過ちの過日
風の強い日、秀一郎が家を訪ねて来た。
聖から彼と音ノ瀬隼太が戦ったと聴いて、本人にも無事を電話で確認したが、気に掛かってはいた。
秀一郎の右頬と左頬。
細く走る傷が一筋ずつ。私の婿養子に名乗りを上げるだけあり、秀一郎がコトノハを処方する力は優れている。一族でも有数だ。
その彼をして傷をつけさしめたのか。
――――――あの少年が。
胸がつきりと痛む。
客間で挨拶もそこそこに、秀一郎が切り出した。
「聖君に伺いたいことがあります」
それは私と聖、双方への了承を請う言葉だ。
私は、任せる、と言うように聖を横目に窺う。
彼は驚いた様子も無く、軽く頷いた。
「だろうね。じゃあ、僕の部屋で聴こう。俊介君も、一緒に……、」
俊介も同席させる理由を私は知らないが、聖の語尾が震えた理由は解る。
互換インクカートリッジの名残りだ。
私もぷくりと頬を膨らませて笑いを堪えた。
私たち共通のツボになってしまっているのだ。
秀一郎が怪訝な顔で私たちを見ている。
聖、秀一郎、俊介の三人が聖が使っている部屋に集う。
聖は出窓に腰掛け、秀一郎と俊介は畳に直に胡坐をかいている。
一脚だけ置かれた椅子を使う者は無い。
明るい昼間の六畳の部屋に、灯りを点していない美装のランプが下がっている。
水玉が刻まれた硝子に、あたかも光源を見たように秀一郎が目を細めた。
硝子の色彩は乳白色と淡い水色。
「聖君。ことさんがこの部屋を使うようにと?」
「そうだよ、秀一郎君」
「そうか――――」
秀一郎が物思う風情で鼈甲ぶちの向こうの眼差しを下方に落とす。
聖は理由を知るが俊介は知らない。
秀一郎は意識を切り替えるように窓辺の聖を見上げた。
「どうして俊介君を同席させるんだい? 副つ家の意向と言われれば僕に異論は唱えられないが」
「いや、そんな権威的な問題じゃない。秀一郎君は僕に訊くことがある。そしてその内容は恐らく、僕が俊介君にも知っておいて欲しいと望むものだからだよ」
聖が静かに論じる。
話の渦中に置かれた俊介はただ、成り行きを見守っている。
「……聖君。君はあの晩、音ノ瀬隼太の言葉を聴いていたね?」
得心したのか諦めたのか、秀一郎は本題に入ることにしたらしい。
聖はあっさり答える。
「うん。遅くになって風が吹き始めたから」
〝当主に伝えてくれ。あの時は逃がしてくれてありがとう、と〟
音ノ瀬隼太が去り際、秀一郎を翻弄するように残した台詞。
聖も聴いていた。
「驚いていないんだね、聖君――――あれは本当なのか?」
「あれしきのコトノハで御当主に疑念を抱くなよ、秀一郎君。僕に君を見損なわせてくれるな。……とは言え、動揺するのも無理からぬことではある。俊介君」
唐突に名を呼ばれ、俊介が驚く。
「はい」
「君もよく聴いておくと良い。御当主が今以て抱える罪悪感の所以を。御当主は幼少の折、まだ少年だった音ノ瀬隼太に遭遇したことがある。そして後に御両親よりそれを質された時、何も知らないと答えられた。無論、悪気あっての隠蔽ではない。当時の御当主には事の重大性が解っておられなかった。……だが御両親は音ノ瀬隼太の犯罪行為の確認に出向き、未だに帰還されない。〝もしもあの時、自分が見たことをありのままに打ち明けていたら〟と」
聖が言葉を切って、後ろの窓に顔を向けた。
風に震える硝子面にそっと手を置く。
「……御当主は、後悔して泣かれたんだ」
〝お前は何も知らないね、こと〟
〝知らない。私は何も知らない〟




