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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第四章
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飛鳥の夢に花始末

 フォーゲルフライ。


 鳥のように自由な、という意味はしかし、それのみに留まらない。

 人間社会の拘束から放たれる代わりに、法律による保護も奪われた状態で、労働市場に投げ出される。

 空想的なロマンスからは遠い、苛酷な状況の示唆だ。

 所謂、プロレタリアの境遇。

 賃金労働者階級。労働者、貧者をも意味する。


「お前が保護した水木楓も、ほっときゃ物珍しいガキとして売っ払われてただろうさ。立派なプロレタリア。いや、それ以下だろうな」


「フォーゲルフライは、横暴に土地を収奪された農民の、末路です」


「だから、そういうあぶれた奴らをアジールに避難させるんだ」


 アジールとは聖域、自由領域、避難所を意味する。

 自由でありながら公の保護を受けないあたり、フォーゲルフライにも通じる。

 統治の制約を受けないということは、その仕組みによる恩寵も得られないということだ。


「そんな場所がどこに――――」


 隼太が手を伸ばすと、烏は飛び立ち、部屋の天井――――シャンデリア付近を旋回した。時々、雫型にぶら下がる硝子だかクリスタルだかを(くちばし)で突いている。

 光り物に目が無いのは本当らしい。

 嘴が雫型を突く度に、きらりきらりと弾かれた陽光が応接間を乱舞した。

 隼太は、やや煩わしそうな目線であるものの、ボトルからグラスにブランデーを注ぐ手は止めず、私のグラスにも断りなく継ぎ足した。


 黒い羽が一枚、落ちる――――――――。

 ふわ、ふわ、と緩慢に落ちる間、隼太が答えた。


「場所ならあるだろう。隠れ山と、ふるさとが」


 くい、とブランデーを飲んでから、寛いだ風情で隼太が言う。

 言うと同時に、グラスの縁を私に軽く突きつけるようにして。

「…………」

 私もグラスを傾けた。こんな上等な洋酒は、そうそう飲めないだろう。


「あれらは音ノ瀬の管轄区域です。貴方の遊び場所ではありません」


「視野を広げろ。音ノ瀬当主。日本各地に点在する隠れ山が、既にアジール的要素を帯びた場所であることは承知しているだろう。そこに、だ」


 隼太が不敵に笑った。

 そうした笑い方がよく似合う顔立ちなのだ。

 黒い前髪の間から垣間見える鋭い双眸の睫毛が、艶やか、且つ挑発的だ。


「コトノハを使えるプロレタリアをぶち込む。だが彼らは、我々は、労働市場に投げ出される小雀ではない。鷹や鷲、烏の如き猛禽だ。それこそが俺の言う、フォーゲルフライだ」


 私は腕を組んだ。言葉は果敢だが。


「……生活手段は。収入はどうします。引き籠るばかりでは埒があきませんよ」


「それこそコトノハの出番だ。情報化社会の昨今、どこの山奥にいようと稼ぎようはある」


「ならば戦禍は必要ないでしょう。貴方の案を採用するなら、人を集め、保護し、暮らしていければそれで事足りる」


「戦禍は一部に利益をもたらす。その利益をアジールの資源に使えば良い。俺たちは対岸の火事を高みから見物する。血を流し合いながら滅びる無様を。滑稽を」


「選民思想ですか。好きませんね。姑息ですし悪趣味です」


「百のコトノハより一の爆弾が勝る。姑息だろうが、上を行くことが肝心だ」


 硝子戸の近くに茶の揺り椅子がある。

 年代物のようで、厳めしくも品格ある佇まいだ。

 開け放たれた硝子戸から吹き込む風にも小動(こゆるぎ)もしない。頑迷な老人のよう。


 隼太の望みは全く理解出来ない訳ではない。

 手段や思想には賛同しにくいものの、つまり彼の言うのは、弱者たる同類の受け容れだ。

 場所を与え、自活する術を施す。

 独立したコトノハの国。


 弱者の安寧――――――――。


 その時、色づいた楓の葉が風に乗り、私の眼前に流れてきた。

 繊細な葉脈が透けて見える赤い、いたいけな葉。

 私の意識で、それがクローズアップされた。


「――――やはり賛同出来かねます。戦禍は、新しい弱者を生む。音ノ瀬家当主として、貴方の提案に乗ることは出来ません」

「重鎮共が煩いか」

「いえ。私の一存においても、です」


 部屋に満ちていた芳醇なアルコール臭が、薄れた。

 私と隼太の間に流れる空気の、冷たい緊張がもたらした効果だ。


「ではやはり、俺たちでまず戦禍を繰り広げるか。余り家を傷めると、大海が口喧しいんだがな」


 私はうっすら微笑んだ。

 両者、既に起立している。

 先に仕掛けたのは隼太だった。


「春ふかみ 枝もゆるがで 散る花は 風のとがには あらぬなるべし」


 この和歌を瞬きの間に言ってしまうのが音ノ瀬のコトノハ使いだ。

 隼太のコトノハと同時に、外から薔薇やら椿やらの花弁が一面を覆うように押し寄せた。

 目隠し状態のまま、迫る隼太の気配を避け、私もコトノハを処方する。


「いかでかは 散らであれとも 思ふべき しばしと慕ふ (なげ)き知れ花」


 花の煙幕とも言うべきものが消え失せる。

 体術の心得がほとんどない私に、長期戦は不利だ。

 あちらもそれを知っていて、とにかく接近戦に持ち込もうとする。


(しょう)

(さん)

(とう)

(ぼう)


 私は応接間を駆け回りながら隼太のコトノハに応じる。

 先程まで座っていたソファの後ろを回り、扉近くに至る。

 もう、すぐ前に隼太が立っている。

 追い詰めた顔に愉悦の色は無く静かだ。

「与しろ、音ノ瀬こと。アジールの女王、いや、神になれ」

「お断りします」

「…………お前が、人間を諦めないことが不可解だ。対等であろうとする。一部では迫害さえ受けながら。屈辱ではないのか」


 私は隼太の瞳を真っ向から見据えて、くすりと笑う。


「計り知れませんよ、人は。諦めるのは、ちょっと勿体無いんです」

「…………」


 隼太の手が私の首に伸びる。大きな手だ。

 ――――小さな手だ。そうとも見えるのが不思議だった。またもや、磨理の心の残滓だろうか。

 私は切り札を使うことに決めた。

 独自に極めた奥義とも言える術で、人に使うのはこれが初めてだ。今日は使うことになるかもしれないと考えていた。

 このコトノハがちゃんと効能を発揮しますように。

 隼太の手が首を引っ掴む。

 喉が圧迫されてしまう前に、私は焦りそうな神経を鎮めて、そのコトノハを処方した。


 白い花びらがよぎるのが、視界の端に見える。






「さらそうじゅの はなのいろ」








挿絵(By みてみん)







「春ふかみ 枝もゆるがで 散る花は 風のとがには あらぬなるべし」

春が深まったので風もなく、枝も揺れないで散る花は、風の罪ではないだろう。

「いかでかは 散らであれとも 思ふべき しばしと慕ふ (なげ)き知れ花」

どうしていつまで散らずにあれと思うだろうか。しばしでも散るのを留めたいと慕う嘆きを知ってほしい、花よ。


二首とも西行法師『山家集』より。一首めは九藤の覚束ない現代語訳。

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