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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第三章
45/817

バン

 あ、聖がまたやっている。

 台所の冷蔵庫の前。

 扉の向かって右側に手を掛け、すかっと空振りする。

 それを二、三度繰り返して、ようやく左側に手を掛け、扉を開ける。


 昔、聖がうちにいた時期と今とでは、冷蔵庫が違う。

 家族分の食糧を収納する必要も無くなり、電気代ばかり喰う大型を処分し、サイズの小さい冷蔵庫を買ったのだ。

 昔の冷蔵庫は右開きだったが、今の冷蔵庫は左開き。

 しかし習慣とは怖いもので、聖は未だに右側から冷蔵庫の扉を開けようとするのだ。

 俊介も自宅の冷蔵庫が右開きらしく、よくこれをやる。

 おかしいなあ、と言うように傾く聖の白い頭を見て、私は笑いを堪えた。

 


「…………」


 それから、青緑の着流しの、背中のあたりに右手人差し指の照準を定める。

 右目を瞑って。 


 バン。


 撃つ振り。

 無音には無防備になりがちなのが音ノ瀬一族の弱味でもある。

 聖が振り返る頃には素知らぬ顔をしている。

「おはようございます、聖さん」

「おはようございます。御当主」

「朝ご飯の支度ですか?」

「はい。出汁巻卵と、えのきと油揚げの味噌汁を作ろうかと思いまして」

「じゃあ、私は法蓮草のお浸しを作りましょう。それから、昨日の(かれい)の煮付けの残りで良いですね」


 一族の秩序と序列の中で育った聖は、私に先んじて料理や家事をしようとする。

 しかし他家の台所の使い勝手は自宅とは異なるだろうし、聖一人を働かせて私がふんぞり返っていては、楓の情操教育にも良くない。

 分担して家事をすることで互いに妥協したのだが、台所に同時に二人の人間が立つのは船に船頭が二人立つに等しく、最初は動き辛くて敵わなかった。

 今は互いの呼吸をだいぶ読めるようになった。

 にしても、時々ぶつかりそうになって邪魔臭いのだが。


 瑞々しい真緑の法蓮草を何度も水に晒して洗っていると、指先がかじかんで感覚が無くなってくる。身体の芯まで凍りそうだ。

「今日は冷えているようですね」

 ボウルの中で手際良く卵を溶き解し、ちゃちゃちゃ、と掻き混ぜながら、私の様子を見ていた聖が言う。

「ええ。冷たいですよ」

 そう言い終わらない内に、聖に右手を掴まれた。

 水道の水がざあざあと流しっ放しだ。



「僕の何を撃たれたのですか?」

「え」

「指で」


 ――――――――完全に不意を突かれた。

 赤い目が、呪縛するくらいの強さで私を凝視している。


「冷蔵庫の扉に、映っていました」


 冷蔵庫の扉は曇った鏡のようなステンレス。

 ――――水道の水を止めなければ勿体無い。

「……御当主」


 ジリリリリリリン、とがなり立てた電話に、二人共、はっとした。

 私は聖から右手を奪還し、黒い電話に向かう。

 助かったと思ったのは、浅はかだった。

「はい、音ノ瀬です」

『御当主、私です。風を聴かれましたか?』

 秀一郎だ。

 私を御当主と呼ぶということは、一族に関する緊急の用事だろう。

「――――いや。何があった」

『竜巻が、一族の住まう二ヶ所、離れた付近で同時発生しました』

「…………」

『ニュースでもやっていますが、私は今から近場の(おと)()辰巳(たつみ)一家の自宅のほうへ向かいます。もう一方、(おと)()(よし)()夫妻宅はそちらに近いので――――』

 頭の中に地図を浮かべ、秀一郎の伝える一族の住所を思い出す。

「私が出向く。付近住民への被害も極力、抑えよ。コトノハの制限解除を許す。辰巳、淑美らにも確と申し伝えよ」

『は。どうかお気を付けください』


 私は電話を切るとすぐ、庭に裸足で飛び出した。

 見える。

 天に荒ぶる二頭の黒龍のような姿。

 世界の上下を繋ぎ、螺旋状に踊り狂っている。

 その光景に作為的なものを感じるのは秀一郎も同じだろう。

 私を追って来た聖も空を見ていた。

「ここからでは遠いな」

 コトノハを飛ばすには。意味を汲み取った聖が意見を挟む。

「……竜巻の進路は知れません」

「とにかく私は音ノ瀬淑美の家に向かう」

「ではお供します」

「ならぬ」

 足の汚れを払って再び屋内に入り、楓を起こさないようにパーカーを引っ掛けて玄関に出る。

 聖も忙しなくついてきた。それでも楓への気配りから、ちゃんと足音を殺している。

「楓を頼む。命令だ」

 赤い目がいつになく反発の意思を孕む。反発と。悲しみ?

「何を撃たれたのかをお教えください」

 頑是ない子供のような、非常時における聖の執拗さに、私は苛立った。羞恥心もある。

「そんなことを言っている場合ではない」

 ぴしゃりとはねつけると、押し黙った聖の代わりのように、呼び鈴が鳴る。

 反射的に私が戸を引き開けると、俊介が立っていた。

 髪の毛に小さな葉っぱを一枚絡ませて、目を大きくしている。

「おはようございます。……どうしたんですか? お二人して。竜巻が発生してるらしいから、外には出ないが良いですよ」

「丁度良かった、俊介君。楓さんを頼まれてくれ」

「え?」

 反駁しようとして見た聖の顔には、一歩も退かない気構えがあった。

「――――……お願い出来ますか、山田さん。私たちは竜巻に対処しに行かなくてはなりません」

「は、はい……、」

 

 俊介とすれ違う時、パーカーのフードがふわりと浮いた。


 秋の高く透き通る蒼穹が今日は見えない。

 代わりに風に煽られ、成す術無く舞う葉たち。

 赤、茶、黄、濃い緑らが、荒ぶられるままに任せ。


 聖と共に駆けながら。

 もう、今までと同じ家には帰ることが出来ない。

 そんな予感が私の胸から消えなかった。









挿絵(By みてみん)













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― 新着の感想 ―
[一言] 穏やかに思える日常を切るように事件が起こる。 それが人為的であるのをことも聖も知っていて、だからこそ、ことが聖の何を打ったのか彼は聞きたい。 このシーンはとっても好きです。 ことの気持ちを…
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