先に俯いたのはかささぎだ。喪失の痛手は、こんな日には疼く。
「布帛は良い奴だった」
隼太は何も答えない。眉一つ動かさない。黙って庭の咲き初めた紫陽花を眺める。
「戦闘の最中の話だ。布帛を殺さなければ、音ノ瀬隼太、あんたが殺されていたかもしれない」
「よく解っているじゃないか」
ぎり、とかささぎが奥歯を噛み締めたのが解った。思い切ったように顔を上げる。
「コトノハが戻ったら、布帛に詫びてくれないか」
すげなく断るだろうと思った。しかし隼太は、茶を飲んで、一考する様子を見せた後に頷いた。
「死者に詫びる趣味はないが、それでお前の気が済むのなら」
私はほっとした。隼太のコトノハに嘘は感じ取れなかったからだ。しっとりした空気の、まろやかな中、私たちは円環を成しているようだった。
「隼太さん。白いコートをかささぎさんに返してください」
「…………」
譲れぬ一線である。隼太は座卓にバサリと白いコートを置いた。それで良い。それであれば返せもする。私は、かささぎと隼太にコトノハを返した。聖が隣室に控えている。いつ、不測の事態が起きても良いように。そして不測の事態は起きなかった。隼太は殊勝に詫びの言葉を述べた。真偽の程が若干危ぶまれたが、かささぎはそれで納得したように頷く。目に、うっすら涙の膜を張りながら。
「伊勢と出雲に行くのか」
話の内容ががらりと様変わりして、私はついて行きかねるところだった。隼太の耳にも入っているのか。
「はい。両方、私自身が赴くかは、まだ定かではありませんが」
「気を付けて行け」
素っ気ない忠言を、私は聴き間違えかと思う。今日の隼太は大人し過ぎる。まるで人が変わったようだ。
「最高位の術師たちの巣窟だ。鬼兎だけでも必ず同伴しろよ」
「はい。その積もりです」
「解っているなら良い」
隼太が顎をそびやかす。尊大な態度はいつも通りで、何だか安心する。
「大海が気にしている」
「え?」
「母さんは伊勢の術師一族の遠縁だ。本人は能力とは無縁だったが。だから、大海が気にするだけの筋合いはあると言う話だ」
初耳の話だ。私は曖昧に頷く。と、言うことはつまり、隼太はコトノハ処方と日本古来の呪術師との混血か。恵まれた血筋だが、本人がどう感じているかは解らない。紫陽花色のコートを着て、紫陽花を眺める隼太は妙に様になり、それから彼を送り出すまで、隼太は不遜でこそあれ、一貫して殊勝な言動を取り続けた。だから、かささぎはもう、何も言わなかった。その日は一日中、小雨が降り続けた。




