迷い込んだ君はハゼラン
それからしばらくはコトノハ薬局も休業した。私は床に就いたり起きたりを繰り返す日々を送っている。無理が祟ったのかもしれない。浴衣に羽織を着て、黄昏の縁側に座っていると、寂寞のような、慕情のような念に駆られる。月桃香の匂いが揺らめいて私に纏わりつく。ねぐらに急ぐ烏の姿。溶ける黄金。柱時計が六時を知らせてから間がある。日が長くなった。台所では、もう撫子たちが夕食の準備をしている。私はもーちゃんを膝に置いて所在ない。こんな時は楓かかささぎ、聖が隣にいてくれる。そんなことを考えていると、楓がやって来た。
「ことさん、大丈夫? きつくない?」
「大丈夫ですよ。有り難うございます」
私は楓の頬を手の甲で撫でる。楓がくすぐったそうに笑う。こんな顔を見ると俄然、嫁にやりたくなくなってしまうから現金なものだ。まあ、楓は婿を取ることになると思うが。風がざわめいた。は、と顔を上げると、庭に架橋さだめが立っている。劉鳴殿といい、生垣を飛び越えて来ているのだろうか。神出鬼没だ。そもそも、麒麟が張った結界はどうなっている。さだめは私と楓を見て、物言いたげな表情だ。
「具合は良いのか」
「だいぶ落ち着いています」
「音ノ瀬こと。俺はお前を殺そうと思っていた」
「なぜ?」
「なぜ? なぜ……。なぜだろうな。表の宗主だからか、本家の当主だからか……。俺の歩んで来た道は日影で、それをお前のせいにしたかったのかもしれない」
口振りから、その考えが間違いであることを、さだめはもう自覚しているようだ。
すい、と私は動いた。
さだめを抱き寄せていた。さだめの身体の微動から驚きが伝わる。
「よしよし。きつかったですね」
よしよし、と私は繰り返してさだめの頭を撫でる。敵と言うより、自分より若い青年を抱擁する心持ちで。
さだめに突き飛ばされた。
「ことさん!」
「俺に慈悲を垂れるな。本当は残酷な癖に」
「そうですよ。残酷だから、貴方に勝手に同情しているのです。残酷だから、貴方を優しさで包みたいと思うのです」
さだめの表情に亀裂が走る。
「まだ私を殺したいですか」
「――――解らない」
「それもまた答えです」
さだめは風のようにその場から去った。聖が駆けつけた時には、もう影も形もない。私たちの身を案じる聖に、私は微笑を向けた。
「迷子が入り込んで来たようなものですよ。さだめさんも、色々と迷っているようです」
「余り不用意に心を開かれませんよう」
「…………」
私は足元のハゼランを見た。生命力の強い雑草だが、その花の可愛らしさゆえに、ついむしる手を止めてしまう植物だ。
そのように、稚いものには人は誰しも情けをかけるものなのではないだろうか。結界がさだめを阻まなかった理由が解った気がした。




