ゴンドラの唄
私は庭の手入れをしていた。聖も一緒に、雑草と思しき草を抜く。
陽射しが暑い。家の中にいるほうが寒いのはなぜだろう。晴天の今日は朝こそ冷えたものの、日中の気温はぐんと上がるそうだ。庭の隅ではもーちゃんがぽよんぽよんと跳ねている。ひと段落してから撫子の用意してくれた冷えた緑茶を飲んで咽喉を潤す。本当は庭の手入れも撫子たちが買って出てくれていたのだが、身体が鈍るからと言って遠慮した。少し身体を動かすくらいが、今は丁度良い。それから私は聖と連れ立っていつもの喫茶店に向かった。スワトウ刺繍の施された日傘が、日光を程好く遮断してくれる。私は日焼け止めの匂いが苦手で、余りつけない。自然と、日傘に頼ることが多くなる。今日は着物ではなく、パフスリーブの白いブラウスに濃紺のスラックスを合わせている。
喫茶店の硝子戸を開けると、ベルが涼し気に鳴った。マスターがいつも通り、いらっしゃいませと出迎えてくれる。いつも通り。そのいつも通りが心地好い。二人してコーヒーの薫を注文する。しばらく無沙汰だったが、店内に変わりはない。ハナミズキの花が鼠色の鉢に張られた水に浮かんでいた。マスターは何も訊かない。詮索がご法度の世界において、こうした気遣いは実に有難い。
カラン、と硝子戸のベルがまた鳴る。何気なくそちらを見た私は、目を瞠った。白夕が佇んでいたのだ。聖が椅子から腰を浮かせるが、白夕から殺気は感じられない。私たちの座るテーブル席近くのカウンターに座り、爽を注文した。
「単純にコーヒーを飲みに来ただけですよ」
そう言い添えて、その言葉通り、運ばれて来た爽を優雅に啜る。
「いのち短し恋せよ乙女」
白夕の呟きはとても静かなのに、私たちの耳は過たずそれを拾う。
「私はこの歌を思うと、貴方を連想します。音ノ瀬ことさん」
「乙女という年ではありませんよ」
「しかしいつ果てるとも知れぬ命を燃やしている。……朱き唇褪せぬ間に」
私は睫毛を伏せた。小さな風が通り過ぎてそれから目を守ろうとするかのように。
「人は。人の命の果ては誰にも解らないでしょう。私の命も、明日尽きるかもしれない。数十年先かもしれない。そしてそれは貴方にも言えることです、白夕さん」
「確かにね」
白夕は無駄な反駁をせず、あっさり認めた。聖の赤い双眸はずっと彼に据えられて動かない。
「この歌、二番があるのをご存じですか」
「いいえ」
「いのち短し恋せよ乙女
黒髪の色褪せぬ間に
心のほのお消えぬ間に
今日はふたたび来ぬものを」
神秘的な風貌の白夕が語ると、雰囲気が出る。白夕が初めてこちらを向いた。長い髪がさらりと揺れる。
「いつまで抗うのですか」
「全うするまで」
「貴方の心の炎は消えないのですか」
「私が死ぬまで消えないでしょう」
私が答えると、今度は白夕が、長い睫毛を伏せてくすりと笑った。
だって人間はそういうものでしょう。
少なくとも私はそう思いながら生きている。褪せないものも消えないものも、人の心にはきっとある。白夕は爽を飲み終えると勘定を終え、喫茶店から去った。ちょっとした嵐が去ったようだった。聖は白夕の去った硝子戸をずっと凝視していた。




