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コトノハ薬局  作者: 九藤 朋
花屋敷編 第二章
34/817

硝子愛し子

 明くる午前中、私は和装小物を寝室の畳に広げた。

 飲んだくれたちの為に生姜粥と豆腐の味噌汁を台所に置き、楓と私はもう朝食を済ませていた。

 母の物と合わせ、色とりどりの帯締めや帯留めを整理している私の手元をじっと見ていた楓が、ぽつりと呟く。

「……あたしもお着物、着たいな……」

 私と目が合うと慌てたように言い添える。

「綺麗だから。でも、別に良いの!」

「…………」

 楓は余り我欲を言わない。おねだりや我が儘を。

 食べたい物や飲みたい物を訊き出すのさえ、最初は苦労した。思えば一緒に眠りたいとせがんだのが、唯一、彼女が強く望んだことだった。

 声高な我が儘を躊躇うのは、聴き届けられた例が乏しいからだろう。

 または邪険にはねつけられ、罵られたりしたのかもしれない。


 殴られた頬を腫れ上がらせても誰にも助けられなかった少女。


 私は硝子の帯留めより尚、繊細な細工物のような楓の肩を抱いた。


 ――――もっと早く出逢うべきだった。


 近衛夫人から送られて来た衣類の中に、七五三の晴れ着は当然のように無かった。その当然さの残酷よ。金銭的な困窮とは別の、無頓着の風雨に楓は晒されて生きて来た。


「呉服屋さんに行きましょうか、楓さん」


 楓。私に出来ることならば、貴方にもたらされなかった恵みを全て取り戻してあげたい。



 秀一郎と俊介は多少冴えない顔色だったが、聖は平生の顔つきだった。

 それでも酒臭い、と言って口臭スプレーを渡すと、肩を竦めて大人しく口に噴きかけていた。私が口臭スプレーを持ち歩くのは乙女の、と言うより、酒飲みの嗜みである。

 そして唯一使えそうな聖をお供に、楓と馴染みの呉服屋に出掛けた。


 右手に日傘を差して、楓と繋いだ手をぶらぶら揺らし。


「菊花、牡丹。梅、桃、桜。何でも楓さんには合うでしょうね。私のお下がりも良いですけど、お店で一式、揃えてもらいましょう。草履から、祝い帯から」


 七五三を祝われなかった楓に、晴れの装いをさせてやりたくて言い立てる。


「ことさんみたいになれる?」

「私よりうんと可愛いですよ。決まっています」

「ことさんみたいなのが良いなあ」

 私は笑う。

「簪も探しましょうね。きっと、珊瑚なんかが似合います」


 盛り上がる私と楓の数歩後ろを、穏やかな笑みを浮かべた聖が歩いている。

 聖の異相は人に見られても目立たない。

 そういう仕掛けがあるのだ。


 言わば音ノ瀬家御用達の呉服屋の門構えは、さんざめく日光に照らされても森閑としていた。経て来た年月の重みを外観から自然に醸し出している。

 暖簾を上げ、敷居を跨ぐと芳しい香の匂い。

 私の姿を見た店主が、途中から畳になった店内で腰を上げた。

「これは、御当主」

「こんにちは、お邪魔致します」

「お呼びいただければお宅まで参上しましたものを」

「いえ、今日はこの子に」

 そう言って楓と繋いだ左手を軽く掲げる。

「色々、見せてやりたいと思いまして」

「――――そうでしたか。お嬢さん、お名前は?」

 厳つい商人の顔が緩められる。楓が緊張気味に名乗った。

「……楓」

「楓さんか。良いお名前だ。ごゆっくりしていらっしゃい。おお、副つ家の御仁もお出でですか」

 声を掛けられて聖がゆるりと右手を振る。

「僕は彼女たちのおまけだから、気にしないで」


 畳の上に招かれた私たち三人の前に、上等の玉露が硝子の茶器に湛えられて置かれる。

 硝子の茶器。

 副つ家、とも口にした。

 店主も聖のことを憶えているのだ。流石は商売人。

 気を利かせた店主が、肌襦袢や帯揚げよりも女の子の気を惹きそうな、帯留めや簪、和装用の小さなバッグなどを楓の前に並べてくれた。

 楓の目が輝いている。

 いや、アンティーク調のビーズバッグからクロコバッグ、山葡萄の蔓と柿渋染めの布を組み合わせた籠バッグまで、大人でも手に取りたくなるような品が並び、私の目まで輝く。

 芥子の花を象った艶やかで可憐な簪を楓の髪に挿すと余りに可愛くて、あれもこれもと試しては買いたくなってしまう。

 聖の小さな咳払い。

 そう言えばいたんだっけ。

 そんなことより。

「じゃあこれとこれとこれとあれとそれをください。それから、この子の丈に合いそうな晴れ着を作ってください」

「京友禅でよろしいでしょうか?」

「はい」

「畏まりました。では楓さん、背丈や胸周りを測らせてくださいね」

 店主が女性店員を手招きする。



 帰り道、聖の背におぶられ、髪に芥子の簪を挿した楓は上機嫌だった。

 聖の白髪に両手を添えて笑っている。

 父親に負われたことがあるかも解らない楓の為に、私が聖に頼んだのだ。

 簪を挿したせいで帽子を外した楓に、私が日傘を差し掛ける。

 聖は私をお姫様と呼んだが、私には楓こそがお姫様だった。


 大切な大切な。


 楓の物となった微細な造りの美しいビーズバッグには、楓から初めてねだられた物が入っている。

 呉服屋のショーケースに小物と一緒に飾られていた備品のビー玉だ。

 店主に値段を尋ねると楓にプレゼントすると言ってくれたので、その申し出に甘えた。

 それらのビー玉一つ一つを、楓は身近な人間になぞらえた。


〝これがことさん。これがあたし。それで、これがひーくん、しゅういちくんと、しゅんくん。かさねさんは、また今度見つける!〟


 円やかに涼しげに沈黙する硝子たち。

 幼子の無邪気を笑っているのか。

 楓の小さな世界が、どうかこのように優しく彩られますよう。


 こんな風に歩いていると三人家族みたいだ。

 聖は無言を通しているが、和んだ横顔から同じことを考えているのが判った。


 どこからか甘い金木犀の香りがする。




挿絵(By みてみん)







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― 新着の感想 ―
[一言] 口臭スプレーは酒飲みの嗜み! さすがはことさん! と膝を叩いてしまいました。
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