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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第二章
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セイレーン

 持ち得る者には制約あれかし。


 これがコトノハを処方する音ノ瀬一族の基本理念だ。

 常人に勝る特権を有するのであれば、一定の重みある鎖で縛らなければ、外に対しても内に対してもいつ何時、猛獣となるか解らない。

 優越と、劣等の間で揺れ動くのが人情であるからには。


 商談時にコトノハを処方するなかれ。

 政治・軍事に関わるなかれ。

 司法に従事するなかれ。

 医療・福祉に従事するなかれ。




 時代を追うごとに複雑化する人の世に対応して、縛めの鎖も増えて行った。


 私は、今目の前に座る一族の女性が看護師になりたいと願い出た時、それを許さなかった。

 掟に従うよう当主として厳命し、彼女の職業選択の自由を奪ったのだ。


「御当主を、お恨み申し上げた時期もありました」


 優しい色合いの家具調度の中、甘い香りのする紅茶を出してくれた彼女は、言葉とは裏腹に穏やかな顔で微笑んだ。

「そうでしょうね」

「けれど、止めてくださって良かったと今では思っています」

「…………」

「あのあと、祖父が末期癌と判って。揃ってコトノハで延命させようとした私たち家族を、祖父自身が止めました。痛みを軽減するコトノハの処方しか許してくれず。……身内としては恨めしくも悲しくも思いました。祖母は、泣きながら祖父を罵りました。祖父が身罷って。四十九日も過ぎて。段々、時が経つにつれ、気持ちの昂ぶりが鎮まるにつれ、祖父の心が、理解出来るようになりました……」

 私は紅茶の水面を見る。透き通っている。

「おじい様は、……強い方でした」

「はい。もしもあのまま、私たちがコトノハを濫用していれば、祖父は永らえたかもしれません。健康に……以前のように」


 余命幾許も無い、近しい人間に、自分であれば打てる手立てを打つことが許されない。

 途方も無い苦行だ。


「でもきっと、色んなものが歪になったでしょうね」


 彼女が落とした呟きは、私に枯れ葉を思わせた。

 あるべくしてそうあるしかない、諦観を知る者。


「私が看護師になれば、感傷と感情に引き摺られるまま、患者さんたちにコトノハを濫用したことでしょう。人としての一線を簡単に超えて、出来るからというだけの理由で、……気がつけば人間でなくなっていたと思うんです。奇妙ですよね。人であるからこそ迸った情が、人を人でなくさせる。今であれば、一族の掟の意味が昔より解ります」


 そのように、穏やかな笑みを湛えられるようになるまで。

 この人はどれだけの山を越えたのだろうか。


「御当主もお辛いのだと。失礼ですが、女性の身でありながら、と思ってしまいます。お赦しください」

「――――いいえ」

 彼女はす、と背筋を正した。

「私共夫婦には、いつでも楓さんを受け容れる用意があります。しかし、それで御当主はよろしいのですか?」

「……コトノハを使う痛みを知る、貴方方であれば」


 楓を託すに相応しい。広い硝子窓は曇り無く磨かれて、庭は秩序正しく美しく手入れされている。経済的にも精神的にも、同族内では幼子の親となるのに理想的な夫婦の家だ。

「楓さんはそれを望んでいますか?」

 尋ねられ、首を小さく左右に振って答える。

「話せばきっと拒むでしょう。傷つかせてしまうかもしれません。しかし長い目で見れば、父と母――――貴方のような、人のいる家庭で、世間に溶け込んで暮らすほうがあの子の幸せです。私の居場所は、一族の業に近過ぎる。楓さんにまで背負わせるようなことにはしたくないのです」


「……楓さんの幸せ。それでは、御当主。貴方の幸せは?貴方の幸せはどこに置いてあるのです? 置き去りにして、この先も生きて行かれるお積りですか」


 私は両目を閉じた。


「家督を継いだ時、私は個としての幸せを望む自分を凍らせました。だからこそ、貴方たちに居丈高に振る舞うことも許されるのです」


「上に立つ御方として御立派とは思います。ですが、御当主。一族の末席に在る人間の願いを、どうか心にお留めください。御自身の幸せを諦めないでください」


 父と母を自らの過ちで失くした私。

 子として誤った私は、当主としてこれ以上誤ることが出来ない。


「私は当主です」

「当主ならば人であってはいけませんか、幸福を望んではいけませんか」

 なぜそう、必死に言い募るのだろう。

「人であって、人でない。――――そうでなければ務まらぬ」


 虚空に。

 吹き曝しに。

 独り。


「……何ゆえ泣く」

「不思議ですか……? 一族の者が、御当主の幸を望むのは」


 涙と、濡れたコトノハが、私を頼りない子供のようにさせる。

 幸せになって欲しいのだと私の為に泣く人に。

 返せる言葉が見つけられず、私は家を辞去した。

 甘い香りの紅茶に口をつけないまま。



〝御当主がそのような悲しきコトノハを仰せではいけない〟



 帰りながら私は、秀一郎に以前、言われた台詞を思い出していた。

 彼女と秀一郎の懸命さは似ている。




「ことさん、まだかな?」

 楓が、聖の青緑色の着流しの袖を掴んで、くんくん、と引っ張った。

「もう少ししたらお帰りになるんじゃないかな」

 聖があやすように楓の頭を撫でる。

 午後三時には、在宅だった聖と俊介と楓の三人で、栗の渋皮煮を食べて緑茶を飲んだ。ことが不在なので場は余り弾まなかった。

 俊介も疑問顔で聖を見る。

「大丈夫ですかね。俺も同伴しないで良かったんでしょうか?」

 音ノ瀬隼太と再び遭遇した話を聴いたから心配なのだ。

「御当主の希望だからね。僕も留守番を命じられた」

 ことの訪問先と目的を知る聖は、それだけを答えた。

 いつも通りの表情で。

 だが。


 車のフロントガラスを小雨がびっしり覆って、視界が利かない。

 そんな時の心情を俊介はなぜか思い出した。


「ひーくん、ソリティア、やって?」

 鮮やかに最適解を出して見せた聖に、それ以来、楓は時々ねだるようになっていた。

「良いよ」

 いそいそと楓が卓上に置いた丸い盤に聖が指を伸ばす。


 ビー玉を一粒取って溝に落とし。

 青の上に赤を、黄の上にミントグリーンを。

 通過させながら次々、溝にチェコ硝子を落として行く。


 楓と俊介が見守る中、かたん、ことん、と音が響く。


 かたん、ことん、かたん、ことん。


 球体があっちに動き、こっちに動き。




〝私のウサギさんは誰も傷つけてはいけません〟





 私のウサギさんは。





 指はほとんど惰性で動き、聖の思考はパズルゲームとは遠いところにあった。


 楓が小さな頭を揺らして斜めにする。

「あれえ? たくさん残っちゃったよ? ひーくん」

「ほんとだ。珍しいですね、聖さん」


 彼らの言葉に、盤上のそこかしこに残ったビー玉を聖は見る。


「ああ、残っていたね。……気がつかなかった」







挿絵(By みてみん)






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― 新着の感想 ―
[良い点] 抑制的な(能力と)死生観ですね。 いいと思います。
[一言] コトノハを操る者達の根幹にあるものをここで知ったような気がしました。 力があるからと人を助けたくて使ってしまうコトノハ。 それを濫用すると人ではなくなってしまう。それでも助けたいと思うのか、…
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