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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第二章
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処方なし

 一陣の風が私にそれを知らせた。

 釣忍の風鈴の音が警鐘のように鳴り。

 澄んだ音色の麗らかとは逆に私は身を固くした。


 音ノ瀬隼太か?


 質す声が確かに聴こえた。

(聖――――)



「御当主。来られてはなりません」


 聖は隼太から視線を逸らさず、風に声を乗せた。

 隼太が尖った目を眇める。

「音ノ瀬こと。来るか。久方振りの逢引きを邪魔してくれるなよ。兎」

「君に御名を口にする資格は無い」

「は。お前同様に、か?」

 揶揄と白々しさが混濁した表情で、隼太は聖に礫のようなコトノハを投げた。攻撃は調合されていない。ただ聴く側に負い目があれば効能のあるコトノハ。

 聖は顔色一つ変えず、悪意ある揶揄に答えもしなかった。

 嘲りに隼太が嗤う。


「はしたなきもの こと人を呼ぶに、我ぞとてさし出でたる」


「おこがましい話だね。御当主が本命だったのか?その割りには僕と、そこの彼の一部始終を念入りに観察していたみたいだけど」


 『枕草子』を引用して、お前はお呼びではないのだ、と嘲弄する隼太に、聖は冷静に返す。

「ああ否定しないさ、鬼兎。音ノ瀬の、音に聴こえる副つ家の能力は、その規定が曖昧過ぎる。コトノハの強弱を操る、とは、何とも靄の掛かった言い様じゃないか? その能力の及ぶ範囲、程度、時間制限、発動条件。それらを詳らかにしたかったという意図は、無論ある」


 副つ家の力の詳細は音ノ瀬同族の中でも極秘裏の事項。

 当主と嫡流の一部のみが知り得ることを、戦前に一族から離れ出た男の孫が知る筈もない。


「今の一幕だけで解ったかい?」


 それは無いと思いながら聖は敢えて訊いてみる。

 果たして隼太はあっさりかぶりを振った。


「掴めたのは発動条件の一抹くらいだ。お前は意識の外にあった俺のコトノハには無防備に傷を受けた。即ち、コトノハの強弱を操作するには、能力者であるお前自身の積極的な意思が必須。裏を返せば不意打ちには弱いということだ」


 隼太の語り口は理路整然としていた。

 聖は、半ば感心してそれを聴いた。

 感心して、そして―――――――哀れんだ。


 鋭利な頭脳と繊細な感性。力。

 狂気を生む格好の温床だ。

 音ノ瀬隼人も恐らく、このような人物だったのだろう。

 優秀で情熱的で、狂い狂わせた哀れな男。


 だが、と聖は思う。


(御当主は道を誤らない。今までもこれからも)


 鋭利な頭脳、繊細な感性。

 更には桁外れの力を持ちながら、ことが狂い鳴く日は来ない。

 あちら側に行ってしまうには情が深く、理を弁え過ぎているからだ。


「先代当主たちを、どうした」


 聖は隼太の洞察には触れず核心を突いた。時間稼ぎに付き合ったのはこれを問う為だ。

 隼太が聖に劣らぬ無表情になり、その顔の上を雲の影が覆い、過ぎて行った。


「波の下にも都の候ぞ。と、言えばどうする?」


 平家滅亡。壇ノ浦で平清盛の妻・二位の尼が、幼い安徳帝を海中自殺へいざなった時に言ったとされる台詞を、隼太は引用した。



 言い終えるや否や、地を蹴った聖の初手の拳をすんででかわした。黒髪が数本、宙に散る。


 次の下段からの蹴りも両腕で防御し、後方に跳びそれまでより長い間合いを取る。この二手で隼太が聖に抱く警戒心が格段に増した。

 聖は凪いだ面でそんな隼太を眺めている。

「僕は荒事が好きじゃないんだ」

 言葉とは裏腹に、明らかに格闘に心得のある半身の構え。

 隼太が哄笑した。空に向かい。

「本家もとんだ化け物を飼っている。成る程、〝鬼兎〟だ。草食には遠いな」



「聖さんは鬼ではありません」





 息を整えながら私は言った。楓を俊介に託して、全速力で駆けて来たのだ。

 隼太が目を丸く見開いている。聖は俊敏に私の前に回った。

「御当主。申し上げましたものを、」

 私を庇う体勢のままで苦言を呈する。

 隼太は私を凝視していた。なぜか心許無い、不安定な目で。私は当主として言うべきことを言った。


「音ノ瀬隼太。同族の質を返せ」

「…………断る」

「従え。斟酌も考慮するゆえ」

 聖は無言で口を挟まないが、複雑な心境で聴いているのは背中からでも窺える。

 隼太が顔を歪めた。裏切られた子供のように。

「慈悲深い御当主様だ――――」

 紫陽花色のコートから刃物の輝きがこぼれるのを見ると同時、私はコトノハを紡いだ。

 一息に。


「うたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる(ためし)なし」


 隼太と、怯え切った観衆と化していた男を、見えなくなる地点まで飛ばした。

 二人の姿は私と聖の前から消えた。



 孟宗竹の葉擦れが、私にふるさとを思わせる。

 振り向いた聖の右頬から血が滴っている。瞳の赤よりも濃い。

 手を伸ばすとびくりと聖が身体を揺らした。

「……すみません。ハンカチを持っていないので」

 そう言ってから手を退くと、傷は消えたが血の跡は残った。

 私が掌でそれを拭うと、今度こそ聖が後ろにたたらを踏んだ。

 知っている。

 私を血に染めたくもなければ、血の臭いさえ遠ざけておきたいと聖が願っていることを。


「私のウサギさんは誰も傷つけてはいけません。貴方自身もです」


「僕には僕の役目があります。副つ家としての、職責が」


 頑なに忠節を貫こうとする。

 遠い古の武将ならばいざ知らず、鬼と呼ばれて誰が嬉しい。

 彼に心があることを、多くの人間が忘れている。


 私は聖の着ていた白いシャツを両手で掴んで下を向いた。無機質なアスファルトが見える。ここはふるさとではないと知らせる。

 けれど竹の唄うのは聴こえて。


 何のコトノハも出ない。

 昔のように腕の中で泣くことも出来ない。

 そこにいるのに。何が歴代最高峰か――――。


 聖も呼吸音しか発さない。腕が一瞬上がりかけて、下りた。

 私はますますシャツを強く掴んだ。

 音ノ瀬家当主と副つ家の守り人が、成す術無く、途方に暮れて立ち尽くしている。



 二人ぼっちにもなれない。






挿絵(By みてみん)













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