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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第四章
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オペレッタ劇場

「こと様!!」

「ことさんっ」


 急にバランスを崩したことの身体に、聖と秀一郎が手を伸ばした。

 しかし彼女は迎え出た男の腕に納まる。

 宝物を扱うようなその仕草に、聖の白髪がざわめいた。リュックから出た物差しを掴み構える。だが男のコトノハのほうが早い。



外道(げどう)祭文(さいもん)キチガイ地獄」



 聖の姿が、消えた。



「……あとはお前か」

 それまで奥から傍観していたらしい隼太が、秀一郎を醒めた目で見た。

 紫陽花色のコートは、椿を散らした夜と同じで変わらない。







 音楽が聴こえるわ。

 

 ピアノの音。

 あの子の好きなモーツァルトの子守歌。


 ああ、私ったら眠っていたのね。

 レコードだったの。


「紅茶を淹れたよ、磨理の好きなマリア―ジュ フレールの」

「ありがとう、大海(ひろみ)


 応接間の暖炉の火が、ピアノの演奏に拍手しているみたい。

 暖かいわ。

 私はちらりと空席の揺り椅子を見る。お義父(とう)(さま)はあの椅子がとてもお好きだったの。

 私が大海を「貴方」と呼ばないことに渋い顔をされてた。

 だって大海がそう望むんですもの。仕方ないわ。あんなところはやっぱり、保守的な方だったわね。

 紅茶が美味しくてほっとする。

 大海が紅茶を上手に淹れられる旦那様で良かった。

 私はソファーの隣に座った大海と小さく笑み交わす。きっと二人は同じことを考えているから。

「君がマリーなら?」

 大海がおどけた目でにこやかに問う。

「貴方はマルクス」

 よく大海とする言葉遊び。コトノハ遊び。

 満足したように彼が微笑む。

「大海。髪が伸びたわね」

 襟足からぴょこりと飛び出した毛先に触れる。

 夫の髪はいつの間に結べるくらい伸びたのだろうか。

「うん。あとで切ってくれる? いつもみたいに」

「良いわよ。……ねえ、こんなポット、うちにあったかしら?」

 

 鮮やかな紫色に、立体的な葉と白い花があしらわれた美しいティーポット。

 蕾までついてる。素敵だわ。


「フランツ・コレクションだよ。良いだろう。磨理はミントンやウェッジウッドが好きだから、フランツも気に入るだろうと思って」

「ええ、可愛い」

「だろ?」


 手柄を褒められたような大海の笑顔が可笑しい。

 子供みたいで。――――子供。


「あの子は。隼太は?」

「外で遊んでるよ」

「そう……」


 子供という単語が浮かんだ時、最初に女の子と考えたのはなぜかしら。

 私には隼太の他に子はいないのに。


 硝子の向こうに風がそよいでいる。

 私に何かを知らせようとしているみたいだけれど、締め切られた応接間には届かない。


 大丈夫よ、私は幸せだから。



 



 屋敷から離れ尚、香り立つ花園に男が二人。


 精神的優位にあるのは明らかに隼太だった。

 今や彼は四人の身柄を押さえている。――――ことと聖はまだ油断出来ないが。

 それに対して秀一郎は。

 音ノ瀬当主であることと、副つ家の守り人である聖を盾に取られた形。

 孤立無援だった。


 青い空と花々に囲まれた空間は絵図の長閑さを裏切り、極限まで張り詰めた戦意に満ちていた。

 秀一郎が強張った口を動かす。


「君を誅殺しておくべきだった。返す返すも自分の甘さが悔やまれる」

「誅殺と来たか……。お偉いことだ」

「二人に何をした」


 隼太が慈愛を装う微笑を皮肉に浮かべる。


「驚天動地だろうな。一族きってのコトノハ使いがああも易々と陥落したのだから。俺も驚いてるくらいだ。悩み、無力を嘆きながら逝くと良いさ」


 一際、濃い色の薔薇の繁みがもぞ、と動いたのに秀一郎は気付いた。


「ばあ!」


 両手を万歳して舌を出し、跳躍したのは、聖の外見と同年齢程に見える少年だった。

 明るいオレンジ色のマリンパーカーに花弁と緑の葉が舞い上がる。

 秀一郎も隼太も、無言で彼を見返した。

「…………」


「俺は戻る」

「ちょっと! 人を使っといてその言い草と態度はどうなの、隼太。驚いた振りくらいしてよ」

「知らん。こいつは、」

 そう言って少年に秀一郎を親指で示す。

「曲りなりにも本家の(いぬ)だ。丁重に〝誅殺〟して差し上げろよ」

「あっは、似合わない言葉使っちゃってさぁあ?」


 少年が腹を抱えてげらげら笑う。

 構わず踵を返した紫陽花色を追おうとした秀一郎は、少年に阻まれた。

 音ノ瀬の人間である容貌の特徴こそ見受けられないものの、あどけなく可愛らしい顔立ちをした少年だ。和製天使のような。しかし双眸に宿る色は子供らしくも天使らしくもない。幾多の修羅場を経た戦士のようで、秀一郎はその落差に違和感を覚えた。聖とは対極にある、俗を貫いた果てに得た、悟りのような矛盾が窺える。


「……君には申し訳ないが、全力で行かせてもらうよ」

 秀一郎は眼鏡を外し、上着のポケットに入れた。

 出欠確認に応じる生徒のように、少年が挙手する。

「はいはい、じゃあ俺も頑張っておじさんを〝誅殺〟しまーす」







挿絵(By みてみん)







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