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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
乱刃血縁編 第六章
711/817

パンドラの箱に残っていた

 私はコトノハ薬局の営業を再開した。まだ早いのではないかと言う声もあったが、諸事情により随分と長く休んでいる上に、幸か不幸かコトノハ薬局を求める依頼客は多い。人の世の世知辛さが成せる業であろう。私が静かにそう主張すると、反対の声は止んだ。私は有り難うと言った。私を心配しての反対であると解っていたからだ。

 客間に華を添える鍋島緞通に、やや気後れしたように正座した老人。中肉中背で、しかし黒縁眼鏡の奥の瞳には意志の強さと知性が感じられる。服装も品の良い麻のスーツで洒落ている。

飯島(いいじま)(とよ)()さんですね」

「はい」

 インクブルーの茶器を出して、私は語り掛けた。釣忍が今日も風を歌っている。今日は快晴だが風が強く、釣忍は大声で歌い通しだ。藍の滲んだ空は沈黙しているけれど。

「こちらでは。こちらでは摩訶不思議なコトノハとやらで問題を解決してくださると伺いまして」

「お話しによります」

「私は。大学で理工学部の教授をしています。そんな私からすれば、失礼ながらお宅の生業など眉唾物でして」

「けれど参られた。その理由は」

「息子が若年性認知症です。息子は今、大学生で私の勤め先の大学に通っていて、夢は私と同じ分野の研究者です。ですが、最近、簡単なことの物忘れがひどくなり。まさかと思い病院に行ったところ……」

「そのように診断されたと」

 豊美は二回、強く深く頷いた。それで、藁にも縋る思いでうちに来たのか。

「息子は、親の贔屓目なく、優秀な学生だったんです。それが、どんどん、どんどん、物忘れが多くなって。最初は些細なことでした。鍵のかけ忘れとか、風呂を沸かすのを忘れるとか。でも、その内、段々、そうしたことがエスカレートして」

 豊美の声は掠れていた。掠れていながら荒れていた。彼の内心は荒海なのだろう。白髪に震える手を遣る。

「どうしてこんなことに……」

「息子さんもこの後、お出でになるのですよね」

「……治せるものであれば、治していただこうと。出来ますでしょうか」

 一人の父親の、赤裸々な心情の吐露。自分から見れば若年の私に頭を下げてでも、叶えたい願いがあるのだ。恐らくはコトノハの力も半信半疑であろうに。私は慎重にコトノハを選んだ。

「結論から言えば、可能です」

 豊美が、ば、と顔を上げる。見開いた両目は血走っていた。

「しかし、私は息子さんのお手伝いをするだけ。後は、ご本人の気力次第です。それでも構わなければ、コトノハを処方いたしましょう」

「結構です。よろしくお願いします!」

「……お願いしていたものを、見せていただけますか?」

 豊美は頷き、漆黒の座卓の上に分厚いアルバムを数冊、置いた。

「息子の、生まれた時から今までの写真です」

「拝見します」

 それから数十分、豊美の息子が来るまで、私たちはアルバム鑑賞しながらお喋りに興じた。息子だけではない。豊美の心を癒す為にも、それは必要な時間だったのだ。やがて訪れた豊美の息子に、私はコトノハを処方した。そこで、依頼は終了した。息子の認知症が完治するかどうかは解らない。けれど私は、息子自身の潜在能力を呼び起こすコトノハを使った。豊美は涙ぐむ目で、何度も礼を言いながら息子と辞去した。

 インクブルーの茶器と、練り切りが置かれていた小皿を聖が片付けながら首尾を問う。

「如何でしたか」

「どうとも言えませんね。一族の禁忌に触れる手前までの処方でしたから。……熱意や才能が、必ずしも報われるとは限りません。後、私に出来ることは祈ることだけです」

 私が見たところでは、豊美だけでなく、彼の息子もまた自らの父を案じていた。自分が認知症になったことで、負担を掛けている、心配させている、と。それらの強い想いは、きっと私のコトノハの処方の効果を助長させるだろう。

 風にはたはたと靡く洗濯物を見た私の口角は吊られていた。


「きっと大丈夫でしょう」


 それから私は聖と、インクブルーの茶器と小皿を丁寧に洗った。




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